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きみの笑顔のために
僕は、出張帰りにおもしろTシャツを買うことにしている。
それまではキーホルダーとかお菓子とかだったけど、ある時台湾に行ったときに露店でシュールなTシャツを見つけてつい買ってしまった。
買ってからどんな反応するかと緊張して、機嫌が悪くない時を見計らって渡した。
その時妻の「なにこれ」と爆笑した顔が忘れられなくて、
それ以来毎回買っている。
だから、いつだったかもう買ってこなくていいと言われた時はすごくショックだった。妻も楽しみにしてくれていると思っていたからだ。
まあ確かに、毎回買うようになってから「また買ったの?」とあきれて言われるようになったが。
しかし結局買うことを許してくれて、いい気になって2着も買ってしまった。
またあきれて「なんで買ったの。」と言われたが、またいつもみたいに最後に必ずTシャツを見て「ふふっ」と笑ってくれる。
その笑顔がたまらなく可愛い。
せっかく買ったのだから着たくてパジャマとして寝るのだが、すぐに元のパジャマが恋しくなって戻ってしまう。
このパジャマは、妻が同棲をし始めた時に買ってきてくれたものだった。
まさか、彼女はおそろいのパジャマを買ってきてくれると思わなくて嬉しくて言葉が出なかった。
「一緒に着て寝よ。」と恥ずかしがりながら言われた時は、その場に崩れ落ちて妻を困惑させた。
僕はおじいちゃんになってもこのパジャマを着ようと心に決めた。
妻と出会ったのは、僕が料理人として駆け出しの時にキッチンカーでランチを売っていた時だ。
たまたま妻が働く会社の近くだったらしく買いに来てくれた。
たぶん一目ぼれだった。
気づいたらずっと目で追っていて、明日も買いに来てくれるかなって思うと心がウキウキした。
これが恋かと気づいたのは、彼女の笑顔を見た時だった。
こういうの好きかなとか、これ買ってくれるかなとか、色々考えて家で試行錯誤しているのが楽しくて、やっぱり僕は料理が好きなんだなと思わせてくれた瞬間だった。
キッチンカーや店での見習いを経てようやく店を開けるまでになった。
妻とはキッチンカーをやめてからパッタリと合わなくなった。
幸運なことに店の経営は順調だった。
しかし、日々何十組のために料理を作り、新作の発案と、従業員の育成、売り上げと、ただの料理人ではなく、店の店長として多くの雑務をこなさなければならなかった。
毎日疲れ切ってコンビニでビールを買って帰るのが日常になった。
その日も疲れてコンビニに入ると彼女がいた。
見間違えるわけがない。
間違いなく僕が恋した彼女だった。
危うく手に取った買い物かごを落としそうになった。
どうしよう、彼女だ。
なんでここにいるんだろう。
家が近いのかな。仕事帰りかな。
何買っているのかな。声かけようかな。
いや、いきなり声をかけたら不審者だよな。
どうしよう。
疲れていたはずの頭がフル回転していた。
ビールの並ぶ扉の前に立ちながら、目には全くビールは入っていなかった。
こういう時人間の感覚は研ぎ澄まされるようで、彼女が今どこら辺にいて何をしているか、見てはいなくても感じ取れた。
その時、奇跡が起きた。
「あの・・」
と彼女から声をかけてきてくれたのだ。
僕はビクッと大げさに驚いてしまい、あろうことか必要以上に彼女を引かせてしまった。
「すいません、ちょっと取りたくて・・。」
と彼女は僕が立っていたビールの棚を指さした。
「あっあっすいません。」
と僕はサッとその場から離れた。
そして、このチャンスを逃すものかと、思い切って彼女に声をかけたのだ。
正直、なんて話したか覚えていないけど、彼女が僕の大好きな笑顔を見せてくれたのははっきりと覚えている。
僕にとって店は宝物だった。
けれども、その宝物はいつしか、息苦しい閉鎖された箱になってしまった。
ただ楽しいだけでは済まされない現実と、うまくいかないことに対しての絶望感と、自分が自分で無くなる感覚がした。
僕にとって本当に大切なものは何かを考えた時、答えはすぐに出た。
そこからは、僕はすぐに行動に移した。
次の仕事が決まった時に妻からプロポーズされた。
食べていたポテチを床に落とした。
「へっ?」と変な声が出た。
「結婚したい。」と真剣な顔で言われた時、僕は思わず正座をして彼女と向かい合った。
深呼吸して、落ちたポテチを見つめた。
「でも、これから出張が多くなるし、寂しい思いをさせてしまうかもしれないし、仕事だってうまくいくかもわからないし。」
「それでもいい。」
即答だった。
「えっ。」
不覚にも泣きそうだった。
彼女からプロポーズさせてしまった情けなさと、彼女の揺るがない眼差しと、この人を絶対に幸せにしなといけないという覚悟と、
僕の心と頭はいろんな感情が波のように押し寄せていた。
そして、彼女は僕の妻になってくれた。
幸せだった。
仕事を変えて料理をする機会は減ったけれど、新しい出会いの日々で刺激的で楽しい。
しかし、やはり妻と一緒にいられる時間は出張がある分少ない。
妻は、あの時それでもいいと言ってくれたけれど、果たしてほんとうによかったのだろうか。
妻は自分が思っている以上に感情が顔に出る。
出張に行く前の日は一緒にテレビを見ていても口数が少ないし、寝ていても気づくと僕にぴったりとくっついている。
でも、決して寂しいとは言わない。
見送ってくれる時の顔には明るく見送ろうとする気丈さと、それでも隠し切れない寂しさと不安が見える。
僕は玄関の扉を閉めた瞬間、何が何でも無事に帰ってくるんだと心に誓うのだ。
出張から帰った次の日の朝食は毎回妻が作ってくれる。
別にどちらが何を言ったわけでもないけれど、自然と作ってくれるようになった。
けれど、妻は料理が苦手だ。
基本的に不器用で、けれどもなんでも一生懸命にやっている。
目玉焼きも黄身が割れていたり、殻が入っていたり、今日もホットケーキを焦がして落ち込んでいる。
でも、作ってくれる気持ちが嬉しいからそれだけで十分だ。
食べ終わって、切らしていたコーヒーを買いに妻とスーパーに買い物に出かけた。
手をつないで歩く時間はやっぱり幸せだ。
僕は何度か、妻に仕事をやめて僕と一緒に海外にいかないかと言おうと思ったことがある。
けれどもだめだと思いとどまった。
それは、彼女と彼女の仕事に対する熱意を軽んじている行為である。
彼女は僕の妻になってくれたけれど、それは彼女のほんの一部に過ぎない。
妻には妻の人生がある。
そういうことは妻自身が決めることだ。
妻が僕の腕に顔を埋めた。
一瞬泣いているのかと思って驚いたけど違うようだ。寂しいの?と聞こうと思ってやめた。
「ハンバーガーが食べたい。」
「ええ・・。」
僕はアメリカ出張で死ぬほどハンバーガーを食べたばかりだ。
「まあいいけどさ・・。」
と僕は渋々了解した。
寂しい思いをさせられた妻の小さい嫌がらせに決まっている。
そんなことなら、コーラのTシャツにすればよかった。
そう言うと、僕の大好きな妻の笑顔がすぐそばにあった。
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