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お夜食
君の小さなその手をしっかりと繋ぐのが俺の役目だった。
他の誰も知らない笑顔を俺にだけ見せて、二人だけの秘密をたくさん作ったりした。
でもいつの日からか、少しづつ俺以外の前でも笑うようになった君。
最初は少しだけ面白くなかったけど、だけどそれ以上に俺は嬉しかったんだ。
沢山の愛に包まれて欲しい。
沢山の笑顔の中で、君が心から笑う事が出来るなら。
俺は何だってするって、そう決めたから。
ハイドの話を聞いた後、マリアは自室に戻り部屋の中央にあるソファーに座った。
背もたれのクッションに頭を預け瞳を閉じ、そしてハイドの話を思い浮かべた。
自分は神の子らしい。
神の子で、この世界では唯一無二の存在だと、そうハイドに言われたが、その事実をすんなりとマリアは受け入れる事は出来なかった。
だって神の子って、そんな話をそんな簡単に、到底信じれるものではないとマリアが思っていると、ドアを叩くコンコンという音が耳にとどいた。
「あ、はい」
少し声を張って、ドアの外に聞こえるように返事をすると
「あ、ジールだけど、入ってい~?」
そんな声が聞こえてきて、マリアは再び声を張り、どうぞとドア越しのジールへと呼びかけた。
するとがちゃりとドアが開き、トレーを持ったジールが部屋へと入ってきた。
「これ、何も食べてないでしょ?」
ジールはマリアの元まで来ると、トレーを少し持ち上げてこれと言い、そして柔らかく笑った。
「あ、ありがとうございます」
ふわりと良い匂いを漂わせながら、湯気が立ち上がる具だくさんのクリームシチューとフランスパン。
その料理にマリアは急激に食欲を掻き立てられた。
対面に座ったジールは、食べてねと、そう促すと、マリアはいただきますと言って徐にスプーンを手に取った。
一口食べて、ほろりと溢れた美味しいの言葉に、ジールはにこやかな笑みを浮かべながらマリアを見守った。
そして彼女が食べ終わり、ふぅっと満腹のため息を一つ吐くと、ジールは満足そうな笑顔を浮かべた。
「美味しかった~?」
「はい、とっても」
「それは良かった。あ、付いてるよ~」
幸せそうな笑みを浮かべるマリアの口元に、シチューの白い跡を見つけたジールがそれを教えると
「え、どこ?」
口元に手をやり、拭いとろうとするマリアだが、なかなかそれが出来ずにいたので、ジールはひょいと手を伸ばしマリアの口元に指を這わせた。
「はい、と~れた」
マリアの頬に着いた残りかすを指でとると、ジールはそのまま自分の口に指を運び、そしてペロリと舐めた。
マリアはジールのその行為を気恥しく思い、薄らと頬を染めてそわそわとしてしまうが、ジールは全く気にとめていなかった。
「あの、ありがとうございます」
俯き気味に、マリアはぼそりとそう言った。
そんなマリアにジールはやはりにこにこと優しい笑顔を浮かべていた。
「どういたしまして~」
そう言うとジールは、徐に腰をあげて部屋のすみにあるティーセットスペースへ足を運んだ。
磨りガラス扉の上段のカップボードには、アンティークなティーカッブが数個並べられており、ジールがそこから二つカップを手に取った。その時
「あ、あのジールさん」
マリアがそう呼びかけると、ガヂャガチャとカップが擦れあう音がした。
「え?あ、大丈夫ですか?」
カップを落としそうになりあわあわとするジールに、マリアが心配そうな面持ちでそう投げかけた。
「あ、うん。大丈夫大丈夫。マリアにさん付けで呼ばれた事なかったから、ちょっとびっくりしちゃった~」
へらりと笑ってカップは無事だと両手でかかげてアピールするジールに、マリアは咄嗟に頭を下げた。
「あ、ごめんなさい」
「そんなっ、謝らなくてい~よ~。でもさん付けは勘弁して~」
頼りなく笑ってカップにティーパックを入れるジールに、マリアは少し思案してそして答えた。
「はい、じゃあジール君、でいいですか?」
「ジール君…。ん~、まぁ、さんよりマシだけど~。呼びすてでいいし、敬語とかもいらないよ~?」
