ミケと皮

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 やがてバスは海に行き当たって右折すれば、大きな黒船が停泊する港が見えてくる。相変わらず普通の船が木っ葉に見えるほどでかい。港で止まったパスを降りて訪ねるのはもちろん、居留区のレグゲート商会である。目的の人物アディソン嬢は、今日も今日とて大きな商館の入口で用心棒に立っていた。 「おう山菱じゃねぇか。今日もおもしれぇもん持ってんな。どっちかよこせよ」 「何だこの奇妙な人間は」 「何だとコラ?」  思わずフラついた。ただでさえデカいヤタさんが俺の肩の上でバサバサと羽を広げて威嚇するものだから重くて仕方がない。ヤタさんとアテにしていたアディソン嬢はなぜだか馬があわぬらしく、出会い頭から妙な緊張感が生まれていた。 「おい、いきなり喧嘩腰なのはやめろよ、ヤタさんも頼み事に来たんだから」  アディソン嬢はレグゲート商会で用心棒をしている。アディソン嬢を評するには、異人であるのに日本人と変わらぬ小柄に大きすぎるサーベル、という用心棒的な説明よりは、右足の膝から下が妙な義足で性別について触れてはいけなそうな人間、と述べた方がわかりよい。今も東印度(現インドネシア)のバティックと呼ばれる複雑な模様に染められた胸の開いたシャツに前合わせの巻きスカァトという、本邦ではこれ以上なく奇妙な格好をしている。鷹一郎がいうにはよほどの達人らしいが、俺にはあまり強そうには見えなかった。極めて柄が悪いことを除いて。  思い返せばアディソン嬢は手元の人皮と同じくその肌は抜けるように白く、顔は整ってる。やたら下品に見える目で俺を睨み上げているのはいつものことだ。そんな輩に奇妙と言われたのがヤタさんは気に食わないのだろう。 「頼み事ぉ? その一本余計な足をぶった斬って欲しいのか?」 「おい落ち着けよ。この人皮の持ち主を探してるんだ」 「チッ。土御門に聞きゃいいじゃねえか」 「出かけてんだよ」  そう呟いた瞬間、アディソン嬢の目は猛禽類のようにキラリと光った。急に厭な予感がしたが、もはや乗りかかった船だ。乗る前に考えなかったのだから、もはやどうしょうもない。  商会のドアを乱暴に開けたその後ろをついて歩けば客間に通され、その洋机の上に人皮を広げる。 「これなんだがよ」 「異人の皮だな」 「お前さんに心当たりがないかと思ってな」 「てめぇ俺に皮を剥ぐ趣味があるとでも思ってんのか!」 「違うよ。好きなんだろ? 変なもの」  慌てていい繕う。相変わらず切れるポイントがよくわからんと思いつつ否定できない気もする。アディソン嬢はフンと鼻を鳴らして、今度は丁寧に皮を眺め始めた。主に模様の部分だ。 「道教(Dàojiào)だな」 「道教? 清の?」  アディソン嬢の示す指先をよく辿れば、皮に描かれた四角や丸や線の間にある線は崩れた漢字に見えなくもない。頑張れば見えなくもない程度に。 「これは何かの術具だろ。なあ、俺にくれないか?」 「元の持ち主に返したいと思う。それが一番後腐れがなさそうなのだ」 「元ォ? 頓狂なこという鳥だな。こんな皮だけになって生きてるはずねぇじゃねえか」 「いやアディソン嬢、縁者とかよ。神津で異人と言えば居留区だろ? 最近皮を剥がれた女の話とか聞かねぇか?」  我ながら随分物騒だと思う問いかけに、アディソン嬢は馬鹿にしたような目を向けた。
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