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というわけで咲が迷惑がってるかもしれないんだよ、と俊司が真面目に話すと、テーブルを挟んだ向かい側で話を聞いていた真部は、食べていたカレーを吹き出しかけ、大慌てで飲み込んだ後、可笑しそうに声を上げて笑った。
「そんなに笑うことかよ」
真部は俊司にとって唯一の親しい友人だ。争いごとが苦手な俊司は敵こそ多くはないが、その分親しい友人も少ない。自分が咲のことまで話しているのはこの真部くらいだ。だからそんな真部にこんな豪快に笑われては拗ねたくもなる。
「いや、だって……そういうの覚悟で今まで咲くんのこと構ってるんだと思ってたから、今更? とか思うと可笑しくて」
「咲は嫌がったこと一度もないんだよ」
「そりゃバスや電車の手間を考えれば誰だって嫌だとは言わないだろ。でもお前の弟好きは異常だからな」
「……今日、俺、異常って言われるの二人目なんだけど」
そういえば宮崎にも異常に目立つ、なんて言われたなと思うと、俊司は余計にへこんで、箸を置いた。それまで食べていたコロッケ定食はまだ半分ほど残っているが、咲のことを考えるとそれだけで胸がいっぱいで食べられる気はしなかった。
「仕方ないだろ、異常なんだから」
憂鬱になる俊司の皿からコロッケをひとつ攫いながら真部が言う。
「……咲への気持ちは異常じゃないよ」
「ずっと欲しかった可愛い弟が出来て嬉しいんだっけ?」
真部の言葉に俊司は頷いた。その通り、本当に弟という存在が出来た、それが嬉しいのだ。
当時中学に入ったばかりだった咲は、キレイな顔のつくりはしていたものの、誰がどう見ても反抗期真っ只中の男の子で、仲良くなれるかどうか不安だった。けれど咲は自分にもすぐ懐いてくれて、俊兄、と呼ばれるのも本当に嬉しくて、宿題を教えたり、一緒に出かけたり、それは楽しい毎日だった。生活能力が低くて、母親に手間を掛けさせている姿を見て、その役を自分が買って出てからは、咲は益々俊司に甘えるようになった。俊兄これが出来ないんだ、俊兄これ手伝って、俊兄ありがとう、やっぱりお兄ちゃんっていいな――そんなふうに言われると、なんでもしたくなるほど可愛いと感じた。本当の兄弟になりたいと本気で思っている。ただ、咲の方も同じなのかは、自信がなかった。
もしかしたらと感じ始めたきっかけは、ある夜だった。試験勉強を一段落して、一息つこうとイヤホンを外して聞いていた音楽を止めた時だった。隣の部屋から、咲の細い声が聞こえた。咲だって年頃、性欲の処理をすることくらいあるだろうとは思っていた。聞いちゃダメだ、いくらなんでも義理の兄には聞かれたくないだろう――頭では分かっていたけれど、興味もあって、俊司は耳を傾けてしまっていた。
『……んっ、あっ、ぅんっ……俊兄……!』
咲の絶頂を知らせる甘い声が耳に届いた。
けれどどうして自分を呼んだのだろう。そこは恋人や好きな子の名を呼ぶものではないか――そう考えてからふと、気づいた。咲は自分のことを恋愛対象としてみているのではないか、と。
まさかとは思っている。もしかしたら俊司の聞き違いかもしれない。けれど直接聞くこともできなくて、現在に至っている。
「本当に弟なんだよ、俺にとっては。ずっと兄弟でいたいんだ。そう、いられるよな?」
まっすぐ真部の目を見つめ、俊司が聞く。その目に一瞬困った顔をしてから、スプーンを皿に戻した真部は、そりゃなあ、と話し始めた。
「正直、他人の家庭の事情には興味ないよ。でも、お前はそうやって憂い顔で座ってるだけで女の視線集めるようなヤツだから、もったいないと思うわけ」
言われて俊司は顔を上げた。辺りを見回すと、何人かと目が合ってしまった。慌てて俊司は真部に視線を戻す。
「俺、そんなに死にそうな顔してた?」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけどな……もう少し弟から離れて、自分のことを考えろって言いたいだけだ」
真部はそう言うと、ごちそうさん、と言って席を立った。俊司も慌ててそれについて行く。真部の言うように、咲から距離を取ることもいいのだろう。けれど、たとえ向こうが『兄として』慕っていなかったとしても、慕ってくれている内はそれに応えたい――俊司はそう思っていた。
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