さかいめ

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 さかいめっていうのは、越えると、人が消えるんじゃないのか。  森というのは、神域──神のすまう場所だろう。そこは人々の生活する俗世とは違う、常世であり、人が容易に足を踏み入れてはいけない場所だ。  だからこそ、二つの境界をはっきりと示す必要がある。鳥居や、注連縄や、橋など、目に見える形で。  だが、神社や川なんかある場所はイメージがつくが、そうじゃないところ、ただの森のはじっこはどうなっているのか? 見たことがないから、わからない……知らないうちに入り込んでしまいそうで恐ろしい。  私はアルコールで濁った頭で、友人が一席ぶるのを聞いていた。  思い浮かべていたのは、小学校に通う道がちょっとした林のようなところを抜けていて、雨が降ると落ち葉が汚らしくて嫌だったことや、兄が近所で有名な頑固おやじの所有する山にしのびこんで、しこたま怒られたことなどだ。  どれも踏み入るのにためらったことも、特別な感覚を抱いたこともない。生活の垢がこびりついた記憶だ。  友人がしまいには、誰か子どもの頃に消えた同級生なんかはいないのか、と問うたので、遠慮なく大笑いしてしまった。  無論、森で消えた同級生などいない。遊び場になっていたうらぶれた神社や、公園とは名ばかりの林を思い返してみても、そこではしゃぎあった子どもに消息を絶った者などいないのだった。  友人に説明しているときのことだ。ふいに頭の中にあるイメージが浮かんできた。  なかなかに深い森のようだったが、ぼやけて曖昧だ。森の入り口にひとり、女の子が立っている。何か模様のついた青い着物を着ているようだ。  映画か何かのワンシーンだったろうか? しかし酩酊のせいで記憶をたぐることはできなかった。  行方不明の子どもはいないと聞いて、友人は残念そうだった。まったく不謹慎なことである。  一人暮らしのアパートまで帰る電車の中、吊り革をつかんでこっくりこっくりしていると、またあの森と女の子のイメージが浮かんできた。  不思議なことに、今度ははっきりと、着ているものの柄がわかった。着物ではなく浴衣だ。白い大輪の菊がいくつも染め抜かれている。手には風車(かざぐるま)を持っているようだ。  あれ、と私は思う。  映画などではなく、実際にあったことだったろうか。  しかし女の子に背景にある森には見覚えがなかった。それに自身の体験にしては、自分がそこにいたという感触に乏しい。  単に忘れているだけなのだろうか……  私は考えを巡らせたが、何度かこっくりこっくりしているうち、思考も途切れていくのだった。
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