ジールはお湯を注ぎながらそう言って、トレーにカップと砂糖にミルク、それにティースプーンを乗せてマリアの元へ戻った。
「あ、ありがとうございます、あっ!」
紅茶を用意してくれたジールにお礼の言葉を口にしたマリアだったが、つい今しがた敬語は要らないと言われたのにもかかわらず、自然と出てしまった敬語にマリアは自分で気づきはっとした。
「まぁ、すぐには無理だよね~」
そんなマリアにジールはくすくすと笑って眉を下げた。
「すいません」
「なんで謝るの~?」
「だって、なんか申し訳なくて…」
「何も覚えてない事が?」
はい、とマリアは、紅茶の水面に映る自分をぼんやりと見ながら頷いた。
やはり見覚えのない自分の顔。
何故私は忘れてしまったのだろうと、マリアが思い詰めた表情を浮かべていると
「そんなのマリアのせいじゃないんだし~、気にしなくて全然いいのに」
「でも、私の事ずっと守ってきてくれたんですよね?」
ハイドに聞いた。
ここにいる者達は全員マリアを守るためにいるのだと。
それは幼い頃からずっとで、ここに暮らし、本当に家族のように過ごしていたと彼は言っていた。
「まぁ、確かにちょっとびっくりしたし、悲しいって思わない訳じゃないけど、でもこうして無事目覚めてくれただけで俺は超うれしぃし、まじで良かったって思うよ」
ほわんとしたジールの笑顔に、マリアは胸が締め付けられて泣きたくなった。
だって、ジールはとても優しい。
さっきの話し合いの時も常に自分を気にかけてくれたし、今だってそうだ。
だけど私は彼の知っている私ではない。
だからその優しさは私に向けられているものではないと、マリアはそう思う気持ちから、ジールの目を直視出来ずにいると
「本当だよ?それに俺だけじゃないよ?さっきマリアが会った皆は全員そう思ってると思うから、だからそんな顔しないで?ね?」
頼りなく眉を下げて見つめてくるジールのまん丸な瞳を、マリアはちらりと見た。
「そぉ、ですかね…」
「当たり前じゃん。もしかして、シリルの事気にしてる?」
確かに自分に敵意を剥き出しだった彼の事は、マリアは一番気になっていた。
だってあんな冷たい眼差しを向けられて、気にするなと言う方が無理があるとマリアは思う。
「えっと、シリルもさ、きっとびっくりしちゃったんだよ。本心ではきっと誰よりもマリアが目覚めた事喜んでると思うよ」
「それは解ります。でも私じゃなくて、前の私、ですよね」
俯いて、視線を合わせようとしないマリアに、ジールは少し悲しげな表情を浮かべた。
「そう思う?」
「はい。でもシリルさんが怒るのも解ります。私、なんで記憶無くしちゃったんですかね…」
そう言って頼りなく笑うマリアの顔が、とても辛そうに見えて、ジールはすぐにでも抱き寄せ抱きしめてやりたいと、そんな衝動に駆られるがぐっと我慢していると
「ごめんなさい。今日はちょっと疲れちゃったので…」
そんな言葉を投げかけられて、ジールは反射的に腕時計を見ると、針は既に12時を超えていた。
「あ、そ~だよね。そろそろ寝なきゃね」
ジールはマリアの要望にこたえ、すっと席を立ち上がった。
そしてトレーを手にするとはっとした表情を浮かべた。
「あ、そだ。言い忘れてた。この食事ね、シリルが用意してくれたんだよ~」
「え?シリルさんが?」
意外すぎる事を言うジールに、マリアは瞳を丸くして驚いた。
「うん。もう少し時間が必要だけど、シリルもきっとマリアと仲良くしたい筈だから、嫌わないであげて、シリルの事」
じゃぁ、おやすみと、そう言って部屋を出ていくジールに、マリアもまたおやすみなさいと返した。
そしてマリアの頭に残るのはシリルの事。
彼の事はやっぱり気になるが、だけどもう限界だった。
何も知らないし誰も分からない。
なのに待ったなしで一気に情報が入ってきて、もう頭がパンクしそうだった。
マリアはベッドにぼすりと身を投げ出した。
そして襲いかかる睡魔に、抗う事なく瞳を閉じた。
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