プロローグ

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プロローグ

「どうだ? 営業はもう慣れたか?」 憧れていた下着ブランド『ルージュ』に入社して半年、春風(はるかぜ) 伊織(いおり)は職場の先輩達に誘われ、仕事帰りに駅前の居酒屋に来ていた。テーブル席で隣に座り、ビールジョッキを片手に2年先輩の(さかき)が尋ねる。 「まだ少し不安はありますけど、何とか…」 「春風なら大丈夫だって。研修した俺が保証する!」 そう言って微笑み、榊はビールを勢いよく飲んだ。 「ありがとうございます。頑張ります」 「そういえば、酒は飲めないって言ってたのに、居酒屋でごめんな」 「いえ、私はウーロン茶で大丈夫ですから」 伊織はグラスを持ちニッコリ笑って、ひとくち飲む。 春風 伊織、23歳。 大学卒業後、下着ブランド『ルージュ』の営業課に入社。2ヶ月間の研修を終え、現在は取引先や店舗を1人で回り、営業成績を伸ばし始めている営業課のルーキー。 榊 彰二(しょうじ)、25歳。 大学卒業後『ルージュ』の営業課に入社し3年目に入った。伊織の研修担当をし、手が離れた今も気にかけている。営業トップ3の1人。 「そうやって笑うと、ほんと可愛いよな」 「えっ…」 榊の言葉に呆然としていると、向かい側に座った先輩の1人、村尾(むらお)から伊織に質問が飛んで来た。 「春風さんが、ルージュに入社した志望動機は何?」 「志望動機ですか? それは…」 伊織は少し迷い口をつぐんでうつむく。 「気にするな。話してやれよ。俺に話したようにさ」 「なになに? 何かあんの?」 榊は笑顔でそう言い、村尾ともう1人の先輩、竹林(たけばやし)の2人は興味津々で尋ね、伊織を見つめる。 「じゃ、すみません。遠慮なく…」 伊織はそう断りを入れてから深呼吸をし、捲し立てるように憧れていた『ルージュ』に入った経緯と志望動機を話し始めた。 伊織は小学5年の時に事故で父親を亡くし、高校を卒業するまで母親と2人で暮らしていた。高校の3年間はアルバイトをして生活を助け、収入の一部を貯金し、友人と遊びに行く事はあっても無駄遣いはせず、お洒落にも興味はなく、ただ少しずつ貯金をしていた。 大学には奨学金制度を利用して通い、貯金で1人暮らしを始めた。新たにアルバイトを始め、伊織が大学2年の時、アルバイト先の先輩に誘われ、初めて『ルージュ』の店舗を訪れた。 店内に入った瞬間、陳列された色鮮やかで華やかな下着の美しさに目を奪われ強い衝撃を受け、伊織は一瞬で『ルージュ』の虜になった。それまでお洒落に興味がなかった伊織が『ルージュ』の下着を買い身に着けるようになったのだ。アルバイトの収入は生活費と奨学金の返済、そして『ルージュ』の下着を買う為に使われるようになった。 翌年『ルージュ』は新たなブランド『真紅ーSHINKUー』を立ち上げた。『真紅』のコンセプトは『思わず口づけたくなるランジェリー』であり、デザインはもちろんレース使いや生地にこだわり赤色を基調に、大人の色気や美しさを強調したものが販売された。 販売開始されてすぐに雑誌やCMに「恋人との初めての夜に」と取り上げられ、女性達は皆、勝負下着として購入するようになり、あっという間に『真紅』は人気下着ブランドになったのである。伊織は『真紅』で販売されている全てのものを購入するほど惚れ込んでいて『ルージュ』は憧れの企業なのだ。
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