星座表をこれから記憶しようなんて懐うからね

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「こんなに直ぐにお客さんになってくれるとは思わなかった」  カウンターでノンアルコールで音楽を聴いていた僕の元に、音休みになった時に彼女が寄ってくれた。 「ピアノを弾くなんて知らなかったから、聞こうかと思って。こういう時は君にも飲んでもらうの?」  これは忘れていた訳ではない。彼女のそんな一面なんて元から知らなかった。  それは彼女も解っていたみたいで「意外? いただきます」とお酒の様なグラスを用意して飲んでいた。アルコール分が無いのが解るのは弱い僕だからだろうか。 「小さい頃からこれだけは辞めなかったんだ。それこそ君と同じ塾だった時も、大学も」 「そうなんだ。もう、十五年かな。高校の時の話だから。忘れてなかったんだ」  周りに人が居なかったからちょっとだけ昔話を挟んだ。お酒も無いのに。 「お互い歳を取ったねー。折角二人ともあんなに勉強したのに、今はこんな仕事なんだね。聞いて良い?」  それは僕がどうしてバーテンダーになってるかと言うことだろう。有名な進学塾に遠くから通っていたのだから当然でも有る。あの時の知人はバリバリ有名企業で働いているのだから。 「就職して五年で挫折したんだよ。良くある話だ。そして今の店に拾ってもらった」  これだけで「ふーん」と彼女は納得していた。まあこのくらいは予想していたのかもしれない。そして「逆に聞いて良いか?」と僕は尋ねる。否定する言葉はなかった。 「表通りのファストフード。無休だから待ってられる?」  それはどこにでも有る店で、僕も時折ジャンキーなものが食べたくなった時に利用している。この店の営業時間の終わりも近かったから、プライベートな話は店員と客が終わって、知人としてと言うことだろう。  辺りのスナックがまだ開いている時間に、彼女は急いだ様子で現れると、 「待たせちゃったね。お客さんが途切れた時に帰らせてもらおうとしたら、今日に限って居座る人が居て」  僕が忘れていた笑顔を輝かせながら、彼女は答えていた。それに対して「仕事は良かったの?」と返してみる。  一応気を使ったのだが、それも心配がなかった様で彼女も良く閉める前に帰っているのだと言う。それは「今の仕事の理由も有る」と付け加えていた。 「私もそれなりに良い生活をしてたんだよ。一流の大学とそれなりの会社でバリバリ働いて、そして結婚。それが間違いの始まり」  忘れているくらいに久しぶりに会った僕に、彼女は自分の事を気にすることもなく話している。それは僕が久しぶりで、また忘れるくらいの関係だからなのだろうか。 「子供が生まれて、仕事を辞めて、そうして夫婦喧嘩が絶えなくなった。それから離婚。そうなると子供と二人食べるには、今みたいな仕事が簡単だったんだよ」  すんなりと一通りの事を聞くと「ちょっと驚いた」と僕は彼女の人生の事を思っていた。  彼女は僕より忘れるくらいの昔は成績が良かった。普通にまだ良い生活と言うのが難しい訳じゃないだろう。でも、それも彼女らしいって言えばそうなのかもしれない。 「養育費とか丸っと請求して、親元に戻ってたら今みたいにならなかったんだろうねー。でも、意地っ張りだからこんな苦労してる」 「その意地で勉強を続けられるって昔も話してたからね」  僕の言葉を聞いて彼女が目を丸くして「良く覚えてるね」と言うので「忘れてたけどね」と笑うと彼女にも伝染った。 「なんか、君とこうして話してると、昔に戻ったみたい」 「そんなに二人で話したことも無かったけどね」  塾は受験までの一年間だけで、それも元々は知らない者同士だった。そんなに仲の良い時間が多かった訳ではない。なんとなくそのくらいは忘れてない。  しかし、彼女は僕の事を見てから、窓の外を眺める。冬の朝向かっている街並みには人通りなんて無い。けれど、彼女が眺めていたのはもっと上の方だった。 「保育園のお迎えにでも参ろうかな。ちょっと付き合いなさいよー」  いつまでも楽しそうに彼女は言うと「ちょっと子供の顔を見てみたいな」と僕は簡単に承諾した。  単なる興味だった。彼女の子供と言うのはどんな姿をしているのだろうと。でも「私の娘は可愛いんだよっ」と彼女はステップしながらまだ夜を忘れない道を歩いていた。  建物から賑やかな声が聞こえる。彼女と幼い子供の笑い声。とても楽しそうでそこには確かに幸せが有った。
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