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人で賑わうスーパーの店内からクリスマスソングが漏れ聞こえる。
迫るクリスマスに浮かれ、お店の床も天井までもがピカピカに、それこそ顔が映るくらい掃除されていた。
入り口には≪滑りますご注意ください≫と看板があった。
幸せそうな家族やカップルがカートを転がし、買い物を楽しむその空間に、くたびれたスーツを着崩した長い黒髪で目つきの鋭い女が混じっていた。
彼女は果物コーナーでじっと赤いリンゴを眺め、固まっている。
「なにか忘れてるような」
紅くつやつやなリンゴをその手に取って眉をひそめる彼女。
何かを忘れているような……大切な何かを。
後ろを二人のカップルが通り過ぎる。
「今日、あの人の誕生じゃない!!」
忘れていた。最近会社が忙しすぎて連絡をとっていなかったせいだ。
今通り過ぎたカップルのおかげ……いや、クリスマスのせいで思い出してしまった。
明日の朝食のリンゴなんて選んでいる場合じゃない。
腕時計に目を落とせば、時刻は彼の仕事が終わる1時間前。
まだ、ケーキを焼く時間はある。
「くっ!」
リンゴを棚に戻して、パックのイチゴを籠にツッコんだ彼女は両手でカートをしっかり握り、果物コーナーから調味料・お菓子コーナーの棚へとドリフトする。
彼女はさっそうとスーツの裾を翻してケーキの素を手に取った。和菓子用のお茶を選んでいたおばあちゃんの横を風のように通り抜ける。
「手っ作り、手っ作り!!」
呪文のように唱えながら、冷蔵の乳製品が並ぶ売り場で牛乳を、その傍の卵のパックを手に取り、まったり買い物をしている主婦や、子連れの家族に唖然とした顔を向けられながらカートを走らせる。
この間たったの2分弱。
「間に合う! 間に合うわ!!」
ギャギャギャギャギャギャ!!
レジは列を待つ人で込んでいたが、カートの急ブレーキの音で皆一様に振り返った。
雑多な音が混じっていた店内が嫌に静まり返ってクリスマスソングがよく聞こえた。
彼女は、おそらくF1レーサー顔負けの鬼気迫る表情をしていたのだろう。
他のお客さんたちは畏怖を覚えたのか、モーゼが海を割るように彼女にレジへの道を譲った。誰も何の文句も言わなかった。
「え? あの……いいんですか?」
「(こくこくこく)」
「はあ、それじゃあお言葉に甘えて……」
乱れた髪を手ですきながら、恐縮してレジへ向かう。
「い、いらっしゃいませ~」
引きつった顔で、籠を受け取る店員さんはまだ大学生くらいだった。
「177円、356円……」
レジを通過していく商品たち。
腕時計に目を落とし、今から家に帰ればぎりぎり誕生日ケーキが焼ける……それから電話して誕生日忘れてたことを謝って……。と、考えながらバックをまさぐっていた彼女は気づいた。
「あ……」
バックの中に財布がない。
「お会計2365円になり」
お会計を告げようとした店員さんの手首を掴む彼女。
「お客様ッ!?」
「店員さんちょっとごめんなさい財布を車の中に忘れてきたみたい。すぐ取ってくるからちょっと待っててくれる??」
早口でまくし立てた彼女はそのまま、レジから走り出そうとする。
ツルッ!
その時、彼女の世界が反転した。滑ったのだと頭のどこかで理解した。
ゴチンッッ!!
岩と岩がぶつかるような鈍い音がして、彼女は後頭部から床に倒れてしまった。
シーンと静まり返る店内。
店員さんと、並んでいた人々の視線が倒れて動かない彼女に突き刺さる。
きっとクリスマスが近くなければ、店長がクリスマスケーキを売りさばくために気合を入れてお店を隅々までピカピカにしようとワックスなんて掛けなければ防げたはずの事故だった。
「お、おきゃくさまーー!?」
やっと事態を飲み込んだ店員さんがレジから出て、慌てて彼女を助け起こそうとする。
周りの買い物客も『119だ!』『タンカ持ってこい!』と大騒ぎ。
そんな中、彼女はぱっちりと目を開け、身を起こした。
どよめく周囲の人々を代表して、店員さんが恐る恐る尋ねる。
「お、おきゃくさま……あの頭はだ、大丈夫ですか?」
彼女は周囲を見回して、困ったように首を傾げた。
「……ここはどこかしら?」
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