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気付けば十五時に迫っていた。約束の時刻はまだだが、油断して超過するのも気が引ける。
今後の動向を少しだけ考え、五分ほど経過した所で諦めた。
感謝を告げたい相手はまだいる。しかし、一軒ずつ回っていては、二十四時間を足されても足りない。それなら、今止まっても差ほど変わらないだろう。ならば最後は、少しでも長く育ててくれた母と共に。
庭に入る頃には、心が磨り減っていた。普段増しで偽り続けたのだ、疲れは必須と言えよう。
最期の瞬間を思う度、怖さが積もってゆく。本当は、一秒ごとに変わる心内を暴露してしまいたい。けれど、それは出来ない。私はそういう人間だから。
「帰ったよー!」
扉を開きながら帰宅を告げる。母が急ぎ足で部屋から出てきた。茶々は既にスタンバイ済みだ。
気丈な態度で笑ってみせる。母も同じく笑ってくれたが不器用が滲んでいた。
「おかえり」
「いい匂いがするね」
「ご飯作ってたの、いつでも食べられるように」
「そっか! そういや昼食べ損ねたからお腹空いたー」
日頃から見ている光景なのに、懐かしき日々を思い出す。小学生の時は特に、こうして母が出迎えてくれるのが好きだった。
「もう少しでてきるから待っててね」
「うん」
完成を急ぐためか、母は早足で去ってゆく。背中を見ながら、私は茶々を抱き上げた。
「……私、貴方より先に死ぬなんて思ってなかった」
姿形は変わらないものの、茶々は老犬だ。小学生の時から共に過ごしている。
「……もっと好きなことたくさんして、やりたいことにもたくさん挑戦して、幸せって思いながら生きてれば良かったな」
茶々はじっと私を見た。尻尾は不思議と垂れ下がっている。
「……なんて、そんな状態で死にますって言われたら、それこそ絶望しそうだけど……。でもね茶々、後悔ばかりだよ。今更死にたくないなんて思っちゃってるんだよ……馬鹿だよね私……」
今日一日で、いや今日という日を跨がずとも分かっていたはずだ。
今の生き方じゃ、死ぬ間際に後悔すると。
「茶々も、私と生きてくれてありがとう……」
最期の晩餐は、記憶にない豪華さだった。昨日もだが、今日は更に凄みが増している。
所々、塗装の剥がれた椅子に腰掛ける。添付する調味料を忘れたらしく、母は座りかけて翻った。
背中が遠ざかる。視線を移動すると、十六時を指す時計が視界に入った。
「……ありがとう」
振り向いた母は、穏やかな笑みを飾る。
「ううん、たくさん食べてね」
「ご飯もだけど、ここまで育ててくれてありがとう。それとごめん」
目を見て伝えると、母親の口角が下がった。だが、すぐ元に戻る。
「……ううん」
涙を堪えた苦笑が見えたが、すぐに背中にすり替わった。調味料を取りに行く、後姿は震えていた。
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