家族会議は踊る

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 いつもの食卓。いつもと違うところと言えば、机の上に四冊の日記帳が並んでいるとことくらいだ。 「お前たちも混乱していることだろうと思う。ただ、こういう問題はそのままにしておくのが一番よくないんだ。お前たちも家族には話したくないことがあるだろうが、ちゃんと話し合おうじゃないか」  いつもは賑やかな食卓を沈黙が支配していた。  どうしてこんなことになったのか、亜紀は思い返していた。  ※  一軒家で家族四人暮らしをしている亜紀の家族は、朝から年末の大掃除に取り掛かっていた。  力仕事は父親の隆の仕事だ。事務系の仕事をしておりあまり筋肉質とは言えない隆であったが、朝から似合わないハチマキなんか巻いて張り切っていた。  風呂場やキッチン、トイレの掃除は母親である詩織の仕事だった。詩織はどちらかというとずぼらな性格だったが、一定以上汚れが溜まってくると我慢ができなくなる性質のようで、この年末の大掃除の時期と汚れが溜まってきた時期が重なり、こちらも掃除道具を買い込んで張り切っていた。  長女の波留と二女の亜紀はそれぞれ自分たちの部屋の掃除を任されていた。  大学二年生の波留は買ったばかりのネイルが剥げるからと、部屋の床に散らばっていたものを押し入れの中に押し込んで、それで掃除が終わったとばかりにスマホでアイドルの曲を聴きながらベッドに横になっていた。  高校三年生の亜紀も似たようなもので、姉が部屋を空けたときを見計らって乱雑な押し入れの中身をスマホで撮影してはツイッターで「姉の押し入れ。やばwww」と投稿するなどしていた。部屋を片付けようともしないぶん、こちらのほうが、なお性質が悪かった。  事件が起きたのは、隆が割れた雨樋を修理するための工具を取りに、庭にある倉庫を開けたときだった。 「なんじゃこりゃあ!」  隆の叫び声を聴いて、なんだなんだと家族が集まってきた。  そこにあったのは四冊の日記帳だった。 「なにがあったかと思えば、ただの日記帳じゃない。そんなことで大声出さないでよ」  詩織は夫を咎めるように言った。  無言で差し出された日記帳を受け取り、ざっと中身に目を通すと、詩織は絶句した。 「家族会議だ」  隆の言葉に、詩織は無言で頷いた。 「えー」  波留と亜紀は抗議するような声を出した。  とにかくこの家――というよりも父親の隆は家族会議が好きで、大した問題も起きていないのに家族会議を開いては自己満足に浸っていた。波留も亜紀も、とりあえず参加はするが、参加して事態が好転したと感じたことはこれまで一度もなかった。  家族四人で食卓を囲む。食卓の中央には四冊の日記帳が置かれた。家族会議の始まりだった。 「今日の家族会議のテーマは、家族間の愛情についてだ」  波留と亜紀は顔を見合わせた。詩織は神妙な顔をしている。 「で、どっちなんだ」  隆は波留と亜紀を交互に見ながら言った。 「なんのことか分からない」 「こんなの知らないんだけど」  二人はそれぞれ言ってから、一番上にあった日記帳を開いてみた。  そこに書かれていたのは、端的に言うと、同居する姉妹に対する過度な愛情であった。愛情を向ける人物のことを“あの人”とか“彼女”とかいう表現をしていたので、対象者が誰かは分からなかったが、日記を書いた人物と愛情を向けられる人物が姉妹の誰かであることは明らかだった。  ページをめくるたびに、その日記を書いた人物の愛情は次第にエスカレートしていき、“彼女”がいないときに部屋に忍びこんで、“彼女”のベッドに入って匂いを嗅いだり、“彼女”がアイスを食べたあとのプラスチックのスプーンを収集したりとかなり変質的な愛情へと向かっていった。 「お父さんはこういうのには理解がある方だから大丈夫だ」  なにが大丈夫なのかさっぱり分からなかったが、とにかく亜紀はこんな日記知らない、と否定しようとしたところで、波留が先手を取って言った。 