鳥になりたい症候群

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鳥になりたい症候群

「や、やめなさい!」  私は絶叫していた。当然だろう、自分が教師を務める小学校の屋上から、今まさに生徒が飛び降りようとしているとあっては。  その少年は、背がすらりと高かった。恐らくは六年生。六年生くらいになると、中学生と見間違えるような大きな子もいるものだ。  少し襟足の長い髪が、風にぱたぱたと揺れているのが見える。そして不思議なことに、その眼は今まさに自殺しようとしている子供のそれには見えなかった。  彼の澄んだ瞳はまっすぐと青空を見つめて、まるで今から冒険にでも行くかのようにキラキラと輝いていたのである。  そう、その様子だけなら到底、今から飛び降りようとしているようには見えなかっただろう。  彼が明確に、自分の意思を持ってフェンスを乗り越えてさえいなければ。 「そ、そんなところにいたら危ないわ。降りてらっしゃい!」  自分の担任するクラスではない。それでも教師として、子供の自殺を見過ごすことなどできるはずがない。  青ざめて一階から叫ぶしかない私や他の教師たちを見つめて、少年はにっこりと微笑んだ。 「俺」  その声が、青い空に吸い込まれるように消えた。 「俺、鳥になりたいんです」  それが、最後の言葉だった。彼は全く躊躇うこともなく、前へ一歩踏み出してしまう。そして。  ふわり、とその体が浮いた。落ちる、と誰もが目を剥いた瞬間、その体が白い羽根に包まれる。そして。 「え、ええ……!?」  羽根が弾けた途端、何もかもが消えていた。確かに校舎から飛び降りた筈の少年は、飛び降りた直後に空中で――舞い散るたくさんの羽根となって、消滅してしまったのである。当然、人の体が地面に落下して血の花を咲かせるようなことにはならなかった。果たして、“死体もなく人が消滅してしまった”事実が、自殺よりもマシだったかは別として。  彼のスマホからは、飛び降りる直前に母親のスマホにこんなメッセージが送られていたという。 『鳥になりたい』  それが、一連の事件の幕開けとなったのだ。
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