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「俺はてっきり出どころは西洋かこの日の本かと思ってたんだがよ、澳門ってんなら心当たりがある」
アディソン嬢がいうにはその化物について書かれた書物を手にしたことが有るらしい。蒲松齢が記した聊齋志異という短編小説集だ。
「小説? 小説ってなぁ、いわゆる物語って奴だろ?」
「おう。けどよ山菱、その元ネタってのがどっかにあることもあるんだよ。蒲松齢は科挙に何十年も落ち続けた片手間に都で聊斎志異を書いたって話だからな。各地の風物なんぞはよく聞いちゃいるだろう」
「そうですぞ。事実は小説よりも奇なりと申しますからな」
「何だいそれは」
数十年か前だかの西洋で有名なパイロンという詩人がドン・ジュアンという本の中でそう述べたらしい。実際に起こる出来事は、フィクションで構成される小説よりも、はるかに複雑で波瀾に富む。まぁ、それは経験からも否定できねぇな。
それで肝心な聊齋志異だが、その中に画皮という話があるそうだ。
太原の王生という男が明け方、風呂敷を抱えた15,6の女を見かけた。どうしたのか尋ねれば、大店に売られたが本妻に酷い扱いを受けて逃げてきたという。王は同情して家に連れ帰り、書斎に住まわせた。怒ったのは王の妻である。王に女を追い出すように言ったが聞かない。けれども王は、道で出会った道士に変なものを拾ったか、妖気が漂っていると言われた。
しばらくして家に帰ったが、鍵がかかっている。不審に思い土塀の崩れから入って見てみると、青緑色の顔に鋸のように尖った歯を持つ一匹の恐ろしげな鬼が寝台に人の皮を広げて絵筆を取り、色を塗っているところだった。そして塗り終われば皮を一振りして体に纏い、みるまに女に変わった。
「へぇ? それがこのハーンさんが買ったっていう白娘だっていうのか?」
「かもな。この話には妙な続きがあるんだよ」
「妙な?」
「王は逃げ出して道士を探したんだがな、道士はその化物、画皮がせっかく居所をみつけたのに可哀想だっつうんだよ」
「可哀想? まあ人に化けてただけなんだよな」
「結局道士は王生に守りを渡して寝室の入り口にかけろっつってかけさせたんだが、画皮は守りをぶっこわして押し入るんだよ。そんで王生の腹を引き裂いて心臓を掴みだして逃げんだよ」
アディソン嬢は如何ともし難いという風情で両肩を上げた。可哀想の要素が消えた。
「意味がわからねぇ……なんでそんな効かねぇもん渡すんだ」
「そんでよ、その道士はせっかく情けをかけたのに守りを返せってブチ切れんだよ。んで、大暴れして画皮の中身を瓢箪に閉じ込めて、皮の方は巻いて革袋に入れて立ち去った」
やはりこの船頭は話を聞かん。
「おい王生じゃなくて守りを、なのか……?」
「山菱さん、でしたか。道士や仙人といったものたちは市井と異なる理屈で動いておりますからまぁ、話が通じないのはよくあることですな」
なんだかひどく支離滅裂だ。そして問題のその画皮という存在も支離滅裂だ。
最初は緑の顔の鋸歯の鬼。
そして人皮が剥がれて悪鬼と化し、豚のように吠える。
首を切り落せば体は煙となって地面に渦を巻く。
道士は瓢箪を出して栓を抜き、
煙の中に置くとあっという間に吸い込んだ。
「その本体っていうのは何なんだ? 緑色の鬼の中に煙が入ってんのか?」
「さぁな。その後もわけのわからん話が続くんだがよ、だから多分これは色んな話が混じってて、それぞれ何か元ネタがあんのかなと思ってよ」
「なるほど。伝聞であれば内容が不確かなのも道理です。それに何故あの模様が読めなかったのも理解しました」
ハーンはしたり顔で頷くが、俺には相変わらず何のことだかさっぱりわからん。
「どういうこったい」
「つまり読めなかったのは人が書いた文字ではなく、化け物が描いた文字だからです。化け物の文字で描かれているのですから、人間が読めなくても道理ですね」
道理、なのかそれは。そもそも化物が字を書くのかと考えれば、化物にも色々いすぎてわからねぇとしか思えん。けど世の中には字を書く大猿もいるというしな。
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