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香名大は、この辺で一番偏差値の高い県立大学で、あらゆる学部や最先端の設備が揃っていて、私の高校では成績がトップクラスの生徒しか入れない。
涼くんは、体が弱いお母さんの家事を手伝うために、家から一番近いという理由で私と同じ高校に通ったけど、本当はもっと上の高校を狙えた。だから、涼くんが香名大に入ったのは不思議ではない。でも、高校のテストで平均点を取るのがやっとの私には、とても狙える大学ではない。
「里奈ちゃんは、大学でどんなことを勉強したいの?」
涼くんが歩きながら尋ねてくる。涼くんは理学部を専攻している。
「えっと……」
まだ決めていなくて、言葉に詰まる。恥ずかしい。
「里奈ちゃんは、どんなことが好き?」
質問を変えてくれた。
「えっと、料理作ったり……って、違うよね、勉強の話だよね」
正直、勉強はあんまり好きじゃない。
「違うことないよ。料理するんだ、里奈ちゃん」
「あ、うん……。お母さんが遅い日は、晩ごはん作ってて」
「へえ。何作るの?」
「別に大したものじゃ……。お魚焼いたり、あ、こないだ初めてミートローフ作った」
「すごいじゃん」
「涼くんだって自分で作ってるんでしょ?私なんて週に1、2回だけだから、何もすごくないよ」
「いや、最近は母さんの体調が良くて、朝晩作ってくれるんだ。それに、俺が作る時はもうホント適当だからさ」
「おばちゃん元気になったんだ。良かったね」
「ありがとう。元気になりすぎてうるさいくらいだよ」
お母さんの話し相手になってあげているのだろう。涼くんは本当に親孝行だ。私のお兄ちゃんなんか、うるせえクソババアしか言わない。
「涼くんも叱られたりするの?」
ふと気になって、そんなことを訊いてみた。
涼くんが叱られてるところって、想像できない。
「そりゃまあ、悪いことすれば」
「悪いこと?」
「食器下げなかったり、ゴミをその辺に散らかしてたり……」
「へえ、意外」
完璧な人なのかと思ってた。
「ダメダメな人間なんですよ、俺って」
「そんなことないよ。努力家じゃん。ただ、そういうとこもあるんだって、ちょっと安心したっていうか」
ふふ、と涼くんが声を出して笑った。私、変なこと言っただろうか。
「里奈ちゃんは良い子だから、あんまり叱られなさそうだね」
笑いを含んだ柔らかい声で、そう返してくる。
「まさか。怒られてばっかりだよ。昨日も、返ってきたテストの点数が悪くて、こんなことでどうするんだって怒られたよ」
「そっか。苦手な科目とかあるの?」
「数学が全然ダメで。他のはまだ何とかなるんだけど」
「そうなんだ。教えてあげようか?」
「え?」
びっくりして涼くんの方を見上げた。
涼くんは、私と反対側を向いて、困ったように頭を掻いている。社交辞令か。
「いや、その、塾とか行ってるの?」
ごまかしてきた。やっぱり社交辞令だ。
「ううん、まだ。冬から行こうかなって思ってるけど」
「そっか」
教えてあげようか、の件はうやむやになった。
ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な気持ちだ。
20分ほど歩いて香名大に着いた。前を通ったことはあるけど、中に入るのは初めてだ。
私みたいな部外者が入っても大丈夫なのかと尋ねたら、涼くんは笑って頷いた。構内の食堂を利用するために、近所の人も出入りするらしい。
キャンパス内では、あちこちで学生が思い思いのことをしていた。輪になって喋っている集団もいるし、何か小道具を作っている人たちもいる。白衣を着て、アイスボックスみたいなものを大事そうに運んでいる人もいる。
「この時間でも結構人いるんだね」
今は夕方の5時近い。
「そうだね。俺もあんまりこの時間にキャンパスに来たことはないんだけど」
涼くんは、キャンパスをぐるりと周りながら、どんな学部があるのかをひと通り紹介してくれた。
「里奈ちゃん、まだ時間大丈夫?」
構内を一周したあと、涼くんが尋ねてくる。
「あ、うん。今日は食事当番じゃないから」
私の答えを聞いて、涼くんはお洒落なメニュー看板を出している建物の中を覗きこんだ。
カウンターにいる女の人に、まだやってるか訊いている。
「ちょっと入ってかない?」
振り向いて私に言った。
一瞬、デートっぽいと思ってしまった。
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