血の呪い

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 さっきまでメアリーは、ギュッと抱きしめたクッションに顔を埋め、じっと黙っていたが、やがて自分から顔を上げて、また僕の方を見てきた。  少しは落ち着いたみたいだから、話を続けよう。今度は僕の方から話す番だ。 「メアリー、血を飲みたいという欲求は今もあるの?」 「あるわ。いつもそのことで頭がいっぱいで気が狂いそう!」 「それならさ、僕の血を飲んでみれば?」 「航の・・・血?」  彼女の大きな目がさらに見開かれ、喉がゴクリと鳴った。 「 さっききみは、その李さんが持ってきた血を飲めなかった、と言った。『誰のだか分からないから』って。なら、誰のかが分かる僕の血なら飲めるってことだよね?」  「ウッ!?ウウウウ・・・!」  その途端、メアリーは言葉にならない呻き声をあげてバッと後退った。 「ほら飲めないでしょ?そんな異常な事をしようとすれば嫌悪感を感じるのが普通の人の反応だよ。それこそが、きみが正常だという証明になるんじゃないかな」  僕は結論を急ぎ過ぎていた。とにかく彼女に、それが虚妄であることを分からせたい一心だった。 「いいかげん気付いてメアリー!きみは自己暗示にかかっていたんだ。本当は血なんて飲みたくない!普通の元気な女の子――うっ!?」  その時、いきなりメアリーがクッションを投げつけてきて、僕の顔に命中した。 「どうしてそんなこと言うの・・・?」  彼女の顔面は蒼白で、体はワナワナと震え、目にはまた涙が滲んでいた。 「帰って!早く帰って!私の理性がまだ保たれているうちに、早く!!」    バン!メアリーは側にあったクッションで、僕を叩いてきた。 「あなたみたいな恵まれた子には、」  バン!バン! 「外れガチャを引いて生まれてきた私の気持ちなんて、どうせ解らないのよ!」  パリン!と音がした。テーブルの上にあったカップの一つが、年代物のマイセンが床に落ちて割れてしまったのだ。 「危ないから僕が拾うよ」  カチャ、カチャ・・・僕は床に散らばった破片を拾い集めた。  見たところメアリーは情緒不安定気味みたいだ。話をするのならもっと落ち着いてからの方がいい。今日はここまでかな。ただ帰る前にこの事を、僕の口からシエリさんにきちんと知らせておかなくては。 「――痛っ!!」  カップの破片で指を切ってしまった。考え事をして注意が散漫になっていたせいだ。本当に迂闊だった。『血を見せてはいけない』と最初に言われていたはずなのに・・・。  僕の人差し指にみるみる紅い珠が膨らんでいって、それはパタパタと床に落ち、小さな溜りをつくった。その瞬間――  メアリーの目が大きくカッと見開いた。髪がブワッ!と逆立ち、全身に鳥肌が立った。 「あ、あ、あああ・・・!?」 「メアリー?どうしたの?」  彼女は僕の問いかけに答えず、自分の両肩を強く掴んでブルブル震えているばかりだ。息をハアハア喘がせ、乱れた髪の間から苦悶の表情がのぞいている。そのまま数秒間は経っただろうか。ついにその目にフッと諦めの色が浮かんだ。  シャー!と奇声をあげ、野獣のような俊敏さで飛びかかってくるメアリー。それを咄嗟に体で受け止めたはずみで、僕の背中が書架に打ちつけられた。バサバサバサ・・・本が落ちる。  虎や豹のように縦に縮んだ瞳孔、眉間や目の周りに刻まれた深い皺、クワッと開かれた口、鋭い犬歯・・・その時の彼女の形相を、僕は生涯忘れることはできないだろう。 いや、あんなのはメアリーじゃない。きっと何かが取り憑いていたんだ。  彼女は僕に馬乗りになって、思い切り左肩に噛みついてきた。焼けるような激痛が走る。 「ぐああっ!?」  鋭い歯は服を穿いて、皮膚と肉を貫通し、骨で止まった。僕の右腕と首を押さえつける力はまるで万力のようだ。これが本当に小柄な女の子の力なのか?とても信じられなかった。  ・・・フー!フー!という彼女の荒い息遣いだけが間近に聞こえる。一度にたくさんの血を出し過ぎたせいで頭が朦朧としてきた。  ああ、やばいな、僕がそう思い始めた時、リビングの扉が勢いよく開いた。物音で異変を感じて駆けつけたシエリさんだった。 「な、なんてこと!?」   
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