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「じゃあ、アレには叶わないけど。ちょっと寄り道しようか?」
僕たちは繁華街から離れて、海辺の公園に歩いた。
忘れたい過去に仕事に疲れてこの場所で黄昏たことが良く有った。あの昔の星空を思い出していたのかもしれない。公園に付くと娘ちゃんは「海ー!」と喜びながら走り回っていた。
海岸までたどり着いて僕が空を見上げると、彼女たちも上を向いた。そこには申し訳ない程度の星が浮かんでいる。
街頭や街の明かりが有るからやはり小さな星は観えない。けれど、それでも十分だった。
「お母さん! 綺麗だよ」
娘ちゃんが彼女の腕を引っ張って、喜んでいる。しかし、その時に彼女の瞳には星の様に光るものが有った。
「なんか昔を思い出しちゃったな。あの頃は楽しかった」
少しセンチメンタルになった様に彼女が呟いている。その横顔はとても美しい。昔からずっと忘れなかった事だ。
娘ちゃんがずっと星を見て遊んでいるので、彼女は近くのベンチに座って、隣を叩きながら「明るくなるまで話そうよ」と言う。こんなの断れるはずもない。
僕たちは跳ねるように遊んでいる娘ちゃんを眺めながら、星空の下のベンチに並んで座った。
「昔を思い出しても仕方がないよ。これからの事を考えないと。俺は忘れっぽいからそうしてるんだ」
さっきの懐かしむ彼女のちょっと切なそうな言葉に僕は返事をしていた。でも、その時にはもう彼女は笑顔になっている。
「これからか。そーだなー、取り合えずお昼の仕事を探さないと。あの子来年から小学校なんだ。夜に働いてたらダメでしょ?」
聞かれているので、ちょっと考える。確かに難しいだろう。
今は保育園だから昼夜逆転の生活でもどうにかなる。だけど、学校となるとこうはできないだろう。簡単な問題ではない。
「元々のスキルを生かしたら普通に稼げるんじゃないの?」
彼女には学力が有る。それは一応僕たちが必死になって身に着けた武器でも有った。
「どうだろうね。普通の会社は履歴書を見たら雇いたくないんじゃないかな。私は安月給で働くのも覚悟してるよ。その為に貯金もしたしね」
この時に彼女は言葉にもしなかったけれど、僕に一つ残っていたものが有った。
「ピアノはもう良いのか?」
「うん。この仕事をしてみて、案外私はピアノが好きだったって再確認したけど。まあ、子供のためだから」
彼女のピアノを弾く姿はとても美しくて、そしてなにより、楽しそうだった。
もちろんピアニストなんて事を言うのではない。でも、ピアノに関わる仕事だったら彼女も楽しめるんじゃないのかと思っていた。
「好きなピアノに関わる仕事ってできないんだろうか」
「考えたよ。普通にピアノの先生とかって良いと思ったけど、あれも結構難しい。運良く指導できる資格は有るけど、自宅開業なんてできないし、勤めるのは狭き門だよ」
すんなりと彼女は答えを言うので本当にちゃんと考えているのだろう。こうなると僕からの言葉なんて無かった。
星が段々と消えている。街が明るいんじゃなくて、海の向こうにもっと強い光が浮かび始めた。群青の空が徐々に青みを増している。
「いっその事、誰か好い人でも居ればなー。共働きのパートくらいなら楽なんだけど。そんな優良物件も子持ちには居ないし」
明らかに冗談のトーンで彼女が話していた。だけど、僕はその言葉を真剣に聞いている。
娘ちゃんが遠くに昇る太陽の光を見付けて「お母さん!」と母親の彼女の事を呼んだ。彼女が娘ちゃんに寄り添ってその光を眺めている。
僕には眩しくて真っすぐに見れない光景になっていた。
とても美しく、儚い様な気がしてた。また居なくなって、忘れてしまうのかと。
「俺さ。今のバーを辞めて喫茶店を始めようと思ってるんだ」
僕は立ち上がると眩い彼女たちに向かう。
「へー、そうなんだ。望むなら良いことじゃん」
彼女は話の脈略が解らないなりにも返事をしてくれる。
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