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家族四人で暮らしている頃から、週末は兄弟で過ごしていた。それは今も変わらず、土曜日の今日も咲のリクエストで新しく出来たカフェに来ている。しかし、予想通りの混雑で、二人はまだ店の外で並んでいた。俊司にとっては、弟の頼みならば全て聞くつもりでいるので全く苦ではない。咲も自分が来たいと言ったのだし、このくらいの行列は予想していたのだろう。特に機嫌が悪いということもなかった。
「咲、疲れてないか?」
並び始めて二十分ほど経った頃、俊司はずっとスマホをいじっていた咲に声を掛けた。画面をスライドさせていた指を止め、咲が顔を上げる。
「全然平気。それより俊兄の方が辛いんじゃない?」
「そんなことないよ」
「普段まともな運動してないんだから無理しなくていいよ」
咲は口の端を引き上げ、悪戯めいた目でこちらを見上げた。冗談で自分をバカにしているのだろうということはすぐにわかった。けれどその顔があまりに可愛らしく、いつも反応が遅れてしまう。俊司は慌てて、こら、と咲の頭を小突いた。
「毎日お前の世話を焼いて動き回ってるのは誰だ?」
「あはは、そうだね。いつもありがと」
咲がそう言って俊司に笑いかける。昔から、友達が小さな弟妹の世話を嫌々ながらでもしている様子を羨ましく思っていたので、正直高校への送り迎えなんかの世話は自己満足だ。偉そうに言える事ではない。
そんな俊司の心を察したのか、そうでないのか、咲は突然俊司の右手を取った。驚いて俊司が顔を上げる。
「俊兄の手って大きいよね。いいなあ、指長くて。ボール掴みやすそう」
咲は、自分の手のひらと俊司の手のひらを合わせた。自分よりも一回り小さい手のひらは薄く骨ばっているが、整えられたピンク色の爪はやはり愛らしい。やっぱり弟という存在は可愛いものだと思った。
「咲ももう少ししたら、大きくなるさ」
俊司が咲の細い指を握り微笑むと、咲は複雑な顔をして、視線を落とした。
「でも、俊兄よりは大きくなりたくない」
「え、どうして?」
「どうしても! いいじゃん、そんなの!」
咲が顔を挙げ、俊司に握られていた手を拳にして俊司の胸を叩いた。俊司がそれを受け止め、わかったよ、と笑った、その時だった。
近くで、浜元、と呼ばれ、俊司は目の前の咲に視線を合わせた。咲が見ている方向を向くと、知らない男が二人立っている。自分より年下のように見える二人に見覚えがあるのは、どうやら咲の方だった。
「先輩……こんちゃっす」
「お前、これからこの店入んの?」
その言葉に、俊司は眉根を寄せた。可愛い弟が、お前、などと呼ばれているのを見て、やはりいい気はしない。けれど、ここで自分が出ていっては咲の学校生活でトラブルになりかねない。俊司は黙って咲の様子を見守ることにした。
「はい。そうですけど……」
「ちょうどよかった。俺たちも行ってみたかったんだよ、ここ。一緒でいいよな」
咲の返事を聞かず、彼らは咲の前に並ぼうとする。それを、待ってください、と止めたのは咲本人だった。
「一緒は困ります」
「なんだよ、困るって」
咲は不機嫌になる相手の目をしっかり見つめ、もう一度同じ言葉を口にした。毅然とした態度の咲の後ろで、俊司はハラハラしていた。別に二人くらい間に入れてもテーブル席ならば一つだ。周りの迷惑というほどではない。確かにこの二人と同席するのは気か進まないが、俊司ならこの場合は仕方ないと我慢してしまうだろう。
「すみません、後ろの人たちにも迷惑ですし、オレ、今日は兄と話したいことがあって来てるので」
咲は俊司のような態度をとるつもりはないようだ。いつも何でもはっきりと話す方ではあるが、こんなに言い難いこともきっぱりと言える咲が少し大人に見えた。そんなところは咲の魅力の一つなのだろう。自分にはないものを持っている咲は、兄として誇らしい。
「ねえ、俊兄。そう、だよね……?」
ずっと見守っていた俊司に咲が声を掛ける。見上げる咲の顔は、どこか不安気だった。そんな咲に微笑み、俊司は頷いた。
「いつも弟が世話になってるようだけど、今日は遠慮してもらえるかな」
悪いね、と言うと、こちらが年上ということもあったのか、彼らはあっさりと引き下がった。二人が去った後、隣の咲は深く息を吐く。どうした、と俊司が聞くと、ちょっと怖かった、と咲は笑った。
「でも、オレ、俊兄との時間は大事にしたいんだよね」
「咲……」
咲の言葉に驚いて、俊司は咲を見つめる。けれど照れた表情だったその顔は、次の瞬間、可笑しそうに笑っていた。
「なーんて。オレ、あの先輩たち嫌いなんだよ。一年ってだけでバカにするから。オレよりバスケ下手なくせに」
「咲。人を見下すと、お前も見下されるよ」
自分と居たいなんて冗談を聞いて、焦るあまり、咲には少しきつい言葉をぶつけてしまった。好き嫌いがはっきりしている咲が、嫌いと口にすることなど日常だ。普段、俊司がそれを咎めることなどしたことがない。
咲もいつものことだったのに俊司にそんなことを言われ、驚いた顔をした。そして、次第に表情を暗くしていく。俊司から視線を外し、足元を見つめる咲に、俊司は何かフォローしようと口を開いた。けれど先に言葉を発したのは、咲の方だった。
「……だったら、人を好きになったら、オレも好きになってもらえるの……?」
独白のような言葉に、俊司の言葉は詰まる。どう答えたらいいかわからず俊司が視線を泳がせていると、店内から店員が顔を出した。
「二名のお客様、どうぞ」
その言葉に咲が、はい、と答える。上げた顔はいつもの元気な咲だった。
「俊兄、行こう。ここのワッフル美味しいんだって」
さっきの翳りなど自分の幻覚だったのではないかと思うほど、いつも通りに戻った咲は、俊司の腕を引いて店内へと入っていった。あの一言が気にならないわけではないが、当の咲が引き摺った様子もないので、俊司は忘れようと決め、咲に付いて行った。
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