忘れ者

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◇ 「柚葉ちゃん!」  怪者に付き添われた柚葉ちゃんは虚な目をしていた。意識が奪われかけている証拠だ。 「なんだ、またお前か。しつこい奴だ」  男は再びナイフを取り出す。それを振り上げてこちらへ襲いかかってきた。  忍は一定の距離を保ちながら、何度も彼女の名前を呼ぶ。 「柚葉ちゃん、柚葉ちゃん! 聞いて」 「うるさい! お前はここで死ぬんだよ!」  ナイフの残像が見える。恐怖心は確かにあった。しかし、ここで退くわけにはいかない。 「柚葉ちゃん! これを見て。君がママからもらった大切なお守り。大事なものだろ?」  怪者の振りかざすナイフを必死に避けながら、ポケットからネックレスを出してそれを見せる。 「なんだそれは? そんなもののどこがお守りなんだよ」 「思い出して! 君のママのこと、そして、君のパパのこと。楽しかった思い出を」    忍はそのネックレスを彼女へ向かって投げた。虚な目をしながらも、それを掴み取る柚葉ちゃん。怪者が後ろを向き、彼女の姿を見る。  柚葉ちゃんはじっとそのネックレスを見つめたあと、胸元に持っていき強く握った。 「や、やめろ、やめろ」  先程まで威勢のよかった怪者が突然慌て出し、ナイフを捨てて柚葉ちゃんの元へ駆け寄ろうとする。 「思い出して、柚葉ちゃん!」 「や、やめろぉぉぉぉおおおお!」  男の動きが緩慢になり、既のところで完全に動作を停止させた。そのまま膝を曲げ、地面に崩れるように倒れていく。 「……お母さん」  柚葉ちゃんは全てを思い出したように握りしめていた手のひらを開けてそう口にした。  怪者は柚葉ちゃんの前で倒れ込み、砂のように溶けていく。それからたった数秒で男の存在がこのセカイから消えた。  忍はゆっくりと歩みを進め、彼女の目の前までやって来た。 「柚葉ちゃん、思い出したんだね。お母さんのことも、パパのことも」 「うん。思い出した。パパは……もういない。でも、お母さんはいる。これね、お母さんにもらったの。わたしのお守り」 「そっか。それはよかった。もう大丈夫だね」 「うん」  満面の笑みでそう答える少女。  忍は彼女の頭を優しく撫でてあげる。そして彼は、少女のセカイから出て行ったのだった。
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