1人が本棚に入れています
本棚に追加
ある異変に私が気がついたのは、職場の電話に出た時だった。その電話自体はよくあるクレーマーからの電話だったので、上司に繋いでしまえばよかったのだが、問題は繋ぐまでの過程だった。電話から音声は聞こえる。何か捲し立てているようだ。だが、話の内容を聞き取ることができない。なので、当然メモもできない。第一、メモを取りながら電話の内容を記憶することが不可能だった。先輩に相談しても、
「ちゃんと伝わってるよ。そこまで、気にしなくてもいいんじゃないかな」
と言うばかりだ。
そう言われたものの、やはり聞き取りができていないのは事実。心配になり、終業後にスマホで「電話が聞き取れない」とググってみた。すると、そこに「APD」という見慣れないアルファベット三文字が現れた。APDとは「Auditory Processing Disorder」の略で、日本語にすると「聴覚情報処理障害」となるらしい。ネットの記事を詳しく見てみると、「うるさいことところで聞き取れない」「聞き返しや聞き誤りが多い」「言われただけの指示や情報は忘れやすい」と言ったことが並んでいる。
愕然とした。どれも自分に当てはまっているのだ。
頭の中で、「APD」という3つのアルファベットがぐるぐると回転する。帰宅途中の車の中でも、そのことばかりを考えていた。
「でも、それって最近起こった出来事だよな。だから、一時のストレスか何かかもしれない」
希望的観測を心で述べてみる。しかし、幼い頃を振り返るとハッとさせられた。テレビなどに夢中になっていると、
「おやつ食べないの?」
などと聞かれても無視してしまったり、「えっ、何?」と聞き返したりすることが多かったように思えた。それ以外の事例も思い当たる節があった。
この事実に気付くと、もう他人事や単なる気の迷いには思えなかった。
「もしかしたら、この障害かもしれない」
そう考えると、自分でも思い込みが激しくなり、正式な診断を受けていないにも関わらず、そう自称したい気持ちになった。まるで、新しい肩書きを得たかのようなものだ。人は肩書きを持つとそこに対して帰属意識を持つようにできている。
でも、しばらく病院に行くというような具体的なアクションを起こすことはしなかった。なぜかと言うと、アクションを起こすには軽微な障害に思えたからだ。障害というと、もっと辛い困難を抱えているようなイメージを当時抱いていた。当時の私にはそんな資格はないと考えていた。
しかし、現実は甘くはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!