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「その店でピアノ弾かない?」
言葉を聞いて彼女も立ち上がって、振り返ると僕を見詰めて「それってビジネスパートナー?」と聞いている。光の前に有る彼女の瞳がとても強い。
「普通にパートナーになれたら嬉しいんだけど」
ふと彼女は笑って「これは催促したかな?」と言うので「違うよ」と返した。
すると今度は娘ちゃんを抱っこして「思い付き? だったら気を付けなよ」と聞くので「思い出したんだ」と返したので彼女が首を傾げた。
「俺って忘れっぽいんだ。忘れてた。自分の想いも。昔に忘れてた、忘れ物は君への恋心だった」
あの頃の僕は彼女に恋をしていた。そんな事さえ忘れてしまっていた気分。だけど、その恋は一度も終わってない。告白さえもしてないのだから終わらない。忘れない。
十数年の時を超え僕はやっとあの時の忘れ物に手を伸ばしていた。
「だけど、この子も居るんだからね。それはちゃんと考えて」
彼女は自分の事だけじゃなくて、娘ちゃんを抱きしめて聞いている。そのくらいは解っている。そんなに直ぐ忘れない。
「もちろん。父親になりたい。そんな風に思わないなら君にこんな事を言わないよ」
娘ちゃんが僕たちの話を理解しきれなくて、キョロキョロとしている。そしてついに「どうしたの?」と彼女に聞いてた。
「難しい話だね。でも、ちゃんと説明するよ。時間掛かるけど。その時はおっちゃんも一緒にね」
嬉しい顔に涙が意外と似合っていた。笑い泣きする彼女がとても美しく思えていた。
娘ちゃんはまだ解らないらしくて、僕のほうを見ていたが、それが急に明るくなって振り返った。
新しい日を告げる太陽が姿を現している。僕たちのこれからを照らして祝福するように。
だから娘ちゃん「わー!」っと歓喜の声をあげながら彼女の事を呼んでいる。そこに僕も寄り添って三人でお日様を眺めた。僕の知っている一番明るい星が浮かんでいる。
「私もこの思いを忘れ物にしてたんだよ」
僕の話に合わせる様に彼女がそっと呟いた。そんな想いが有ったことなんて忘れるどころか、知らない。だけど、これから忘れなければ良い。
「今日が忘れられない日になった気がする」
「君の事だから憶えてられないじゃないの?」
軽く馬鹿にしているみたいな言葉だけどそこにはちゃんと愛が有る。
「忘れんよ」
おわり
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