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足を用水に突っ込んだまま、しばし身動きが取れずにいた。
水がひたひたと、足元を流れていく。
板の袂には湿った土の地面があるばかりだ。風車など、いくら視線をさ迷わせても見つからない。
さっき撮ったばかりの写真を、私は足を滑らせた拍子に取り落としていた。フィルムは裏返しになって草に引っかかり、水の流れに揺られている。
その写真を確かめる勇気が、私にはない。
頭の中に冷たい水が流れ込んでくるようだ。身体は知らずのうち、かすかに震えていた。
深い森と、浴衣の女の子。
さかいめの話を聞いた日から、浮かぶ情景。ここ数日、ずっと焦がれて、探していた場所。
だが、私は思い出していた。
その記憶は私のものではない。
私はあの森に行ったことも、女の子に会ったこともない。
私は顔を押さえた。取り戻したばかりの違和感が、ほどけて消えていきそうになる。まるで目覚めてから夢が遠ざかっていくときのように。
頭の中に、何かによって差し入れられた情景が、記憶に成り代わろうとしている。
本当の記憶とのさかいめが、曖昧に溶けていく。
助けを求めて視線をさ迷わせる。目の前にある林、先程まで胸を高鳴らせていた場所が、恐ろしい。足を踏み入れてはいけない場所、越えてはならない境界の先。
私は今、さかいめの真上にいる。
用水路から飛び出そうとしたが、底に堆積した枯れ葉に足を取られた。何度も滑りながら道路に這い出す。私が暴れたせいで、写真はゆるい流れに乗って移動しはじめた。追いかけてくるような錯覚に、流れとは反対の方向へ走り出す。
靴に入った水が鳴った。かまわずに走った。
しかしどれだけ走っても無駄だ。
この故郷で、森はそこかしこにある。
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