プラズマの

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「どうして先週掃除したばかりなのにこんなに散らかっているの?」 「弁当を食べた後はちゃんと袋に入れて縛ってって言ったよね。どうして食べかけが机の上に置きっぱなしになっているの?臭くないの?」 「ビールの空き缶もこんなにいっぱい!飲みすぎっ」 「脱いだ服はせめて洗濯籠に入れてよ。脱ぎっぱなしの服が積まれたベッドで寝るなんてイヤよ」 「お金を貸してって、この間貸した二万円も返してもらってないんだけど。というより、累計二十三万七千二百五十二円貸しているんだけど。そろそろ利子取るようにした方が良いのかな」 「一緒に温泉行くって行ったよね。こんなんでどうやって温泉行くの!私までお金なくなっちゃう」  英子は毎週末、恋人の宗太に小言を並べる。  すると宗太は、 「今週はめっちゃ仕事が忙しくて片付ける暇がなかったんだ」 「その弁当食べたのオレじゃないし。小林。小林知ってるだろ?」 「ビールじゃないって。第三のビール。リーズナブル。えらいだろ」 「全部一回しか着てないからキレイだって。下着はちゃんと洗濯籠に入ってるだろ」 「英子ちゃん計算機より優秀だね。じゃ、一万円で良いから。絶対返すから。だから利子付けるとか言わないで」 「温泉?スーパー銭湯行くって話はしたけど。温泉の話なんかしてないだろう。それよりスーパー銭湯行こう。あ、オレ金ないから英子ちゃん出しといて」 などと適当なことを並べるので英子は怒る気もなくなって、洗濯機を回しながら部屋を掃除した後でスーパー銭湯に行き、休憩所でご飯を食べ、一万五千円を渡し、汚いベッドでセックスをすることなく帰宅するのだ。  こんな関係をずるずると続けていてもお互いに良いことはないと分かっていた。宗太にとって良いか悪いかはどうでも良いが、少なくとも英子には良くない。  いつか改心してくれるのではないかと言う淡い期待も最近は線香花火のように消滅しようとしていた。後はぽとりと地面に落ちるだけだ。  別れ時かな~~~  一人歩く帰り道に思う。宗太とは友人宅のパーティーで知り合った。飾らない人柄に魅かれて付き合い始めたのだが、だらしがないだけだと分かるのに時間はかからなかった。それなのにまだダラダラと関係を続けている。  それは、英子の方から手を離せばパッとどこかに行ってしまうのを感じているからだ。風船のように、あっという間に手の届かない空へ舞い上がり、風に流されてどこかに飛んで行ってしまう。宗太の方から手を握り返してくれたりなんかしない。英子が握っている間だけ続く関係―――  私ってもしかして束縛系!  急に浮かんだワードに愕然とする。  重い女にはなりたくない。  そうなる前にやはり別れなければ!  ぶんぶんと頭を振った時、何かの気配を感じ、立ち止まって右側を見た。ちょうど墓地の横を歩いていた。墓石や卒塔婆が並ぶ墓地は真っ暗で誰かがいるようには見えない。とはいえ「どなたかいらっしゃいますかー」などと訊ねる勇気もないので、そそくさと家へ急いだ。  次の週末、五日間の会社生活を過ごして宗太の部屋へ行くと、やはり元通りのゴミ部屋に戻っていた。  しかしこの日の宗太はいつもと違った。 「仕事が忙しくて部屋には寝に帰っているだけだって、だったらどうしてこんなに部屋が散らかっているの?」 「プラズマのせいだ」 「ポテチをパーティー開けして放置しないで」 「プラズマのせいだ」 「なんで下着まで部屋に落ちているの!」 「プラズマのせいだな」 「給料日前だから私だってお金ないよ。何にお金使ってるの!」 「プラズマだな」  自信満々に答え続けるのでとうとう切れた。 「プラズマプラズマって、プラズマっていったいなんなの!」 「はっ」  宗太は勝ち誇った顔をしたので非常にむかついた。くだらない言い訳をするだけならまだしも私に歯向かってくるなんて身の程知らずが! 「お前、プラズマも知らないの?」 「知ってるわよ」  売り言葉に買い言葉で反射的に言い返してしまってから、必死で頭を回転させる。  プラズマプラズマプラズマプラズマ…… 「プラズマイオンクラスターでしょ」 「良いプラズマだ」  宗太は満足そうに頷く。 「プ、プラズマテレビ!」 「プラズマの結晶だな」 「それと……プラズマ乳酸菌?」 「まさにプラズマだ。これだけの一流企業がプラズマを冠した製品を数多く世の中に送り出しているんだ」  宗太は拳をぐっと握りしめると、ぐいっと顔を近づけてくる。