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目覚め
夢を見ていた。
ふわふわと心地の良い様な、だけど胸がぎゅっと締め付けられる様な。
具体的にどんな夢だったかは思い出せない。
だけどそれが夢というものだと言われれば、確かにそうだとそう思った。
そんな微睡みの中だった。
ゆっくりと私は瞳を開けた。
ずっとこのまま夢の中に、ずっとこのまま眠っていたかった。
そう、だからあの時私は確かに後悔していた。
目が覚めてしまった事を。
金の長いまつ毛に囲われた大きな紫の瞳がまず最初に見たのは、天蓋付きベッドの天井だった。
黄色と黄緑の刺繍糸で綺麗に施された生地は、同じような色彩のベッドカバーとシーツを一層華やかにみせていた。
見るからに寝心地の良さそうなふかふかのベッドの上に、一人の少女が横たわっていた。
金色の長い緩やかなウェーブがかった髪はまるで絹のよう。
陶器と見紛う白い肌に、綺麗なアーチ型の眉。
宝石のような瞳はとても神秘的で、すじの通った形のよい鼻に、紅を入れていないのに赤く色づく唇。
全てが計算された完璧に美しい少女は、ゆっくりとその細い体を起こすと辺りを見渡した。
ベッドの両隣にはサイドテーブル。
その上にはテーブルライトが置かれている。
部屋の中央にはアンティークなテーブルと、それを挟んだ2台のソファ。
そのどれもが品がよく優美なものばかり。
しかし少女にこの部屋の見覚えはなかった。
加えてここが何処なのかも解らなかった。
少女はベッドから出て大理石の床に足を着いた。
シルクで仕立てられた肌触りのよい寝衣は着ていたが、足は素足だったため、ひやりとした床の感触に思わずびくりと体を震わせた。
近くに揃えて置かれていたルームシューズに足を入れ、そして部屋の側面にある腰窓、そこから外の景色を眺めようと少女が向った時、不意にドアをコンコンとノックする音が耳に届いた。
何か返事をするべきか否か、それともベッドで寝たふりをするのが無難か等と、少女がおろおろと戸惑っているとガチャりとドアは開かれた。
黒いワンピースに白いエプロン。
手には綺麗な花が生けられた花瓶。
装いからすると所謂メイド・侍女らしき者は、失礼致しますの言葉と共に部屋に入ってきた。
少女は結局どうしたらの答えが出ないまま、その場でドア、今は侍女を見つめながら立ちつくしていた。
そして少女の視線に侍女は気づいた。
寝ていると疑わなかった少女が起きてこちらを見ているという衝撃に、侍女はきゃっという驚きの声と共に思わず持っていた花瓶を落とした。
少女は反射的に侍女の元へ駆け寄った。
「 あの、大丈夫ですか?」
透き通る綺麗な少女の声。
侍女はその声と、そして間近に見る少女の驚異的な美しさに目も耳も奪われ、わなわなと震えるだけで動く事も声を発する事も出来ずにいた。
そんな侍女に、少女は困ったような笑みを浮かべると、再び彼女に問いかけた。
「えっと、怪我はないですか?」
そう言いながら少女が一歩距離を縮めると、我に返った侍女が再びああぁっ、と、驚愕の声を上げたと思ったら慌てた表情で部屋を飛び出て行ってしまった。
「あっ!ちょっとっ!」
ちょっと待ってくださいと、そう続ける筈だった言葉は閉められたドアの前に消えた。
少女は残された部屋で一人はぁと、小さなため息をついた。
折角ここがどこなのかを尋ねようと思っていたのだが残念だ。
彼女の後を追おうかとドアノブを捻るが、外から鍵がかけられている為開かなかった。
少女はどうしたものかと思案し、やはり外の景色を見てみようと再び腰窓の方へと足を向かわせた。
レースのカーテンをちらりと開けると、広く、そしてとても綺麗な庭が見えた。
色とりどりの花が咲き誇り、中でも赤い大きな薔薇がひときわ目を引いた。
だけどこの素晴らしい庭園も、やはり見覚えはなかった。
そこでふと少女は気づいた。
この部屋や庭園だけでなく、そもそも自分が誰なのかが解らない事に。
少女は咄嗟に探した。
部屋に鏡がないかと辺りを見渡すと、部屋の一角、そこに設けられたパウダースペース。
白を基調とした鏡台を少女は見つけ、少し駆け足でそちらに向った。
そして鏡に映るその姿をまじまじと見つめた。
これが私か。
やはり全く見覚えのない姿に、つまりこれは記憶喪失というやつなのかもしれないと、そう自らで結論づけた時。
再び今度は勢いよくドアが開かれた。
少女はびくりと肩を震わせ反射的にそちらを向いた。
するとそこにいたのは先程の侍女ではなく一人の少年。
瞳を丸く、息を乱して立っていたその少年は、今しがた鏡に映った自身の姿よりいくつか幼い容姿で、黒い艶のある短い髪に大きなつり上がった瞳の少年は、食い入るように少女を見つめた。
そして未だ落ち着かない呼吸で彼女に呼びかけた。
「マリアっ!?」
まだ幼さの残る少年の声が部屋に響き渡った。
少女はその声を聞き頼りなく眉を下げて笑った。
「え~っと、それって私の名前、ですか?」
どこか気まずそうに、ぽりぽりと頬をかく少女の仕草に、少年の大きな黒い瞳がこれでもかと見開かれた様は、まるで夜道に出くわした子猫の瞳そのものだと少女は思った。
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