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桜が咲き誇っていた季節から新緑の眩しい季節に移ろうとしていた頃、私は精神科病院にいた。発達検査を受けるためだ。これは発達の凹凸があるかどうかを検査するもので、本来は発達障害の検査に使われるものらしい。というのも、APDを引き起こす要因として発達障害が挙げられているのだ。他にも、脳の損傷なども要因としてはあるのだが、ハッキリとは診断されていない所謂「グレーゾーン」も含めて、発達障害が大きなウェイトを占めている。
精神科病院の建物は病院にありがちな画一的な仕様ではなく、正面玄関には大きな窓があって、採光は抜群だ。暗いような、精神科病院が醸し出す独特の雰囲気も感じられない。そんな陽のオーラを纏った病院の螺旋状になった階段を昇り、奥に進むとカウンセリング室という部屋がある。認定心理士の所属する部署がある、その一室で検査が行われた。小さな一室で開かれたそれは、私の精神を灰にさせた。
検査は一日かかるところを半日ずつ二日に分けて行われた。パズルみたいなバラバラのピースから例と同じ図形を作るという検査から始まった。それからは言語能力を試され、記憶力を審査され、計算能力を査定された。あまりにも検査が多岐に及んだため、一つ一つの検査を覚えていない。しかし、走ってもいないのに体力を削られていく感覚は憶えている。昼間に始まって、あっという間に夕方を迎えていく。そんなことを二日続けた。二日目は病院の終業時間を過ぎても検査が行われて、さすがにうんざりしてしまった。
検査を行う心理士も慣れていないのか、滅多にしないことなのかは分からないが、手順を間違えてしまうことがあったので、その点も私をうんざりさせる一つの要因だった。見た感じはベテランみたいな男性だったのだが、手元が覚束ない。マニュアルをたまにチラチラ見ながら、検査を進めていく。そして、例題を出したはずなのに、違った答えを教えてしまう。「何なんだ」と思いながらも、終いには笑いさえしてしまうほどだった。
検査を終えてから、気になったことがあった。今までできていると思っていたことができなかったのだ。具体的に言うと、指示された数字を憶えると言うもので、数字は口頭で告げられた。憶えられるだろうと高を括っていたのだが、実際は三桁くらいで詰まってしまい、そこから先は靄がかかったかのように数字を思い出すことができないのだ。その点が帰りの車内でも、家に帰ってからもとても気がかりだった。
次に、大学病院に行くのが七月。それまでにどのような診断が下されるのか、期待半分、不安半分でそれからの日常を過ごした。何が期待で、何が不安なのかも分からなくなるくらいAPDのことが頭から離れなかった。
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