「え、亜紀って私のことそんな風に見てたの? さすがに引くかも……」 「私じゃないって! そもそもこの字なんか、お姉ちゃんっぽいじゃん」 「馬鹿、私が日記なんか書くかよ」 「そんなの分かんないじゃん」  波留と亜紀はどちらも日記を書いたことを認めなかった。 「分かった。父さんもここまでしたくなかったが、こうなったら他の日記も読んでみよう。そうしたらきっと、どっちが書いたかはっきりするだろう?」  波留と亜紀は一瞬、戸惑う様子を見せたが、やがて頷いた。日記はまだ三冊残っていたのだ。  隆は二冊目の日記を開く。  厳めしい目つきで日記に目をやり、驚いた表情を見せると、やがて日記を閉じて言った。 「今日の家族会議はこれで終わりだ。二人とも十分反省するように」  そう言って立ち上がろうとする隆を、波留と亜紀が静止させた。疑いの目を向けられたまま会議が終わるのは気持ち悪かったし、なにより父の行動は明らかに怪しかった。  波留と亜紀が隆の両腕を掴み、詩織が隆の手に握られていた日記帳を取り上げた。いざというときの女性のコンビネーションは素早かった。  非力な隆の腕を波留と亜紀が抑える間、詩織は日記帳に目を通した。 「なにこれ……!」詩織の口から悲痛な声が漏れた。  そこに書かれていたのは、職場の女性とのただならぬ関係を描いた日記だった。個人名こそ出されていなかったが、そこに描かれていたのは父である隆が職場の後輩である女性と不倫している動かぬ証拠ではないかと思われた。例えば残業すると嘘をついて、その女性とデートをしたり、ときには出張と偽って温泉旅行に行ったりする描写すらあった。 「なにか言い訳は?」  すでに波留と亜紀から腕を離されているにも関わらず、席に座ったまま放心状態の体であった隆は、絞り出すように言った。 「違う、僕じゃない」 「そんな言い訳が通ると思ってる?」 「本当なんだ、信じてほしい」 「そういえば、最近残業で遅くなることが増えてるわね? 別に残業代を多く稼いできてるわけじゃないのに。そういえば先月の出張もなんだか怪しかったわ。ちょっとおしゃれなネクタイつけたりして」  詩織が言うと、波留と亜紀も父のことを軽蔑の眼差しで見つめた。六つの視線に打たれて、一家の大黒柱である隆は今にも泣きだしそうだった。 「本当に僕じゃないんだ……」そのとき、無意識のうちに隆の視線は食卓の中央に向かった。そこにはまだ二冊の日記帳が残っていた。「そうだ、まだ日記帳は二冊あるんだ。それを見たら、僕の無実が証明されるかもしれない」  隆が手を延ばそうとするのを、妻の詩織が制して、自分で一番上の日記を手に取った。隆が証拠隠滅を図らないとも限らなかった。  詩織は鬼の形相で、日記を一ページ、また一ページとめくっていった。そして、その顔はみるみるうちに真っ赤になっていった。 「どちらが書いたのか言いなさい」  そう言って、詩織は日記の一ページ目を波留と亜紀の方へ向けてみせた。もはや隆のことは眼中になかった。  そこに描かれていたのは、自分の裸体をスマートフォンで撮影し、インターネット上にアップして快感を得ている心情を描いた日記だった。例によって誰が書いたものかは分からなかったが、公開した後に多くの反響が寄せられている様子を見ると、若くて見た目も悪くない波留か亜紀のどちらかと考えて間違いなさそうだった。 「お母さん、前に話したことがあったわよね。こういう写真をインターネットにアップすると、一生電子の海を漂い続けて消すことができないんだから。あ、ひょっとしてああいう写真を公開してお金を稼いでいるんじゃないでしょうね。こんなもので大金を稼いだら、将来絶対に苦労するんだからね」  詩織は涙目で訴えるが、波留と亜紀には響いていないようだった。 「お母さん、それ書いたの私じゃない」  波留はふるふると首を振った。  詩織は亜紀を見るが、亜紀も同じように首を振るだけだった。 「今ならまだ引き返せるんだから、お母さんと一緒に警察に行きましょう。最近は電子パトロールなんていうのもあって、きっとインターネットから削除してもらえるから」  それでも波留も亜紀も自分が日記を書いたことを認めなかった。 