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20.引き寄せて離さない
皆に惜しまれつつ、千颯は関西へと旅立っていった。
隣は空席となったわけだが、誰かがいることよりもいないことの方が落ち着かないという変な気持ちを結月は味わっていた。
誰もいない方が気は楽だ。千颯が来るまではそうだったので、千颯が入社して隣が埋まってしまった時は、ほんの少しがっがりしたことをふと思い出す。
「あの時は、こんな風になるなんて全く想像してなかったな」
仕事の手を休め、一息つきながら小さく呟く。
千颯が大阪へ行っても、毎日連絡は取り合っている。
関西支社は始動したが、バタバタとしており、落ち着くまでにはまだ時間がかかるという話だ。引っ越し後の荷ほどきも満足にできないほど忙しいらしい。
しかし、話している感じではとても楽しそうだ。宇野辺とは元々気安い関係だし、他のメンバーとも上手くやっているようである。
少人数なのでやることは多い。だが、だからこそ皆が力を合わせて切磋琢磨しながら頑張っているようで、そんな話を聞くとつい羨ましくなってしまう。
そんなことをぼんやり考えていると、璃子からメッセージが入った。ランチの誘いだ。
「三十分ずらすのか。うん、大丈夫」
昼休憩は一時間と定められているが、時間は個々に任されている。打ち合わせもないし、急ぐ仕事も今日はない。璃子の希望の時間で問題ないので、結月はすぐにOKの返事をした。
「そういえば、あの時の璃子、なんだったのかなぁ?」
結月は璃子の顔を思い浮かべながら、僅かに首を傾げる。
あの日とは、Senの配信にKoronが登場した時のことだ。
活動休止していたKoronがSenの配信に飛び入り参加すると知り、どうせなら一緒に聞こうということで、璃子の家に泊まらせてもらった。
配信が始まる前は、パソコンの前で二人で正座だ。配信が始まった途端にきゃあと歓声をあげ、その後は二人で大騒ぎ状態だった。
璃子の家は比較的防音がしっかりした部屋なのだが、さすがにご近所迷惑になっていたかもしれない。そのことは、二人して後で反省した。
SenとKoronの配信が終わった後、璃子はまじまじと結月の顔を眺め、こう尋ねた。
『結月、さすがに気付いたでしょ?』
結月は意味がわからず、眉を顰めた。その顔を見て、璃子は目を丸くしていた。
『……もしかして、気付いてない?』
『気付くって、何に?』
『え?』
『え?』
璃子はポカンと口を開け、しばらく放心状態だった。璃子のこんな顔など初めて見る。
『Koronの話、聞いてた?』
『聞いてるに決まってるでしょ! 一言一句聞き漏らすまいと、真剣に聞いてたっ!』
『ほんと!? Koronが活動休止をした理由は?』
『仕事で勤務地が変わるから、しばらくは配信環境が整わないんでしょ? 転勤なら慣れるまで大変だろうし、再開まではまだ少しかかりそうだよねぇ』
『あー……一応、ちゃんと聞いてたんだ』
『当たり前じゃん! 推しの話を聞かないファンなんていないでしょ!?』
結月が力説すると、璃子は脱力して床に転がった。「嘘でしょ」とかなんとかブツブツ呟きながら。
だから、結月は璃子に詰め寄ったのだ。気付くとは何なのか。璃子はわかっているのに、結月はわかっていない。それはいったい何か。
なのに、璃子は一切教えてくれなかった。どんなに宥めすかしてもダメだった。というか、結月ごときに璃子の口を割らせることなどできるわけはなかった。
「気付いたかって聞くんだから、Koronのことだよねぇ? え、まさか璃子ってば、Koronがどこの会社に勤めてるのか知ってるってこと? でも、勤め先がわかるようなこと、Koronは何も言ってなかったと思うんだけどなぁ……」
Koronの話している内容なら、璃子よりも熟知している自負がある。それなのに。
「なんなのよぉ、もう~」
無駄だとは思いつつも、今日のランチで再び璃子を問い詰めてみようと決心する結月だった。
だが、そんなことはすっかり抜け落ちてしまうほどのことが、この後結月の身に起こる。それは結月にとって、青天の霹靂とも思えるような出来事だった。
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