さかいめ

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 次に向かったのは、里山と田が接している場所だった。山の入り口では、畔が他の場所より一段高く盛られていた。  木々が田に侵入するのを阻むかのような様子は、友人の話を連想させる。  人が容易に足を踏み入れてはならぬ場所。  今まで何の疑問もなく立ち入っていたというのに、私の中に、かすかな畏れが生まれていた。きっと次に境界を越えるときは、躊躇いを覚えるだろう。  話を聞いただけだというのに、心持ちが変化するのは興味深いことだ。聞くだけで何か起こる怪談というものも巷にはあるらしいが、そういう噂が生まれるのも頷ける。  シャッターを切る。  あの女の子が佇むのは、ここではない。  その次は、沢づたいの道に入った。ガードレール下を流れるせせらぎを聞きながらしばらく歩くと、軽自動車が一台ぎりぎり通れる程度の、細いコンクリートの橋が見えてくる。  子どもの頃は渡れたのだが、今は錆びた鎖が立ち入りを禁じていた。  橋を渡り切った先が森になっている。昔あった道は、もう使う人もいないのか、背の高い草と蔦に飲み込まれてしまっていた。  シャッターを切る。ここでもない。  ここではない、と思いながらも、落胆はわずかだった。  なぜだか、あの子に近づいている、という感触があった。同時にあの子の像はより鮮やかさを増していた。浴衣に堂々と咲いた白菊のしっとりとした質感、風車がカラカラと回る軽い音の快さ。口元にかすかな笑みが浮かんでいるのもわかる。  早く、会いたい──  これだけ思い出しながら、森の前で佇んでいる以外の像が出てこないのが奇妙といえば奇妙だ。  しかし違和感を孕みつつも、胸の高鳴りは止まらないのだった。  沢から離れて、またしばらく行く。  次の目当てに向かっている途中、田畑の中に、林を見つけた。  木がまばらなわりに暗い場所だ。地面には落ち葉が深く堆積し、長いこと誰も踏み入っていないのがわかる。陽が届かないせいか木々の幹は濃くしけり、湿った空気がこちらに流れてきていた。  林の手前には、軽くまたげる程度の土の堀があり、水がゆるゆると流れている。古い灌漑用水ではないかと思われた。水面には木々の暗い影が落ちている。  橋のかわりにか、古びた木の板が渡されていた。  どきりと胸が鳴った。  あの森に似ている。  シャッターを切る。吐き出されたフィルムを手に、現像を待ちながら、林に近づいてみた。木の板に足を乗せ、少し体重をかけてみる。板がかすかに軋む。  似ているが、ここではない──気がする。あの森はもっと深く、暗い。  フィルムに像が浮き上がってきたのを軽く確認し、その場を離れようとした。足を踏み出しかけたとき、視界の端に、小さな赤い点が引っかかった。  なんだ、とフィルムを改める。  木の板の橋を渡った袂、地面に、一輪の花が咲いている。  いや、違う。風車が刺さっている。  だが、そんなものは、あっただろうか?  私は気が動転していたのだろう。  林を振り返ろうとして、木の板から足を滑らせていた。
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