目がキラキラと輝いている。 「英子にもプラズマの素晴らしさが分かったようだな」と言われて気分が少し高揚したが、実際はプラズマのことはなにも分かっていないことにはっと気が付いた。  あぶない。勢いで騙されるところだった。 「良い商品にプラズマって付いているのは分かったけど、つまりはどういうことなの?」 「まだ分からないのか?」  心底呆れたという顔をされて、今度は少し悲しくなる。 「分からなければプラズマに訊けばいい」 「プラズマに訊く?」  オウム返しすると、テーブルの上に置いていたスマホを指さされた。 「スマホもプラズマで動いているの?電池じゃないの?」 「電気もまたプラズマだ」 「電池なの?電気なの?」  呟きながら英子はスマホを手に取ると、プラズマを検索した。 「えーと、プラズマ、電離気体。固体・液体・気体に次ぐ物質の第四の状態、狭義……?のプラズマとは、気体を構成する分子が電離し陽イオンと電子に分かれて運動している状態であり、電離した気体に相当する」  音読するが理解できない。しかしそれを口にすると、きっとまたバカにされると思ったので無理矢理言葉を繋げてみる。 「なるほど、第四の状態なんだ。電離した気体だからスマホも動かせるってことだ」 「エグザクトリー」  突然大きな声でカタカナ英語が飛び出してきたので驚いた。 「分かってきたじゃないか」  得意満面の宗太にジトっとした目を向ける。 「スマホがプラズマで動いているのは分かったけど、あんたのだらしなさがプラズマのせいだって言うのはどういうこと?」  簡単には騙されないぞっと腕組みをする英子を前にして、宗太は分かる分かると目を瞑りながら頷く。 「そう、なかなかそこには辿り着かないよな。それに気が付かないのは不幸なんだって教えたい。そこを突破してようやく、人は、人類は幸せに、プラズマの真実に到達できるんだ」 「なに言ってるの?」  意味不明な内容についうっかり訊いてしまう。 「分かりやすく説明すると、」危惧していた通りウザい。 「物は温度や圧力を変えることによってその形を状態が変わる。身近な例で言うと、氷は第一の状態である固体、温度を上げることによって第二の状態である水に変わる。さらに温度を上げると第三の状態である気体、つまり―――」 「水蒸気」  指さされて促されたので答える。 「エグザクトリー」  得意げに大きな声で言うこのカタカナ英語はどこで覚えてきたのだろう。そしてどういう意味だっただろうか?ニュアンスとしては分かっているのだが、聞き続けている間に正確な意味が曖昧になってきた。 「次に、固体と液体には触ることができるけど、気体には触ることができない。ここまではいいよな」 「う、うん」  正しいか間違っているか確信が持てないので曖昧に返事をする。 「プラズマは第四の状態だからさらにその上なんだ」 「上なの?」天井を指さす。 「その上じゃない」  じゃあどの上なの!澄ました顔をしている宗太の横顔をぶっ飛ばしたくなったのをぐっと抑える。 「気体は、空気は見えないけどある、だろ。空気がなかったら息ができなくて死んじゃう。さらに、プラズマは気体のその上だから、見えない上にないんだ」 「プラズマってないの?」 「ないけどあるんだ」 「どういうこと?」 「例えば、楽しいとか悲しいって気持ちは物質として存在していないけど、人の心の中にはあるだろ」 「そ、そうだね」  説明が突然飛躍したが、感情が見えないってことぐらいは同意できる。 「存在していない楽しいや悲しいって気持ちがあることによって、人を動かすことができるだろ。楽しかったら踊ったりするし、悲しかったら泣いたりする。そこに存在しないはずのものなのに、それがあることによって人を動かすことができるんだ。これがないのにあるってことなんだ」 「な、なるほど」  なんだか分かったような気がしてきて、英子は激しく頷いた。 「プラズマの凄さは分かったか?」 「つまりプラズマは人の気持ちってこと?」 「うーん、それはまたちょっと違う。プラズマは人の心に影響を及ぼすけれども、人の気持ちがプラズマってわけでもない。いや、違うな。人の気持ちも、プラズマの一種なんだ」 「人の気持ちもプラズマの一種……。なんか宗教みたい」 「違う!プラズマは宗教じゃない!科学だ!」  突然宗太が怒鳴ったのでびっくりした。しかし宗太もすぐに気が付いて頭を下げる。 「あーごめん。ちょっと興奮しちゃって。プラズマと人の気持ちの関係は俺もちょっと不勉強だから、調べて、今度またちゃんと説明する」 「お願いします」  真摯な態度で謝られたので、英子も頭を下げてお願いする。 