笹谷さん

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笹谷さん

 それから暫く、僕は帰宅時間を遅らせようと、学校終わりに図書館に通っていた。  本の匂いと静けさは、心を落ち着かせる。高校受験間近ということもあり、将来は本に携わる仕事も良いかもしれないと考える。  冬は日没が早く、一日が短く感じると共に、そこに時間の尊さを感じる。もうこんな時間かと外に出れば、首に触った空気の冷たさに思わず肩の筋肉が強張った。 「ねえ」  急に背後から声をかけられ後ろを向くと、そこにはクラスメイトの笹谷(ささや)さんが立っていた。  制服に黒のダッフルコート、首もとに巻かれた金糸雀(かなりあ)色のマフラーは、絶妙なバランスをもって彼女の華やかさを引き立てている。いつも周囲の友達と楽しそうに過ごすハツラツとした彼女は、いわゆる僕とは真逆の人間だ。  そんな人が何の用だろうと思っていると、笹谷さんの手には見慣れたノートがあった。 「これ、三上くんのだよね?」  僕は、差し出されたノートを慌てて受け取った。 「ありがとう。……中、見た? 見てないよね」  願望を込めて問えば、「ん? ちょっと見ちゃった」と悪気なく笑顔で言われ、血の気が引く。  このノートは趣味用のノートだ。読み終えた本の感想や、良いと感じた表現などをメモしたりする、読書の記録ノートのようなもの。僕にとっては日記のようなものだ。 「あれれ。どうしたの? おーい、三上くん、大丈夫?」  笹谷さんは大袈裟に僕の目の前で手を振ってみせ、少し笑いながら僕の精神的生存確認を行っている。  どうしてこんな大切なものを忘れてしまったのかと激しく後悔をする。 「気にすることないじゃん。良いじゃん、文学少年。私、文字とか読めないからさ、三上くんが読んで面白いと思った小説のストーリーとか、これから私に教えてよ」  思ってもみなかった提案に、うまく返事を返せない。 「そういうことだから、さっそく明日一緒に帰ろ」 「え、あ、え?」 「じゃ、また明日」  僕が戸惑っているうちに、笹谷さんは走り去ってしまった。薄暮と彼女のコントラストは、確かに僕の胸を動かした。  笹谷さんは次の日の放課後、本当に僕を誘いに来たのだった。
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