幼き鳥たち

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「お母さんに謝りなよ」  放課後の掃除を終え教室に戻ると、日直の白鳥が日誌を書きながら僕にそう告げた。教室にいるのは僕たち二人だけだった。 「嫌だよ。もう関わりたくもない」 「どうして? 明るくて可愛らしいお母さんじゃない」  澄まし顔で平然と言い放つ白鳥に、脳の血管がパチンと音を立てて弾けた。 「何も知らないくせに! 弁当は僕が作ってるんだぞ、まだ中学生なのに!」  知らないうちに僕は涙を流していた。何もかもが、とっくに一杯一杯だった。 「ワッペンは縫い忘れるし、ペットボトルは捨てられるし、誕生日ケーキだって買ってもらえない! 遅刻は当たり前、デパートで迷子になるのは母さんの方なんだ! そんな気持ちが、お前にわかるかよ!」  涙がとめどなくあふれ出てくる。本音を吐くと、ディベートのようにはいかない。支離滅裂な内容だったろうに、白鳥は真面目な顔で耳を傾け続けた。いつもみたいに遮ることなく。 「鳩見くんの苦労は、私にはわからないよ。ごめんね」  それ見たことか、と僕が言い返そうとしたその時だった。 「うち、お母さんいないから。小さい頃に病気で死んじゃったんだ。だからわからない」  白鳥は言った。俯いたりするしおらしさはなく、強い語気と表情で。まるで泣くことを我慢しているときの僕みたいに、眉だけがぴくぴくと動いている。 「鳩見くんはよくお母さんの愚痴をこぼしていたけれど、私はお母さんがいることが羨ましかった」  彼女の頬を一筋の涙がつたう。(しずく)が床を濡らす前に、僕は教室を飛び出していた。走りながら必死に呼吸を整える。頭をよぎるのは、母との思い出だった。  母が近所の家を回ってペットボトルをかき集めてくれたこと。運動会でお弁当がないことに気付き、近くのハンバーガー屋さんまで走って僕の大好物のハンバーガーを買ってきてくれたこと。それが思いのほか、楽しかったこと。  何もかも認めたくない思い出だった。認めるのが怖かった。  その日の部活は散々だった。いつもは越えられる高さのバーで引っかかり、僕は何度もマットに背中を打ち付けた。(ろう)で固まった羽は重く、思うようには空を舞えない。
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