「でも考え方の方向性としては良い線いってる」 「本当?」  褒められると嬉しくなる。 「つまりプラズマは人の心に干渉したり影響したりもするんだ。だから、部屋が片付けられないのはプラズマが俺の心に干渉しているせいだし、小林が弁当を食べっぱなしで帰ったのもプラズマのせいだし、洗濯物が部屋に散らばっているのもプラズマのせいだし、ビールが第三のビールに変わったのも、温泉に行けないのもプラズマのせいなんだ」 「第三のビールに変わったのは良いことじゃない」 「本当に良いことなのか?一時の節約が本当に良いことだと言い切れるのか」 「良いことだよ!」  プラズマプラズマと少し浮かされてしまったが、そこははっきりとしている。  節約は良いこと! 「そうですか……」  少し肩を落としている宗太を追い詰めるように英子は話を続ける。 「この部屋が散らかっている原因がプラズマなのは分かったけど、そのプラズマはどうやったら良いの?」 「どうやるとはどういうこと?」 「プラズマをどうにかしないと、この部屋が散らかったまんまだって言うことでしょうが!」  英子は力強く言うが、宗太はきょとんとした顔を見せる。 「プラズマはないんだからどうにもできないだろ」 「ないけどあるってさっき言ったじゃない!」 「違う違う。プラズマをどうにかする手段がないって行ったんだ」 「そうなの?プラズマイオンクラスターの出る空気洗浄機を買ってみたら?」 「そんなもので人の気持ちに干渉できるプラズマを消すことができるなら、きっと世界は平和になっている」  ちょいちょい物凄く真面目な顔で真理めいたことを言うので、世界とはそういうものかと納得させられてしまう。 「それはそうだね。まぁこの部屋は私が片付ければ良いんだけど、プラズマの影響ってどうすることもできないのかな」 「なにか困っていることでもあるの?」  うーん、こういうところなんだよな。こうやってすぐに気が付いてくれるところが好きで、別れられない。  そうだ!今日こそは別れ話を持ちかけてみようと心に決めてきたんだった。別れようって言っても心を入れ替えないようであれば、本当に別れるはずだったのだ。  プラズマのせいですっかり忘れていた。  しかし部屋が散らかっている原因がプラズマなのなら、それを理由に別れるのはかわいそうな気がする。 「英子?」 「あーごめん、ちょっと考え事をしていたの。うん、そう、困っているというか、気になっているというか―――」 「話してみて」  本当に心配している目で聞いてくれる。 「帰り道に墓場があるんだけど、私は霊感全然ないから怖いとかは全然ないんだけど、最近横を通るとなんか気配を感じるの」 「誰かがいるんじゃなくて」 「暗いからよく分からないんだけど、覗き込んでも誰もいなかったと思う」 「……人魂じゃない?」  びくっとおおげさに体を震わせた後、首をゆっくりと英子の方に捻って、目を見開いた宗太が訊ねてきた。またなにかのスイッチが入ってしまったようで怖い。 「人魂だったら赤く光っているでしょ」 「いや、そうとは限らない。青く光ったり、白く光ったり見えたりするし、そうなると、光っていても見えない可能性もある」 「光ってたら見えるでしょ」 「でも英子は霊感がないんだよな。だから光っているのに見えないのかもしれない」  まさに、先ほど宗太が話していた「ないけどある」プラズマのようだ。 「……人魂はプラズマなの?」 「人魂とUFOはプラズマの得意分野だ!」  宗太は勢いよく立ち上がった。 「その墓地に案内してくれ」 「それは良いけど、まだ明るいから今から行っても人魂は出ないんじゃない?昼間に通った時はなにも感じないし」 「夜通った時にだけ気配を感じるのか。これはいよいよ人魂、いや、プラズマっぽいな」  再び腰を下ろした宗太は目を輝かせながらスマホを操作して何かを調べ始めた。  英子はその姿を頼もしく思いながら、部屋の片づけを始めた。  部屋の片づけの後も色々とやっていたら思っていたより時間がかかってしまい、帰る時間はかなり遅くなってしまった。  英子の家は宗太の家から電車で四駅走った後、徒歩十分かかる。  駅前の小さな商店街の店舗はほとんどシャッターを下ろしており、コンビニとカラオケパブぐらいしか開いていない。  人通りのほとんどない住宅地を二人で歩く。  プラズマが逃げるかもしれないから、と宗太が主張するので会話はなく黙って歩く。  墓地で何かの気配を感じたとは言ったが確たる証拠があるわけではない。  