社長、あなたは私のなんですか?

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私が苦手なもの。 ねばねばした納豆、虫全般、特にGはガチでムリ、うじうじした性格の奴、酔っぱらい。 それからーーー勤め先の社長。 「社長、KKK社の横峰さまがお付きになられました」 コンコン、とノックをしてから社長室を開けると、スーツのジャケットを羽織る桐山社長の姿があった。社長は、振り返り私に気がつくとにっこりと目を細めて言った。 「やあ、鳴川さん。今日もよろしくね~」 「…先方がお待ちになっておりますので、お急ぎください」 私がそう言うと、社長はそうだねと言って荷物を持った。 「あ、今日の予定ってあとどうなってる?」 「午後から社内会議があります。午後の来客予定はありませんが、16時頃、先日お伺いした山本様からお電話を頂く予定です」 「そう、わかった」 社長は私にそういうと、一度立ち止まり、私を見て笑って言った。 「きみが秘書に来てくれてから、随分仕事がやりやすくなったよ。色々とありがとうね」 「いえ、仕事ですので」 「今度、なにかお礼をしようかな」 社長が部屋のドアを開けて廊下に出る。私はそのあとを着いていき、一歩後ろから社長に視線を向ける。 ーー桐山琥珀(こはく)。まだ28才の若さでありながら、ベンチャー企業の社長を勤める男。 ルックス良し、高身長、頭良し、おまけにコミュニケーション力も立派なものだ。老若男女問わず好かれる性格も。 こんな絵に描いたような条件の男が、他にいるだろうか? 私は思わず社長を強い目線で見ていたら、それに気づいた社長が立ち止まり、振り返った。 「鳴川さん、俺の背中になにかついてる?」 「ーーいいえ、今日もスーツがよくお似合いだと思って見ていただけです」 「あ、そう?嬉しいこと言ってくれるね、きみは」 笑顔を崩さないまま、社長はエレベーターに乗り込んだ。私も一緒に乗ろうとしたが、社長室にある書類を片しておいてほしいと頼まれたので、エレベーター前で立ち止まった。 「かしこまりました」 「うん、よろしくね」 ばいば~いというかのように、エレベーターの扉が閉まる瞬間まで、社長は右手をひらひら振っていた。やがて扉が閉まり、周囲に誰もいないことを確認した私は、その場で大きく息を吐いた。 「……あんの無駄すぎるイケメンヤロー…!」 そして、毒づいた。 ***** 私は鳴川凜々花。24歳。 現在、都内のオフィスで社長秘書をしている。 スーツでばっちりキメて、メイクもちゃんと社会人として落ち着いたものにしている。 髪も黒色だし、言葉使いも勤務態度も秘書としての振る舞いを真っ当してるつもりだ。 ーーーって、なんでこの私がそんな真面目ちゃんをしているかって? ちょっと聞いてよ!と、私は目の前の缶ビールを煽りながら、隣にいる佑衣に愚痴をこぼした。 「あのくそ社長、ほっんとムリ!善人みたいに周りに笑顔振り撒くあの姿も、見ててもう耐えられない」 「荒れてんね~。そんなに嫌ならやめちゃえば?凜々花が社長秘書って、マジウケるんだけど」 佑衣はタバコの煙を吐き出しながらそう言って、一本いる?って、私に聞いた。 「やめとく。タバコの匂いつくと、来客のときとかあんまり印象良くないから」 「へぇ。なんだかんだ秘書業楽しんでんじゃん。会社のエライ人とかとも会えるんでしょ?どっかに金持ちのイケメンいないの?」 佑衣はけらけら笑いながら、半分冗談っぽく話している。あわよくば精神が透けてみえるところが佑衣っぽい。 私は2本目のビールを開けて、一口飲んだ。 「奴を毎日見てたら、ちょっとやそっとじゃイケメン枠に入らなくなったわ」 「あー凜々花のとこの社長?独身なんでしょ?落としちゃえば?」 「!」 ぴた、っと私は佑衣の言葉に手を止めた。 そして佑衣の方を振り向くと、佑衣は、え?なにか問題でも?みたいな顔をした。 「…そうなんだよね」 「でしょ?秘書として予定とかわかってるわけだし、デートだって誘いやすいじゃん。てゆうかイケメンで社長って、条件もいいじゃん」 うん、まったくその通り。 その通りなんだけど……。 私が、ぐぬぬ…と両手の拳を握りしめていると、佑衣が追い討ちをかけるように言った。 「てゆうか、最近その社長の愚痴ばっかだけど、なにがだめなの?なんか問題あんの?その社長」 私は佑衣を見る。佑衣も私を見る。 私はすぐに、缶ビールをぐいっと飲み干し、ダンっとテーブルの上に叩きつけるようにして置いた。 「あ~~!!あの社長さっさと落として、早く自由の身になってやるーー!」 「は?意味わかんないんだけど。凜々花酔ってんの?…あんた、自分は酔っぱらい嫌いなくせに自分はすぐ酔っぱらうよな……」 私はそう叫んで、こてんとソファーの上に寝転んだ。遠くの方で、おい、そこで寝るなよ、という佑衣の声が聞こえた気がしたけど、構わずに目を閉じた。 ***** 「あー…だっる」 頭を押さえながら翌日の土曜日、佑衣の家を出た。二日酔いが酷くてもう少し寝ていたかったのに、仕事行くから帰れと佑衣に追い出されてしまった。 私はせめてもと二日酔いの薬をもらって飲んで、電車に乗った。 そして家について、溜め息を吐きながら玄関の扉を開けた。 「ただいま……」 土曜日の午前10時。母親はいつもならリビングで休んでいる時間だ。 私は鍵を閉めて靴を脱ごうとしたところで、はっと気がつく。 ーーーこの靴…… 母親と私の二人暮らしの家に、こんな男モノの革靴があるはずがない。 なのにそんなものがあるということは、あいつが来ている。 私は眉を歪めてその革靴を睨み付けると、早足でリビングに向かった。 「お母さん!」 バンッとリビングのドアを開けると、おぼんを持った母親がびっくりしたように私を見た。 そして、あらおかえり、と小さく呟く。 私は、母親を数秒見つめたあと、テレビの前のソファーに座る人物に目を向けた。 「あ…ごめんね、凜々花。亮太郎さんが来るって、連絡してなかったね」 「………」 私が睨み付けるようにその男を見ると、母親が慌てて謝ってきた。私はそのまま足を進め、男の背中に話しかける。 「こんにちは。凜々花です」 「……あぁ、こんにちは、凜々花さん」 男は、ゆっくりと振り返りながら私の名前を呼んだ。 高そうなスーツで全身を身にまとい、髪型はワックスかなにかでカチッと固めている。 母親が亮太郎と呼んだその男は、なにがおもしろいのか口元を緩ませながら、おかえりなさいと口にした。 ーーーお前におかえりを言われる筋合いはないんだけど。 私はそれは口に出さず、なんとか会話を続けようと口を開く。 「いつも母のために、ありがとうございます」 「ん?あぁ、それは気にしないでくれ。私はきみのお母さんのことが好きでね、私が好きにやってることなんだ」 ね、果奈さん。と、男が母に向かって言うと、母親は曖昧に頷いた。 「好きに、ね……」 「今月も一緒に病院に行かせてもらったよ。来月はまた検査があるらしい」 「……そうみたいですね」 「だが、大丈夫だ。腕のいい先生についてもらってるし、治療費はすべて私がもつから鳴川家には負担はかけないよ」 にっこりと笑ってそういうと、男は立ち上がり私の方へゆっくり近づいてくる。 私は男から視線を外すことなく対峙した。 目を離したら負けだ。 「それよりも、琥珀とはどうだね?」 琥珀、という言葉が男から出ると、私の頭の中は一気にあの社長のことでいっぱいになった。 母親が、凜々花、と私の名前を呼ぶ。 そこには、ごめんね、という意味も含まれていることを私は知っていた。 「おかげさまで、どなたからも好かれる好青年の琥珀さんとは、うまくビジネスパートナーとして働かせて頂いています」 「ビジネスパートナーねぇ…」 男ーーー桐山亮太郎は、腕組をしながら私を見た。こいつの顔、雰囲気、立ち振舞い方…それは桐山琥珀社長と瓜二つだ。 完璧すぎて、逆に近くにいる者からすると、気持ち悪さを感じるくらいの空気。 桐山は、私の目の前に立ち少しかがんで、顔を近づけて聞いてきた。 「ビジネスパートナーになってほしいと言った覚えはないんだけどね」 「……まだ、入社して1ヶ月ですので。私も仕事に慣れることを優先しています」 「そうか。まぁ、今までロクに働いたことがなかったきみが、秘書業をわりとまともにこなしていることに、私は驚いているよ。琥珀からも報告は受けている。別に急いではいないから、きみのペースでうまくやっていってくれ」 そう言って、桐山は私の肩をぽんと叩いた。 そしてそのまま、後ろにいた母親へ近づき、お茶ありがとうと言った。 「あ、あの亮太郎さん」 「今日は突然来てすまなかった。時間ができたので少し果奈さんの顔が見たかっただけなんだ」 「…帰るんですか?」 私がそう聞くと、桐山はそうするよ、と言って鞄を手にとった。 そして、私の目の前にも関わらず、母親の身体を軽く抱きしめた。 「じゃあ果奈さん、無理しないで」 「……ありがとう」 「あと、凜々花さん」 「?はい……」 桐山は母親から私に視線をうつして、少し苦笑するように言った。 「休みの日にきみがどこでなにをしようと勝手だが、琥珀にダメージを与えるようなことは起こさないでくれ。仮にもきみはいま琥珀の秘書なんだ。朝帰りに加えて二日酔いのきみを見たら、琥珀もショックを受けると思う」 「!これは、朝帰り……っですけど、泊まったのは友人の家です!変な誤解しないでください」 捲し立てるように私は桐山に向かって叫ぶと、そういうことにして私の胸の中で留めておくよ、と言って桐山は部屋を出ていった。 母親が急いで玄関まで見送りに行く。 私はそのままリビングに立ち尽くし、玄関が閉まる音がすると、叫んでいた。 「なんだあいつ!」
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