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しばらくその場で動けなくなっていたけれど、ようやく立ち上がり、リビングへ足を進めていくと、どくんと胸の奥深くが疼き出す。
あのドアの向こうで、俺は父さんを殺した――
右手をぎゅっと握りしめ、その領域へと足を踏み入れる。
身体が震えだしていた――寒いからじゃない、あの日ナイフを持った手で父さんを刺した感触が、じわりじわりと蘇ってきて、右手が疼くんだ――……。
「ねえ、父さん……もういい加減にしてよ。母さんに暴力を振るわないでよ。苦しいよ……。ねえ、もう辞めてよ。抵抗しないからって何をしてもいいわけないのに……。母さんは、俺が守るんだ……」
「お前、俺に口出しするのか!?」
「このままじゃ、ただの生き地獄だ……」
「この野郎……誰のおかげで不自由なく生きられていると思ってるんだ」
「それでも、こんな息苦しい毎日なら、ない方がマシだ……」
「このクソガキが……」
初めてだった――今まで父さんのすることには見て見ぬふりをして一度だって声を上げたことなんてなかったのに、もう無理だった――……。我慢の限界を超えていた――……。
そして、父さんが初めて俺に向かって拳を振り上げた瞬間――目の前で母さんが勢いよく吹っ飛ばされたことに気づいた。
「この、ヤロ……このクソ親父! お前なんか、地獄に堕ちろ!」
「大地!」
俺は我を忘れて母さんの声さえも届かないまま、隠し持っていたナイフをきつく握ると、父さんに向かって深く突き刺していた。
「お、お前……」
「苦しいだろ? もっと苦しめばいい……。母さんの苦しみはこんなもんじゃないんだ。それをずっと黙って見ていた俺の苦しみも……あんたなんかに絶対分かるわけない!」
「くそっ……いてぇ……」
苦しそうに顔を歪める父さんを見つめながら、更にナイフを押し込んでいく――……。
「くはっ……」
口から吐血をして、俺に向かって助けてくれと懇願するように手を伸ばす父さんに向かって、「ざまあみろ」と小声で言ってやった。
そして、息絶えていく父さんをしっかりと見届けてやった。
「やっと自由になれるね……母さん」
「大地……」
「俺、母さんを守れたかな?」
その問いかけに、母さんは何も答えることなく、ただ泣いていた。
きっと、それが答えだったんだと思う。
自分の息子が実の父親を殺す瞬間を止めることが出来なかった責任を感じていたのだろう――……。
でもね、母さんがそんなこと感じる必要なんてないんだよ――だって、俺は自分の意思で父さんを殺したのだから――。
右手を爪が食い込むほど握りしめながら、俺はあの日のことを思い出していた――。
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