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丘の上の薔薇屋敷
キリサワ・メアリー・スカーレットローズという、やたら長い舌を噛みそうな名前が僕のクラス名簿の中にあった。三か月前に転入してきた女の子だ。こうして中学校の名簿に名を連ねるということは日本国籍なのだろうけど、 どこの国の出身でどんな子なのかは誰も知らない。実はその子とは先生以外は誰も会ったことがないのだ。なんでも重い病気とかで、学校に登校してきたことが今までに一度もないから。
あるいは日本の言葉や生活が不案内で、学校生活が難しそうだから来ないのかもしれないと、誰もが何となく考えていた。その存在感は名簿の中だけのことで、彼女本人を知る機会はこの先もずっとないのだろうと。僕もその日が来るまではそう思っていた。
まだ夏休みの余韻が抜けきらない九月のある日、帰りのホームルームが終わった後に僕一人だけ担任の川口先生に呼ばれた。
「須藤、須藤、ちょっと来い」
「なんですか?」
言っておくけど、僕の生活態度はいたって品行方正だ。呼び出されて𠮟られるような覚えなど全くなかった。
「急ぎでキリサワさんの家に届けなくちゃならない書類があるんだが、職員会議が入ってしまってな。悪いが頼まれてくれないか」
「え~⁉嫌ですよ、なんで僕なんですか⁉」
「おまえの家がいちばん近くて、なおかつ部活にも出ないで真っすぐに帰るからだよ!」
先生は僕の首を腕でロックして、もう片方の手で頭をぐりぐりしながら言った。
「ギャー!痛い、痛いです先生!」
先生は失くすなよ、と言って大きな茶封筒を僕に押し付けた。そして報酬だと言ってペットボトルのお茶を一本。この炎天下の下で三十分も余計に歩かされるのに、それはとても割に合わない報酬だった。
「おまえが部活を辞めますとか言い出したのも何か思うところがあっての事なんだろ?」
それから先生はとつぜん真面目な顔と声に戻って言った。
「でも無気力に流されてはだめだ。何でもいいから行動を起こすんだ。そしていろんな人と接してみろ。そしたらまた違った何かが見えてくるかも知れないぞ」
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