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大学の講義が終われば、サークルなどに所属していない俊司は大抵まっすぐに帰宅する。バスケ部に所属しいっぱい練習して腹ペコで帰ってくる咲のために夕飯を作って待っているのが俊司の楽しい時間でもあった。帰宅して、食卓を見た時の咲の顔を想像すると、それだけで顔が緩む。
甘やかしすぎだ、と言われても仕方ないとは思っている。けれど多分俊司にとって咲の世話を焼くことは、楽しみの一つなのだと最近はそう思うようになった。毎日がとにかく楽しいのだ。
咲の好物であるハンバーグを上手く焼けるようになったことも俊司にとってはよろこびの一つだ。
「ただいまー」
そして、それが焼き上がったタイミングで咲が帰ってくることも、嬉しいことの一つだ。
俊司は今日も笑顔で、おかえり、と咲を迎えた。
「今日はハンバーグだよ、咲」
玄関で咲を出迎えた俊司が咲からカバンを受け取りながら微笑む。咲はその言葉に目を輝かせた。
「やった! もーお腹ペコペコだよー」
今日部活でめっちゃ走って、と咲が靴を脱ぎ、框を上がる。
「じゃあすぐにご飯にしよう。着替えておいで」
「俊司手伝ってよ」
リビングのソファに咲のカバンを置いた俊司に咲が不機嫌な顔で甘える。
「手伝うって、部屋着になるだけだろ? 制服はそのままにしてていいから、ひとりで着替えておいで?」
その間に用意するから、と咲の頭を撫でると、咲がその手を掴んだ。そしてこちらをじっと見つめる。俊司はそれの意図が分からなくて首を傾げる。
「……わかった。着替えて来る」
大きなため息を吐いた咲が俊司の手を離しきびすを返す。そのままリビングを出ていった咲の背中を見て小さく息を吐いた。
最近、こんなことが多い。俊司に着替えを手伝わせるのは毎日だが、二人暮らしになってからその回数が増えた。手間ではないので手伝うこともあるが、それでも少し多い気がしていた。まるで、自分の裸を見せたいようで少し困る。
「……いや、考え過ぎか」
俊司は自分の考えにそう結論付けて夕飯の準備に戻っていった。
二人きりの夕食には大分慣れて来たのだが、四人掛けのダイニングテーブルで咲がなぜか隣に並んで座りたがることだけは慣れずにいた俊司にとって、毎週この時間に掛かってくる一本の電話だけはほっとするものだった。
「あ、義母さんかな?」
家の電話が鳴ることは滅多にないので俊司がそう言うと、咲は急に表情を険しくさせる。
「出なくていいよ」
「いや、そういうわけにはいかないだろ。心配させちゃうよ」
咲に微笑んでから俊司が立ち上がる。咲はその様子を見ながら、せっかく俊兄と二人きりなのに、とため息混じりに零したことは、聞かなかったことにして、俊司はリビングのサイドボードに置かれた電話の受話器を取った。
電話の向こうから、義母の優しい声が聞こえる。
『俊司くん? 元気にしてる? 困ったことはない?』
「はい。義母さんも疲れてないですか? 無理しないで、親父なんか放っておいていいんですよ」
『こっちは大丈夫よ。咲は……元気?』
やはり自分と一緒とはいえ残してきた咲が心配なのだろう。俊司はその言葉を聞いて、代わりますね、と咲に受話器を差し出した。
「ほら、咲」
俊司に言われ、咲は仕方なさげに立ち上がり受話器を受け取った。
「母さん、もう電話いいから。てか、この時間やめてよ、マジで。そっちだって早朝なんだろ? つか、どうしても掛けたいならオレのスマホにしてよ、夜中でいいから」
じゃあ切るよ、なんて咲が言うので俊司は慌てて咲から受話器を取り上げた。
「ちょっと、義母さんに用があるんだ」
受話器を取られた咲が不機嫌な顔を向ける。俊司はそれを笑顔で受け止めてから、受話器を耳に当てた。
「すみません、なんか咲、機嫌悪いみたいで」
俊司がそう言うと、すぐに義母が、そうみたいね、と笑った。
『俊司くん、毎日あんなワガママな咲の世話を焼かせてしまってごめんね。大学も忙しい時期でしょう? あなたの言葉じゃないけど、あんな息子、放っておいていいのよ』
「いや、それは平気です。毎日楽しくやってますから」
言いながら咲を見れば、まだ機嫌が悪そうだった。ぶすっくれた顔をしながらダイニングテーブルに戻っている。
『そう、ならいいけど。咲ね、俊司くんのこと、本当のお兄ちゃんみたいに思ってるのよ。だから、仲良くしてあげてね』
「はい……出来る限り、咲の兄になるつもりです」
義母は俊司の言葉に安心したように、そう、と答えると、また掛けるわね、と電話を切った。
出来る限り、兄になりたい。ただ、咲が本当に自分を兄にしてくれるのかは、わからなかった。
「俊兄、ごちそうさま。ありがと」
咲は素早く食事を終え、さっさと皿を台所まで片付けてから、二階の自分の部屋へと入った。まだイライラしているのだろう。確かにまだ反抗期と言ってもいい歳ではあるのかもしれない。けれど、それにしたって母親に食事の邪魔をされただけでこんなに不機嫌になるのは、少し幼いかもしれない。
でもこれが、『兄との』食事ではなくて、『好きな人との』食事ならば話は別だ。
「どうしてやればいいのかわかんないよ……」
俊司は小さくため息をついてから食事の片付けを始めた。
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