忘れもの>ぬいぐるみ

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忘れもの>ぬいぐるみ

[駅で見つけたぬいぐるみを係員に届けた。ところが翌日、同じ場所に同じぬいぐるみがあって……。]  正確に記すと、ぬいぐるみがあったのは、駅に停まっている電車の中なんだけど。四人掛けのボックス席、進行方向とは反対向きの窓際のシートにちょこんと、クマのぬいぐるみが座っていたんだ。  その電車は、僕がいつも利用する平日の最終便で、折り返し運転――下り――の始発駅に当たるから、座れないなんてケースはまずない。だから、クマに一座席占領されてもどうってことはないのだけれども。  何となく、そのクマはもの悲しく見えるのが気になった。サイズは小さな子供が背負うリュックサイズぐらいかな。使い古された感があって、全身の毛並みに艶はないし、さわり心地もよくはなさそうだった。ただし、大事に使われてきたのだろう、薄汚れたところはどこにも見当たらない。ボタンのような目が取れそうになっている、なんてこともなく、多分、修繕を重ねてきたんだろうと思わせる雰囲気があった。  とにかく、そのぬいぐるみ自体はどこにでもあるような代物で、最初に見付けたとき、僕は何の気なしに落とし物として届けた。  ちなみに、落とし物だとすぐに判断したのには理由がある。さっき記したように、折り返し運転の車両の始発駅だから。普通に考えて、上りの列車に乗ってきた客が持ち込んだものの、終点に着いて忘れて降りてしまったと想像できる。  僕は新社会人として働き始めたばかりだった。それまで耳にしたことすらなかった地方の街に引っ越してきて、方言に苦戦しつつも、この土地に馴染もうとしていた。だからと言っていいのかな、落とし物を拾って駅員に届けるという行為は、いいことをしたよなという気分になれて、何だか心地よかった。明日への活力になる、と思えた。その時点では。  翌日も同じ終電の同じ場所に、クマのぬいぐるみがあった。どう見ても、前夜届けたぬいぐるみと同一だった。  この段階ではまだ、僕は苦笑を浮かべる程度で済んだ。続けざまに忘れるなんて、落とし主は相当なおっちょこちょいだな、って。前の日と同じ駅員に届けると、同じように感謝された。  僕が初めて、変だなと感じたのは、三日目からだ。またもや同じことが起きた。うーん、普通なら三日続けて同じ忘れ物をするなんてあり得ない。今度は忘れまいと気を引き締めるものだ。しかし……僕は想像を膨らませてみた。たとえば落とし主は毎晩、仕事上の付き合いか何かでお酒をしこたま飲まねばならない立場だとすればどうか。酒に弱いタイプの人なら、いくら気を付けようと決意を固めていても、抗えない睡魔に襲われることはあるんじゃないだろうか。そして終点に着くや、飛び起きて電車を降りる。最終バスに遅れないようにするために急いでいれば、忘れ物を繰り返してもさほど不思議じゃない……と、こんな風に考えて、僕は自分を納得させた。  そうしてまた届けると、駅員は同じように礼を言ってくれる。「またですか」と苦笑しながら、なんてことはなく、判で押したように同じ反応だった。  そして迎えた四日目。さすがにもうないだろうと思って列車に乗ってみると、まさかまさかの四度目の対面。クマはそこが指定席であると主張するみたいに、鎮座していた。  さすがにおかしい。連日同じ物を忘れるということは、夜、置き忘れて、翌日の朝、忘れ物を引き取り、そしてまたその日の夜、忘れていくことになる。いくら何でもおかしい。気味悪さを覚えた。  こんなことを自分一人で抱え込んで、悶々とするのは趣味じゃない。駅員に聞けば何か分かるかもしれない。方言にはまだ全然慣れていないけれども、聞くしかない。  僕は届けた折に、思いきって尋ねてみた。「落とし主の方は、毎日受け取りに来られているんですか? 何かご病気をお持ちなのでは」と。そう、認知症の類を想像したのだ。そもそも、そぐわないのだ。夜遅くに終電に乗るくらいだから大人なんだろう。一方、ぬいぐるみは小さな子が持つ物に見える。  駅員の中年男性は、少し考えるかのような間を取り、言った。すぐには聞き取れなかったので、プライバシーを理由に教えてもらえないのかなと思ったが、違った。 「お客様は今、お時間は大丈夫でしょうか」  柔らかい物腰の標準語で、そう聞いていたのだった。  言われてみれば電車に乗らねばならない。話を聞く時間はない。 「お時間のあるときにお越しいただければ、事情をお伝えしましょう。私も勤務中のため、紙か何かに記した文章を用意して、お渡しします」  僕はぜひ、とお願いして電車に急いだ。  休みの日に駅まで出向いて、約束通り、手書きの説明文を渡してもらえた。  そこにはクマのぬいぐるみに関する事情が、事細かく書いてあった。関係する人達の実名が出て来て、さらに読み進める内に、僕はようやく思い出した。十年以上前に、小さな女の子が行方不明になり、その後、遺体になって見付かった事件のことを。発生当時は全国報道され、中学生だった僕も強く印象に残っていた。越してきたとき事件のことをちっとも思い浮かべなかったのは、市町村合併で名称が変わったのが主な理由だろう。  被害者になったその子は、あの列車を利用していたらしい。お気に入りのクマのぬいぐるみといつも一緒に。  連れ去られたのも、一人で電車に乗っていたとき、犯人から声を掛けられたのが発端だったという。少女は犯人に連れられて、知らない駅で降りた。その際、多少強引に引っ張られたのか、クマのぬいぐるみは座席に置かれたままとなった。そう、あの四人掛けの角っこのシートに。  およそ一日半後に、女の子は遺体となって発見される。詳細は割愛するけれども、行方不明になったことがもう少し早く把握できていたら、救えた可能性が高いとされた。実際、その機会はあった。クマのぬいぐるみに誰かが気付いて、駅員に届けてくれていたら、きっと。  だが、いかなる不運な偶然が働いたのか、事件が発生した日、クマのぬいぐるみは誰の目にも留まることなく、いや、目には留まったに違いないが、忘れ物・落とし物として届けられることなく、終電までずっと同じ席に座っていた。  犯人が逮捕され、全貌が明らかになると、地域一帯の人達は忸怩たる思いを抱いた。あのとき、誰かが届けていれば、と。  そうしていつの日からか、あのぬいぐるみが置かれるようになったという。「“忘れ物かな”と思ったら、躊躇わずに届けるように」というある種の戒め、注意喚起の役割を果たすために。  事情を知っている地元の人達は、あのぬいぐるみを届けることはしない。届けるのは僕のような新参者だ。  毎年、新年度を迎えて新たな駅の利用者が増えると、必ず届けられるそうだ。  クマのぬいぐるみが忘れ物として届けられる、という事実により、この地域の人はみんな安心する。「今度新しく越してきた人も、心優しい人なんだな」と実感することで。  僕は、この街の一員になれる自信を深めた。  終わり
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