8.アルバートの失恋と膝枕

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8.アルバートの失恋と膝枕

「鬼! 鬼畜! 悪魔!」 シャルロットが悔し紛れに思いつく限りの罵詈雑言を、アルバートに投げがけると、 「はあ? どっちが?」 アルバートのほうも腹の底からの地獄の低音ボイスを響かせて、目を据わらせる。 両者一歩も引かず、やいのやいのと言い合いながら、車を降りると、 「お帰りなさいませ、アルバート様、シャルロット様」 屋敷の執事が、にこやかに二人を出迎えた。 「彼女の荷物を僕の部屋の隣に運んで」 アルバートは執事に指示をすると、 「どうしてわたくしの部屋があなたの部屋の隣なのよ?」 シャルロットが不機嫌に柳眉を顰める。 「はあ? そんなの婚約破棄の違約金の支払いのために決まっているだろ?   さっさとそんな御大層なドレスを脱いでそれに着替えたら?」 アルバートはそう言って、この屋敷のお仕着せをシャルロットに渡した。 「こうなったらもう、僕専属メイドにして散々こき使ってやる!」 アルバートが憎たらし気に鼻の頭にしわを寄せる。 「の……望むところよ! やってやろうじゃない」 シャルロットも啖呵を切って、腕をまくる。 「シャ……シャルロット様……こちらへ」 メイド頭のアリスが、そんな二人に苦い笑いを浮かべている。 二階の主寝室の前で、二人はお互いにフンっと顔を背けて それぞれの部屋に入っていく。 ◇◇◇ 「今日からここがシャルロット様のお部屋でございます」 メイド頭のアリスに案内された部屋を見回して、シャルロットは目を瞬かせる。 「っていうか、この部屋って……」 居間と寝室が二間続きになっており、 その奥にバスルームと衣裳部屋が併設されている。 本来ならこの屋敷の女主が住まう部屋なのである。 間違っても一介のメイドに宛がわれる間取りではない。 「左様でございますよ、シャルロット様。  このお部屋はシャルロット様をお迎えになるために、  特別にアルバート様自らが家具や調度類、小物に至るまで、  心を尽くして準備されたものなのでございます」 アリスが優しい眼差しで部屋の調度類を見回す。 「あのお方は素直に表現するのが苦手なだけで、  本当は誰よりもお優しい方なのでございます」 アリスの言葉にシャルロットが下を向く。 (そんなの……知っているわ) シャルロットは唇を噛み締めた。 いつだってアルバートは自分を盾にして、 シャルロットのことを守ろうとしてくれる。 今日の出来事だって、きっとそうなのだ。 しかし飄々としたアルバートの真意が、シャルロットには分かりかねる。 (ゆえに、自分は怖いのだ) シャルロットはぎゅっと自身のドレス裾を握った。 (いつか自分がその感情をはき違えてしまうことが) 『興味ないよ』 10年間に自分に冷たくそう言ったアルバートが、 シャルロットの脳裏に過る。 (もう、あんな思いをするのはまっぴらなのよ) シャルロットは下を向く。 ◇◇◇ アルバートは自室の寝室のベッドの上に体を投げ出して、 盛大なため息を吐いた。 『それでも……婚約は破棄してください……』 先ほどのシャルロットの言葉が、アルバートの胸に深く突き刺り、 奈落の底に突き落とす。 (ある程度覚悟はしていたけど、面と向かって言われると、結構キツイな) そしてまた、アルバートは特大のため息を吐く。 (あ~マジでやばい、軽く死にたい) そんなことを思ってぼんやりと見まわした部屋の ベッドサイドに置かれた一枚の写真とはたと目が合う。 自分とよく似た面影の、美しい女性が夢見るように笑いかけている。 アルバートは身体を起こし、その写真に手を伸ばす。 「母上……今日僕は、死ぬほど好きな女の子にふられました」 そんな告白と共に自嘲を吐き出す。 「ねぇ、かっこ悪いでしょ? あなたがもしこの場所におられたら、  こんな僕を見てどうお思いになるでしょうね」 アルバートは瞼を閉じて、再び身を横たえる。 自分でも気づかないうちに、 ひょっとすると自分は今日はとても気負っていたのかもしれない。 今、自分はひどく疲れているのだと自覚する。 意識が白く霞んで、その中に朧げな人影を見た気がした。 そのシルエットが、亡き母に似ているような気がして、 「今日は無性に……あなたに会いたい」 そんな呟きを漏らして、 アルバートは微笑んだつもりだった。 そしてすぐに薄い微睡に落ちてしまったので、 アルバート自身も気づいていなかったのだ。 その頬にとめどなく涙が伝っていたことに。 ◇◇◇ 最悪の一日だったにもかかわらず、 その眠りは不思議と安らかなものだった。 ひどく柔らかい何かに頭を置いて、自分は幼子のように身を委ねている。 (は? ありえない) 微睡の中にいるくせに、頭のどこかで、僕はその状況を全否定している。 この無駄に高いプライドが憎い。 優しく誰かが僕の髪を撫でている。 その温もりに、すべてを委ねてしまえばいいものを、 悲しい性分だと自分でも思う。 「アルバート……」 名前を呼ばれたところで、アルバートは覚醒する。 ぱっちりと開いた眼に、 いきなり飛び込んできた人物に、息が止まる。 「シャルロット……」 自室のベッドの上で、なぜだか自分はシャルロットに膝枕されているのである。 反射的に身体を起こそうとしたアルバートは、 がっちりとシャルロットに両手でホールドされてしまった。 (身体が、起こせない) アルバートは高速で目を瞬かせる。 「そのままでいいから、お願い、話を聞いて。  ごめんなさい。今日、わたくしはあなたのことを深く傷つけたわ」 シャルロットが愁傷気に項垂れる。 「ちょっ、別に僕は傷ついてなんか」 全否定して身体を起こそうとする僕を、やっぱりシャルロットががっちりとホールドする。 「嘘よ、ひとりで泣いていたくせに」 シャルロットの衝撃の証言に、アルバートが狼狽える。 「な……泣いて? この僕が?  まさか、あり得ない、そんなの」 アルバートがひどく顔を赤らめて、シャルロットから顔を背けて身体を丸める。 亀のように丸まったアルバートの背中を、シャルロットが無言のままに撫でてやる。 「嘘だよ。そりゃあ僕だって……へこむ日は……ある」 蚊の鳴くような声でそう言ったアルバートに、 シャルロットは一瞬目を丸めて、 「うん」 と小さく頷いた。  
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