霊感がない英子には人魂が見えないのだと言われたが、人魂も何もないかもしれない。  その時はどうなるのだろうか?  何もないじゃないか!だましたな!と怒られるのだろうか?  嘘をつく女とは別れてやる、と言われるかもしれない。  そもそも今日は別れる可能性もありと思ってはいたが、そんな感じで別れるのは悲しい。  いやいやダメだダメだ。せっかく私の言葉を信じてここまで来てくれているのだ。明るいことを考えよう。  例えば逆に、本当に人魂があった時にはどうするのか?  あれだけ調べていて、これだけ意気揚々と歩いているのだから、きっと対処法を知っているのだろう。鮮やかに人魂を退治してくれるのだろう。そうしたら惚れ直してしまうかもしれない。  ……  惚れ直して良いんだっけ?  そんなことを考えている間に墓場に到着した。  墓場はサッカーコート一面ぐらいあってかなり広い。墓地の周りはブロック塀で囲われているが、入り口の鉄扉から中を見ることができる。正面の奥は寺とそれを取り囲む樹木があり真っ暗だ。左右には民家が立ち並んでおり、窓から明かりが漏れてきている。 真っ暗ではないが、闇が覆い隠している部分の方が多い。 「気配を感じる?」  訊かれてむうっと暗闇に意識を向けてみる。 「……宗太と一緒だからかな。何も感じない」 「そうか」  宗太は力強く頷くと、鉄扉を開けて中に入っていった。 「ちょっとちょっと。勝手に入ったらダメでしょ」 「プラズマのため。科学のためだ」  力強く言う宗太に、私のためじゃないんかい、と心の中で突っ込みながら、たくましくはない背中を追った。  初めて入ったが、通路が奇麗に整備されている墓地ではなく、墓石の間を縫うように通路が設置されていた。墓石に躓かないように気を付けて歩いている間に、器用に墓石を避けて歩く宗太との距離がどんどんと開いていく。 「待ってよ」  声を掛けると宗太は立ち止まった。声の方に振り返ったりはしなかったから、目的の場所に辿り着いたから立ち止まっただけなのだと英子には分かった。  ただ、なぜそこが目的の場所だと思ったのかは分からない。  立ち止まった宗太の前に急にパッと光が灯った。青い光。スマホのライトや、小さな懐中電灯なんかよりもよっぽど明るい光だ。 光球は宗太の前にふわりと浮かんでいた。  人魂!? 瞬間的にそう思うが、英子が思っていたおどろおどろしいものではなく、明るく周囲を照らす光球だ。 じゃああれがプラズマなの?  近づくべきかどうか悩んでいる間に、今度は空から光が降ってきた。  視線を上げると、暗い雲をかき分けながら巨大な物体が姿を現した。  それは下から見ると円形で、ところどころ発行している部分があった。英子が知るどの飛行機とも一致しない。円盤形のUFOを下から見ればこんな形なんだろうな、と想像させる巨大な飛行物体だった。 「UFO?」  驚いている間に円の中央から地上に向かって一筋の青い光が放たれた。その光は筒のように宗太の前に受けんでいた光球と、そして宗太を囲い込んだ。  宗太の身体はふわりと浮かび上がり、そのまま空へ、UFOへ吸い込まれていった。宗太の姿が見えなくなると、光の筒も消えた。 「え、え、これってなんだっけ?キャメルシミュレーション?カトルシュミレーション?」  英子は昔々にテレビで見たオカルト番組で流れていたあやふやな専門用語を口走った。 「そうじゃなくって、こういう時は警察?消防?やっぱ自衛隊?自衛隊の電話番号って何番?動画撮っとけば良かった」  必死でスマホで検索していると再び光の筒が下りてきた。  すぐに宗太も降りてくる。  宗太が地面に立つと光の筒はすぐに消え、UFOも雲の上に姿を消した。  青い光の球が現れてから三分ほどしか経っていない。  展開の速さに付いていけなくて、スマホを握りしめたまま固まっている英子の方に宗太がゆっくり歩いてくる。特に変わった様子はないように見えた。 「だ、大丈夫だった?」 「ああ」  宗太は口元を広げて笑った。 「ちょっと上がって、お土産をもらって帰ってきただけ」 「おみやげ?」  こんなに心配したのにお土産って!と心の中で憤慨している英子に向かって、宗太は無邪気に笑う。 「凄いぞ」  差し出されたのは、どこにでもあるような三百五十ミリリットルの缶のように見えた。 「第四のビールだ」 了 【参考資料】Wikipedia(プラズマの項)
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