ミケと皮

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「んー西洋で人を模したものを残すといやぁ取替子が鉄板で、皮を被るといえば狼男が鉄板なんだがなぁ」 「なんだその、取替子だか狼男だかってのは」  アディソン嬢の言うことには、取替子というのは人の子をさらい、その子に絶妙に似ていない木切れや皮、化け物を残して去っていくのだそうだ。托卵のようなものらしい。そして狼男というのは満月の夜に狼の姿に変身する存在なのだそうだ。あるいは魔女という存在は狼の皮をかぶることで人為的に行うのだそうだ。 「魔女共が夜中に森に集まってガヤガヤとサバトを開くんだとよ」 「サバト?」 「悪魔を呼び出して淫事に耽るんだと。お盛んなこったな」 「へ、へぇ? けどその2つとも微妙に違う気がするぞ」 「そうだな。取り換え子というには、去ったのは大柄な化け物のようだ。人の子には見えぬだろう。それに被っていたのは狼の皮ではなく、人の皮だ」 「ふうん、そうすっと何だろうねぇ。こいつは流石に亜細亜人の皮には見えねぇからなぁ」  そう述べて、アディソン嬢は再び皮に目を落とした。  この日の本にも西欧人はたくさんいるが、大っぴらにやってくるようになったのは嘉永7(1855)年に日米和親条約によって下田と函館が開かれて以降だ。その後、函館、横浜、新潟、神戸が貿易を目的として開かれ、それから少し遅れて神津が開港地となる。つまりこの神津が開かれたのは未だ10年と少し前であり、この皮の持ち主がもともと神津に住んでいたとは考えがたい。顔を見れば細長で、成人しているようにみえるから。  とすればやはり、このアディソン嬢と同じように、外国からやってきたのだろう。 「埒があかねぇなぁ。ようは逃げていったのが何かってことだな。それがどんな奴だったかってのは、その森の奴に聞きゃわかるのかよ?」 「ふむ、そうだな。私は直接見ておらぬ」 「おっしゃわかった。Menen ulos hetkeksi(ちょっくらいってくらぁ).|Laita vaunusi valmiiksi!《馬車を出せ》!」 「ちょっと待て、勝手に決めるなよ」  アディソン嬢が商会の奥に向かってそう叫ぶと、とっとと商会を出て居留区の入り口に向かう。この船頭は人の話を聞かない。  居留区は神津湾を東に望む高台にあり、慌てておいかけ見下ろす海はキラキラと陽の光を反射し、美しかった。海に向かう大階段をアディソン嬢がひょこひょこと器用に片足で降りれば、高台の下に設えられた停車場にはすでに馬車が用意されている。  二頭引きの黒塗りの箱馬車で、中には赤い羅紗が敷かれていた。豪華な馬車に気後れをしていれば、アディソン嬢に尻を蹴飛ばされる。 「てめぇ、何ちんたらしてんだよ。俺は夜にゃ戻んなきゃなんねぇんだからよぉ」 「しょうがねぇだろ。こんな高級なもん滅多にお目にかかれねぇんだから。てか昼はいいのかよ」 「俺のメインは夜の守りだからな。それに道具なんざ使ってこそだ。せっかくだから乗ってけ乗ってけ」  おそるおそる足を踏み入れればクッションなども敷かれていた。なんだか酷く場違いだが、たまの経験としちゃ上等かもしれない。乗り合い馬車じゃヤタさんは恐ろしく目立ったが、この上に乗ってれば、黒馬車に黒烏でヤタさんもそういう立派な飾りかなにかに見えそうだ。  ゆるりと抜け出した馬車は神津湾を右手に北上する。この先、逆城の手前で右折してそのまま進めば辻切に至り、ざわめいた街をさらに西に抜ければ土御門神社のある西街道にたどり着く。 「おい、土御門の野郎は本当にいねぇのか」 「ああ。しばらく遠出しててな。……て、なんかチョロマカしようとしてんなら無駄だぞ。あいつは倉庫番を置いている」 「無断で持ってったりしねぇよ。他人の道具なんざどんな障りがあるかわかんねぇからな。俺はただ、土御門と交渉するネタがなんかありやしねぇかと思ってよ」  そういってアディソン嬢はケヒヒと笑う。倉庫番は鷹一郎が阿呆みたいに溜め込んだ持ち物を守っている。だから鷹一郎に留守番を任されるとき、人が来たら用件を聞くだけでいい、と聞いている。そもそもあの神社に人が来ることなどほとんどないんだがな。  なんだかんだでアディソン嬢との付き合いも大分長いのだ。初めて会ったのはまだ俺と鷹一郎が東京で学生やってたときだ。長いけれども、俺は未だにアディソン嬢の年齢も性別も、さっぱり検討がつきやしない。 「それを留守番の俺に言うかね」 「大丈夫だって、山菱は見たって何やってっかわかりゃしねぇんだから」 「本当にな」  俺はただの留守番なだけで、人の道を踏み外したこいつらが何をやっているかなど皆目見当がつかんのだ。 「けど、とりあえずはこの皮の件だ」 「わかってら。終わったら俺は俺で勝手させてもらうぜ」  勝手に? なんだかあとで鷹一郎に怒られそうな気がしてきたが、いないのが悪いのだ。森に入れば早速ミケが走ってくる。
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