血の呪い

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 シエリさんは次の瞬間には、どこからか取り出した薬瓶の蓋を外していた。そして馴れた動作で、後ろからそっと近付きながら薬を布に染み込ませ、その布で一気にメアリーの鼻を、顔ごと覆った。 「ウウッ!?」  思わずプハッと顔を上げたメアリーは一瞬ウー!と苦しげな呻き声をあげ、暴れようとしたが叶わなかった。すぐに脱力し、床にドサリと崩れ、それきり全く動かなくなった。    気絶したメアリーの体をシエリさんがそっと僕から引き離した。彼女の口からボタボタと血の雫が垂れ、点々と絨毯を汚した。    床に横たえられたメアリーはまるで安らかに眠っているみたいだ。 口も、顔も、手も、白いブラウスの襟元も、何もかもが血でべっとり汚れていなければ、あんな恐ろしい事があったと信じられないだろう。  僕の怪我の応急処置をしながら、シエリさんは始終「ごめんね、ごめんね」と言い続けていた。その声はいつになく震えていて、見ると目には涙が光っていた。 「ついに来るべき時が来てしまった・・・これから、どんどん歯止めが効かなくなるわ」    その後すぐに連れていかれた病院で、お医者さんは傷を見るなり聞いてきた。 「何の動物に噛まれたの?犬ではないね」  狂犬病や破傷風の対策など、噛まれた相手によって違う処置が必要になるからだ。僕は仕方なく答えた。 「動物じゃないです。・・・人です」 「人!なんでまた?」  お医者さんは手際よく傷を洗浄、消毒する間にも、 いつ、どんな状況で、誰に、と理由を細かく聞いてきた。きっと事件性のようなものを疑っていたのだろう。 「違います!そういうのじゃないですから」  さんざん説明して、どうやら納得してもらえた。その後、傷の4箇所を計8針縫ってから、やっと家に帰してもらえた。 「・・・本当に申し訳ございませんでした」  うちの酒店の店先で深々と頭を下げるシエリさん。それに対して僕の父さんは、 「これはこれは御丁寧に!あはははは!?」  完全に舞い上がっていた。息子が怪我をしたという事実よりも、見たことない美人がいきなり訪ねて来たことに驚いていた。 「女の子に噛まれたって?なんだそりゃ!?」  そう言って最初は笑い飛ばしていた僕の父さんだったけど、後になってその傷を直に見た時はさすがに血相を変えた。 「大怪我じゃねえか!尋常じゃないぞ、これは・・・」    まだ血が止まったばかりだった。服の上から噛まれたにもかかわらず、彼女の綺麗な歯列が肩にくっきりと残り、その周辺が紫に腫れ上がっていた。その傷は、噛まれたというよりも齧られた、という表現の方が適切だったかもしれない。 「その子、心に何か病気のある子じゃないのかな。そりゃ普段は良い子なんだろうが」   「航、そんな得体の知れない子に会うのはもうやめた方がいいわ」  母さんも言った。 「待って!違うんだ、これは僕の方が悪いんだよ!」  僕が悪い。その気持ちだけは本当で、嘘はなかった。 「僕が悪いことをして彼女を怒らせてしまったんだ!悪いのは僕なんだ!」 「おまえ、何をしたんだ?」  父さんが聞いた。 「キ、キ、キスしようとした・・・無理やり。そしたら怒って噛み付いたんだ」  言いながら、想像しただけで顔が赤くなってしまい、それがこの嘘話にそこはかとない現実味を添えてくれた。  驚いて固まる父さんと母さん。気まずい沈黙が何秒かあった。やがて、僕の頭がパシッと軽くはたかれた。 「バーカ。今度ちゃんと謝っとけよ?」
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