オレたち、付き合い始めたから

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「セーターも着ねーで、寒くねーの?」  健人が不意にアタシの腕に触れた。  温かい手だった。 「冷たくなってんじゃん」  半袖の中にまで指を這わせてこようとする。  背筋がゾワゾワするのに、なぜか不快に感じない。 「触らないでよ」  振り払うと、健人はパッと両手を上げた。 「これは失礼」  芝居がかった調子で謝ってくる。 「カノジョの前で他の女触るとか、何考えてんの?」  訳もなく、鼓動が速くなっている。それを隠したくて必死になった。 「へえ?お前は嫌じゃなかったんだ?」 「馬鹿じゃないの?鳥肌立ってるから」 「どれ?」  アタシの腕を覗きこんでくる。  本当に、苦手だ、この男。アタシのこと全部、見透かしてるみたいで。 「ほら、貸してあげる」  里奈がアタシの後ろからカーディガンを羽織らせてきた。  里奈の家のにおいがする。喋りだすと止まらないおばちゃんと、おばちゃんの話を聞くために生まれてきたみたいなおじちゃんと、サッカーバカの里奈のお兄ちゃん。  嫌いだ。里奈の家に行くと、惨めな気持ちになるから。 「いい、大丈夫」  突き返したら、健人に取られた。  こいつもアタシに着せてくる気かと身構えたけど、奴は何を思ったのか、自分の腕をそのカーディガンに通した。 「やめてよ、伸びちゃうじゃん」  里奈が笑いながら怒る。  やけに嬉しそうだ。 「これ、里奈の匂いがする」  袖口のあたりを嗅いで、健人がヘラヘラしている。  何だろう。すごいムカつく。 「返して」  立ち上がって、健人からカーディガンを脱がしにかかった。奴の背後に回った時、柑橘系の匂いが強くなった。  生意気にも香水を付けているのだ、この男は。そのせいで、知りたくもないのに健人の居場所がすぐに分かる。 「返しても何も、私のだからね?」  里奈が冗談めかして指摘して、さりげなく健人とアタシを引き離した。アタシに代わってカーディガンを脱がしてやっている。ヤキモチでも妬いたのだろうか。 「はい」  改めて、カーディガンを差し出してきた。  仕方なく、受け取って着る。 「わり、オレのにおい付いちゃったかも」  健人がニヤニヤして言う通り、シトラスの香りが移っていて、まるで健人と密着してるみたいだ。 「最悪」  口ではそう返しながら、里奈の家のにおいが消えていることに、内心ホッとしている。 「というわけで、今度ダブルデートしようね」  健人がにこやかに里奈に囁いた。  何が『というわけで』なのかは分からないけど、こいつのこんな顔、初めて見た。嘘みたいに優しい顔。 「ダブルデート……?」  里奈はアタシの方をチラッと見て、少し躊躇う表情を見せた。  里奈は嫌だろう。アタシのカレシのことが今でも好きなのだろうから。  アタシの中の黒い部分が笑った。 「いいね、ダブルデート」  賛同したら、健人は笑みを小さくして、スラックスのポケットに手を突っこんだ。  そして、アタシの聞き間違いでなければ、 「悪い子だなぁ」 と、呟いた。  二人が去っていった後、小説の構想の続きを考えようとしたけど、さっきまであんなにインスピレーションが止まらなかったのに、まるでアイデアが死んでいくように、ひどく味気なく思え始めた。
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