「それならお母さんにだって考えがあるわ」  詩織は残った最後の一冊の日記を手に取ってぱらぱらと開いた。  今度はなにが飛び出すか、想像もつかなかった。隆も波留も亜紀も、自分で日記を手に取った詩織まで、目と耳をふさいでしまいたいと感じていた。  だが、そこにはなにも書かれていなかった。四冊目の日記に秘密は記されていなかったのだった。  自分のものと思われる日記を読まれて、屍のようになっていた隆が、急に意気込んで言った。 「ちょっと待てよ、家族が四人いて、秘密が書かれた日記が三冊と、なにも書かれていない日記が一冊。そしてよく見ると、三冊の日記はそれぞれ違う筆跡で書かれている。つまり、この家族でだれか一人だけ、秘密がない人間がいるということじゃないか?」  隆の言葉に、ほかの三人は肯定も否定もできなかった。全員が秘密なんかないと主張したが、自分以外の人のことは、本当のところは誰にも分からないのだ。 「だからこれはきっと僕の日記だな」  隆はなにも書かれていない日記帳に手を伸ばした。その日記に覚えはなかったが、そんなことはどうでもよかった。 「ちょっと待って、それは私のよ!」  詩織も隆の持っている日記を奪おうと手を伸ばす。波留と亜紀もそれに続いた。逆に姉妹への愛情をつづった日記や不貞行為の日記、自撮り投稿の日記は互いが互いに激しく押し付け合った。  そんなとき、家族会議が行われている食卓にやってくる一人の姿があった。  今年の春に東京の大学に入学したが、冬休みなので一時的に家に帰ってきている長男の夏樹だった。 「そんなに騒いでどったの?」と、夏樹はいつものようにおちゃらけた感じで言った。  離れて住んでいるとはいえ、一応家族である夏樹のことを忘れて家族会議を開いたばつの悪さはあったが、隆は四冊の日記帳を夏樹に見せた。 「あ、これ俺のじゃん」  夏樹の言葉に、その場にいた四人は言葉を失った。 「これ、お前が書いたのか?」  隆は興奮して一人息子の胸ぐらをつかんで揺さぶった。 「ちょ、痛いって。これは俺が大学に行くために家を出る前に書いてたやつだよ。家を出るときに持ってくつもりだったのに、家に忘れちゃってたんだな」 「じゃあこれはお前のことなのか?」  四人の視線を受けて、夏樹は狼狽しながら言った。 「ち、違うよ。高校生のころ暇だったから、家族の皆になりきって想像で日記を書いてただけだよ」 「え?」四人が一斉にとぼけた声を出した。当たり前だ、これまで家族で揉めに揉めていた日記の正体がフィクションだと分かったのだ。四人は胸を撫でおろした。 「もう、びっくりするから妙な忘れものしないでちゃんと持って行ってよ」 「日記ごとに筆跡まで変えて趣味が悪いわねー」 「一冊は受験勉強で書く暇がなくなっただけだって? まったく、紛らわしいな」  四人は口々に夏樹のことを批判した。 「ごめんごめん、日記書いてたらつい役に入りこんじゃってさ。でも、家族とはいえ他人になりきるのって大変なんだぜ。母さんが出張行くって嘘ついて親密そうに部下の女の人と旅行に行くのをこっそり追いかけたり、父さんが夜中に自分の裸の写真撮ってネットにあげてるとこを見させられたり。やっぱ、できればそんなの見たくなかったもんな~」  まさか息子に見られていたとは――、隆と詩織は青くなった。 「じゃ、じゃあさ、姉妹に思いを寄せる日記は誰になりきって書いたのよ。ベッドの匂い嗅ぐとか」  波留は勢い込んで聞いた。夏樹はなんでもないように答えた。 「ああ、あれは本当に俺の日記だよ。え、あれも読んじゃったの? 恥ずかしいな~。波留と亜紀が可愛くてつい、ね」  夏樹は自分を見つめるじっとりとした八つの視線にようやく気が付いたようだった。 「今から家族会議を始める。テーマは家族間の秘密についてだ」  隆は四人の家族に向けて厳かに告げた。  これから初めて意味のある家族会議が開かれるかもしれない、亜紀は食卓に乗った四冊の日記帳を見つめながら、特に期待もせずにそう思った。
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