季節の忘れ物

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「はい、どうぞ、こちらのカバンですね、中味を確認してください。大丈夫ですね、じゃあこちらの受け取り証にサインをお願いします、もう失くさないように気を付けて下さいよ、ありがとうございました」 ここは県内で一番大きな駅、東北新幹線が止まるのが駅長の自慢だ。そこの構内に設けられた遺失物取扱センター、周辺地域の駅で届けられた忘れ物を集積して保管している。 俺は担当の駅員、日々色々な忘れ物を預かり、仕訳し、探しに来た人に手渡している。 今はゴールデンウイークが終わって二週間ほどたった平日の夕方。観光客の忘れ物探しが一段落して一息ついた所だ。でも、もうすぐ一年でもっとも傘が集まる季節、梅雨がやって来るかと思うと気が重い。 ここに集まる品物の一番は傘、これはもう圧倒的だ。あと定期券にカバン、携帯電話、鍵。冬場は手袋にマフラーも多い。 「今年は春が遅いなあ、どうなってるんだろ」  先輩の斎藤さんが窓の外を眺めてぼそっと呟いた。俺も書類書きの手を止めて窓の外を見る。遠くに見える山々が枯れた色のままだ、いくら北国とは言え、もうそろそろ芽吹いても良い頃なんだけどな。 「いつもならゴールデンウイークにはきれいな新緑になっているんだがなあ」  斉藤さんの声に、俺はゴールデンウイークに観光客から言われた「新緑の山々の景色を楽しみに来たのに、期待外れだったわ」の嫌味を思い出した。確かに駅の観光ポスターには、きれいに萌える山の写真が使われている。でも季節の進み具合ばかりはな、一駅員で遺失物係の俺に言われてもと思うがなあ。 「すいません」  窓口から声がする。いけない、お客さんだ。  窓口には若い男が立っていた、髪はぼさぼさで痩せて黒縁メガネを掛け、絵具で汚れた白衣を羽織っている。芸術系の学生だろうか。 「あの、絵具箱を落としたんですけど」 「絵具箱ですか、大きさや材質は?」 「木製で、ミカン箱より一回り大きい位の箱なんですけど。表面に絵具が付いてます」 「それって、もしかしてこれかなあ」  斉藤さんが棚に置いてある忘れ物の中から重そうな木箱を窓口に持ってきた。 窓の外の山々を縫うようにして走るローカル線の小さな駅から届いた忘れ物だ。 「あ、それ、それです、良かったあ。これで神様に叱られずに済む。御存じでしょ、神様。上司なんですけど、皆さんの前では鷹揚な態度で尊敬されてるみたいですけどねえ。部下に対してはとても厳しいんですよ。絵具失くしたなんて知れたらどんなに叱られる事か」 男は嬉しそうにそう言った。 神様が上司って何のことだ。みんなが当たり前に知っているように話しているけどどういう事だろう、ちょっと頭がおかしいのか。それとも業界では神様扱いされている有名な画家の弟子で、世間のみんなが当然知っていると思い込んでいるんだろうか。 「すいません、中味を確認していただきたいんですが。これどうやっても開かなくて」  斉藤さんだ、確かに届いた時中を確認しようとしたら、留め金が固いのか開かなかった。 「ああ、これは人間がいくらやっても開きませんよ、僕しか開けられません」  何だろう、普通の留め金に見えるけど、特殊な指紋認証錠でも使っているんだろうか。 「じゃあ、開けて中を確認してもらえますか」 「本当は人に見せちゃダメなんですけどね」  男が留め金に触れると蓋がすっと開いた。 中を見ると、確かに絵具が入っている。それもラベルを見ると緑系統ばかり何百、いや千本近く入っているだろうか「これ全部違う色なんですか」俺がそう聞いたら、当たり前のように「そうですよ、これでもごく一部、季節によって入れ替えます」と男が答えた。 「これで、間違いないですね。良ければ受け取りにサインをお願いします」  俺がそう言うのと同時に頭の上から荘厳な低い声が響いてきた。 「こらあ、何サボっとるかあ」 「やべえ、神様だ」  男は絵具箱を抱え「確かに受け取ったから。ちょっと急ぐんで」と焦った様子で言うと、背中から巨大な白い翼を生やした。  男は翼を二、三度羽ばたかせて上空に飛び立ち、山並みの方角へと飛び去って行った。 「受け取り証どうします」  俺は呆然としている斉藤さんに聞いた。斉藤さんは首を振ると、黙って書類を破った。  翌朝、山を見たら一面新緑に輝いていた。 あの絵具はこのための物だったのか、本当に神様が上司だったんだ。  俺はそう思い、昨日男が飛び立つ時に落ちてきた羽根をポケットから取り出す。 春夏秋冬、四季の絵具が所々に付いた美しい羽根と、様々な緑色でパッチワークされた山並みを見ていたら少し幸せな気分になった。 了
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