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「良かったの?」
カフェテリアを出て、里奈が申し訳なさそうに確認してくる。
「良かったも何も、俺が里奈ちゃんを連れ回したんだから、家まで送らせてよ」
「私にそんな優しくしてくれなくても……」
鳴き始めた虫の声にかき消されそうなほど小さな声で、里奈が呟く。
そうだ。あの時も里奈はそう言った。中学でイジメに遭ってた頃、気づかずに里奈に話しかけまくってた俺に、そんなに優しくしてくれなくていいと里奈は言った。
先ほど里奈が怯えた表情をしていた理由が分かった。俺にとってはただの同期の女だけど、里奈にとっては、いじめてくるかもしれない歳上の女だ。トラウマが蘇ったのかもしれない。
「里奈ちゃん……」
呼びかけたものの、何を言えばいいだろう。
俺と過ごせば、里奈に今みたいな思いをさせてしまう。それでも一緒にいてほしいとは、俺にはとても言えない。里奈を守り切れる自信がないのだ。
望花は、『里奈はそんなに弱い子じゃない』と言った。
それで俺はさっきから、里奈に想いを伝えてしまおうかと、そんなことばかり考えていた。
でも、無理だ。やっぱり無理だ。
「あのさ、里奈ちゃん」
家の前に着いて、別れを告げようとしてくる里奈に呼びかけた。里奈が俺を見上げてくる。この可愛さに気づかない奴はどうかしている。
さっき女たちが里奈を可愛いと言ったから嬉しくなったけど、あれは何の価値もない言葉だった。俺のことまで可愛いとか言いやがって。
「もし嫌じゃなかったら、本当に俺、数学教えるよ」
そのくらいならいいだろう。余計諦められなくなると分かっていながら、一緒に過ごしたいと思ってしまう。俺は、矛盾しまくっている。
「悪いよ、そんなの」
里奈がすぐに遠慮の言葉を口にする。
里奈は俺をどう思っているのだろうか。今も、近所の仲の良いお兄ちゃんだと思ってくれているだろうか。しつこいと思われていたら立ち直れない。
「俺なんかが教えなくても、広志に教えてもらえるか。塾も行くんだもんね」
引き下がろうとした俺に向けて、里奈が大きく首を横に振ってくる。
「そうじゃなくて、私、涼くんにしてもらうばっかりで、何も返せないから」
何を言ってるんだ。里奈がいてくれるだけで、俺は……。
「俺、里奈ちゃんのおばちゃんにものすごくお世話になったしさ、何か恩返ししないとって思ってたんだよ」
言い訳をするように、俺はもっともらしい理由をつけた。
事実ではある。少年サッカークラブに所属していた頃、体調を崩しがちでなかなか手伝いに来れなかった母さんの代わりに、里奈のお母さんが俺の身の回りのことをやってくれたものだった。
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