2.招集、ドラゴンフライ

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2.招集、ドラゴンフライ

 今朝7時頃、杉並区の住宅街に設置されたゴミ集積所で頭部と胴体、四肢(しし)を切断された男の死体が見つかった。 切断された死体は杉並区推奨であるカラス避けの黄色いゴミ袋に入れられ、遺棄された袋の数は45リットルゴミ袋が三つ。ゴミ集積所付近に住む住民から可燃ゴミの臭いとは明らかに違う異臭がすると110番通報があり、死体の発見に至った。  発見現場となった杉並区和泉の可燃ゴミ収集日は水曜と土曜の週二回。先週土曜から今週火曜までは、異臭を放つ不審なゴミ袋はなかったと近隣住民の証言がとれている。  警視庁第二会議室の指定の席に着席した九条大河の横には2年前から九条とバディを組む南田康春が腰を降ろした。途端、南田が顔をしかめて鼻を押さえる。 『お前、特盛餃子食った? めっちゃニンニク臭い。会議出る前に歯磨きちゃんとしろよ』 『そんな時間なかったんだよ。誰かさんがもう少し早く会議の連絡くれてたら、歯磨きもできたのに』 『中抜けしてラーメン屋に行く誰かさんが悪い』 『元はと言えば今日俺の昼飯が遅くなったのは南田が取り調べに手間取ったからだろ』 九条と南田の軽口はいつものことだと、周りの同僚達は気にもしない。が、九条の真後ろに座っていた後輩の朝木日奈子が九条の肩を二度叩いた。 「九条先輩、さすがに私のところまで臭ってきます。これ貸しますから、シュッとやってください」 『ひーちゃんまで俺のこと臭い呼ばわりする……』 「だからそのひーちゃんって言うの止めてください。いい加減セクハラです」  九条のジョークに対する日奈子の手厳しい返しもいつものこと。  警視庁に配属される女性刑事は九条が知る限りは、どいつもこいつも気が強い。気の強い女刑事の筆頭は九条の直属の上司である殺人犯捜査第九係主任の小山真紀だ。そして……。  ──“お前って顔だけはかなり良いのにな”──  ──“それセクハラ案件になるよ? 顔だけで悪かったね。唯一褒められるこの顔が私は嫌いなの”──  甦る()りし日の記憶は嫌になるほど甘酸っぱい。本当はあの頃から、ただ照れ隠しをしていただけだったのに。 (思い出したくねぇのに10月はどうしてもアイツの顔がチラつく。今月はアイツの誕生日だからなぁ……) 今でも心の奥深くで想ってしまう甘い残像を必死で封じ込め、彼は日奈子に借りたシトラスミントのマウススプレーを口内にプッシュした。 『捜査会議始めるぞー』  捜査一課長、上野恭一郎の一声で杉並区バラバラ殺人事件の第一回捜査会議が始まった。  被害者の氏名は二階堂隆矢、63歳。職業はコンサルタント会社経営。 発見当時、二階堂の身元を示す所持品は何もなかったが、彼は9年前に女性へのストーカー行為の疑いで警察の事情聴取を受けていた。 9年前に採取した二階堂の指紋と、杉並のバラバラ死体の指紋が一致、DNA鑑定でも死体のDNAと二階堂隆矢のDNAが一致した。  解剖結果を九条の先輩刑事の杉浦誠が報告する。 『遺体は損壊が激しく、切断は電動ノコギリか、その類の刃物が使用されたと見られます。死後3日〜4日程度と推測、死亡推定時刻は10月9日から10日の間です』 二階堂の頭部には殴打の傷が複数あった。傷の形状から犯人はカナヅチのような鈍器を使ってで被害者の側頭部を殴打。倒れた被害者の後頭部を同じ凶器で何度も殴って殺害した後、死体を切断したのだ。 最初の殴打を左手で行ったことから犯人は左利きと推測された。  杉浦の報告を聞き終えた上野恭一郎は一度頷き、机の片隅に控えるビニール袋を手に取って立ち上がった。ビニール袋の中にある赤黒い“何か”を九条は見据える。 『犯人に繋がる重要な手がかりがこれだ。ファイル3を開いてくれ』 タブレット端末の捜査資料からファイル3の画像データを開くと、上野が掲げた物と同じ物の写真が画面に写った。 『折り紙?』 『元々が赤い折り紙のようだが、血まみれで赤黒くなってるな。これ何に見える?』 『鳥……? にしては体が細長い気がする』  隣の南田と小声でやりとりをしながら、九条は画面の写真を凝視した。赤い折り紙で折られた何かの動物は鳥にも見えるが、鳥にしては両方の羽根が二枚ずつあり胴体も細長い。 九条と南田が正体を当てる前に答えは上野一課長が教えてくれた。 『これはトンボの折り方だ。俺は20年前にも、これとまったく同じ血まみれの赤トンボを見たことがある。“ドラゴンフライ”、この通称を警察学校の講習でお前達も聞いたことがあるだろう?』  ドラゴンフライの名に一瞬で室内がざわついた。20年前に警察が取り逃がした連続殺人犯の名は警察学校の講習の題材としてどの世代の刑事達にも語り継がれている。  1999年から2001年にかけて東京で起きた連続女性バラバラ殺人。被害者は20代から30代までの女性で、全身を切断された状態でゴミ袋に詰めて遺棄されていた。 その有り様だけでも極めて異常性の高い犯行だが、さらに当時の捜査本部の刑事達を困惑させた“犯人の落とし物”があった。  赤色の折り紙で作られた赤トンボがひとつ、死体と共にゴミ袋に入っていたのだ。死体に寄り添う血まみれの赤トンボは警察への挑発か、犯人からの何らかのメッセージだと考えられたが、犯人の目撃情報も被害者達の共通点もなく捜査は暗礁に乗り上げた。  連続殺人事件は1999年10月から2001年3月まで続き、被害者の数は七人に及んだ。しかし2001年3月以降、血まみれの赤トンボを従えた女性連続バラバラ殺人は一度も起きなかった。 事件は被疑者不明のまま迷宮入り。警察内部では女性連続バラバラ殺人の殺人鬼の通称を赤トンボになぞらえて“ドラゴンフライ”と呼んだ。  20年前と現在の共通点である赤トンボの物証は世間に公表されておらず、その事実を知るのは犯人と警察関係者のみ。 過去の事件との相違点は20年前の被害者達は若年層の女性だったのに対して今回の被害者は還暦を過ぎた男。  20年前の赤トンボからは指紋は取れなかった。今回の杉並バラバラ殺人の赤トンボからも指紋は採取できていない。  これは20年前の殺人鬼“ドラゴンフライ”の再来なのか? お前は誰の手で産み出された? 九条が眼差しを送って問いかけても、血まみれの赤トンボは何も語ってはくれなかった。
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