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僕は公園のベンチに座って、先程の事を思い出していた。走っている時には感じなかったが、今になって転んだ時に擦り剥いた膝が痛み始めていた。
これが最高の1日の幕開けなのか?あの会社員は嬉しかったかもしれない。しかし僕はと言えば、体力を消耗しただけではなく、お気に入りのパンツの膝が破けてしまっている。この状況が、幸せだと言えるのか?
「雅史さん…?」
突然声をかけられ顔を上げると、今にも泣き出しそうな高齢の女性が立っていた。
「やっぱり雅史さんだわ!また会えるなんて…」
女性は涙を流しながら、僕に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと待ってください!僕は雅史さんじゃありません!」
女性は僕の言葉も聞かず泣き続けていたが、やがてため息をついて、僕の隣に座った。
「分かっているんです。あなたが雅史さんじゃない事は。だって雅史さんは、先月亡くなってしまったんだから…」
女性はバッグから1枚の写真を取り出した。古いモノクロ写真で、若い男女が写っている。驚いた事に、男性は僕そっくりだ。
「ほら、これが雅史さん。あなたに瓜二つでしょう?あなたを見た時、驚いたわ。こんなにそっくりな人がいるなんて。顔だけじゃないの。ちょっとした仕草まで一緒。雅史さんに出会ったのは、彼がちょうどあなたぐらいの年の頃だったわ」
それから昔話が始まった。初めて想いを告白された時の話。初めて2人で出かけた話。求婚された時の感動。新婚旅行。子供が産まれた喜び…。
女性は、幸せそうに満面の笑顔で思い出を語ってくれた。正直、今の僕にとって他人の思い出話を長々と聞く心の余裕は無かったが、邪険にもできず、ただ耳を傾けた。
「お母さん…?こんな所にいたの」
見ると、中年の女性が不安そうにこちらを見つめている。
「美津子、迎えに来てくれたの?こちらの方とお喋りをしていたの。驚いたでしょう?お父さんそっくりなんだから」
「それも驚いたけど…お母さん、笑ってる…。久しぶりにお母さんの笑顔を見たわ…」
女性の娘だというその人によると、夫を亡くしてから女性はずっと塞ぎ込み、泣いてばかりだったという。
「突然現れた母の話を聞くだけでなく、笑顔も取り戻して頂けるなんて…。もう二度と、母の笑った顔を見る事はできないと諦めていたんです。本当にありがとうございます。感謝してもしきれません…」
娘もそう言いながら泣き出してしまった。そして笑顔の母親と一緒に、仲良く帰っていった。
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