パソコン教室

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市のハローワーク主催のパソコン教室。 入り口には「就職に絶対有利なパソコン教室」と書かれている。 中にはパソコンが数台並んでいる。 前の講師席の友恵、「えーと、えーと」を連発しながら画面から目を離さずにテンパっている。 それを生徒側の席に座っている秋菜と鈴香、モタついている友恵にいら立っている。 友恵「えーと、えーと……」 秋菜「ボサボサしてんじゃねーよ!」 鈴香「どんだけ時間かけてんだよ!」 友恵「えーと、えーと……」 秋菜「こちとら貴重な時間割いて来てんだよ!」 鈴香「この時間があったら、他にどんなことが出来るのか、わかってんのか!」 友恵「えーと、えーと……」 鈴香「金返せ!」 秋菜「(鈴香に)ちょっと待って、あんた、金払ってんの?」 鈴香「はい」 秋菜「これ、ハローワークがやってるパソコン教室でしょ? タダじゃないの?」 鈴香「私、ハローワークの職員でして。私どもが彼女に講師料を払っております」 秋菜「ハローワークの職員?」 鈴香「はい」 秋菜「あ、(急に低姿勢になって)どうもお世話になっております」 鈴香「あ、どうもどうも」 秋菜「(揉み手をしながら)どうも、仕事をいただかないと、へっへっへ……」 鈴香「いや、別に私は斡旋するだけで、仕事をくれるのは各企業ですから」 秋菜「私、市の衛生課長の娘でして」 鈴香「はぁ……」 秋菜「あるんでしょ? 忖度的なものが?」 鈴香「衛生課長の娘にどんな忖度があるんですか?」 秋菜「衛生課長の娘には、いい職を斡旋する忖度は出来ない、と?」 鈴香「出来ませんね」 秋菜「たぶん、部長にまで出世できるんじゃないかと思うんですよ、娘の私の贔屓目を抜きにしても」 鈴香「出世してから言ってください」 秋菜「じゃぁ、あの講師をどうにかしろよ! さっきから『えーと』しか言ってねぇじゃねぇか!」 鈴香「そうですね」 秋菜「10分で124回言ってんじゃねぇか」 友恵「えーと、えーと……」 秋菜「はい、今ので126回」 鈴香「彼女、今日が初めての仕事でして」 秋菜「初めてとか関係ないんだよ! こっちも初めてパソコンを扱うんだよ! 教える側が『えーと』を連発してたら、不安でしょうがないんだよ! わかるだろ!」 鈴香「そうですね、イラッとしますね」 秋菜「だったら、お前が何とかしろよ!」 鈴香「ですから、さっきから野次を」 秋菜「野次じゃなくて具体的な行動に移せ!」 鈴香「それがちょっと……」 秋菜「なんでよ?」 鈴香「彼女、市議会議員の娘でして」 秋菜「ん?」 鈴香「市議会議員がハローワークやってきて、『まだ高校生なのに甘っちょろいことばかり言ってる娘に、社会経験積ませたくて。なんか仕事ある?』って言うからね、こっちもほら、女子高生を企業に紹介できないじゃないですか。だから、ハローワーク主催でパソコン教室開いて、その講師をやってもらおうかと」 秋菜「うん?」 鈴香「彼女が世間の厳しさをわかればそれでいいんです。それがこの教室の趣旨なんですよ」 秋菜「じゃ、何? 手に職欲しい人がパソコンスキルを手に入れるための教室じゃないのね? あの小娘のための教室なのね?」 鈴香「そうですね」 秋菜「とんだ忖度だな!」 鈴香「しょうがないですよ、お役所仕事はそういうものです。あなたが手に職つけたいとパソコン習うように、お役所仕事は出世のために忖度を身に着けるようなものです」 秋菜「にしては、さっき、だいぶ野次を飛ばしてたけど」 鈴香「野次はそうですね、心の声的な? 生徒に混ざれば言いたい放題的な?」 秋菜「生徒私一人しかいないけどね」 鈴香「ははははは」 秋菜「いや、笑ってる場合じゃねぇよ」 鈴香「私も市の土木部長の娘なんですよ」 秋菜「はい?」 鈴香「だから、野次くらいはアリかな、的な?」 秋菜「何がアリなのよ?」 鈴香「市議会議員と市の土木部長だったらね、どっちが上かとかね、マウントとれるかとかね、いろいろ考えたらね、市議会議員の娘に対して、土木部長の娘は野次くらいは飛ばせるかな、と」 秋菜「うんうん」 鈴香「衛生課長の娘は、ほら、ダメじゃないですか、ほら」 秋菜「何がダメなんだよ? お前、うちの親父バカにすんなよ」 鈴香「黙ってろ、衛生課長!」 秋菜「いや、父親の職業でマウントの取り合いをするな! このパソコン教室で偉いのは、パソコン講師のあいつでも、あいつを雇って主催しているお前でもなく、習いに来ている私だ」 鈴香「でも、受講無料でしょ?」 秋菜「そりゃそうだろ、ハローワークだから」 鈴香「タダでスキルを手に入れようとするその性根が……」 秋菜「お前、それ、ハローワーク職員として一番言っちゃいけないやつだろ!」 鈴香「すみません、本音が」 秋菜「いいから、早く、(友恵を指して)あいつをどうにかしろ!」 鈴香「もうね、あの、一人でどうにかしようというあの健気さが、涙を誘って……」 秋菜「いいよ、もう、(友恵に)おい!」 友恵「えーと、えーと」 秋菜「出来ねぇなら、もう、すっこめよ、てめぇ!」 友恵「えーと、根本さん? 根本秋菜さんですよね?」 秋菜「そ、そうだよ」 友恵「私からケンジを奪った根本秋菜さんですよね?」 秋菜「ケンジ?」 友恵「私、ケンジと付き合ってたんです。そしたら、『他に好きな人が出来た』って。急にフラれたんです。それからすぐ、ケンジをある女に獲られたことがわかって。その女の名前が、根本秋菜」 友恵、パソコンの画面から顔をあげ、秋菜をキッと睨む。 秋菜「ケンジじゃなくて、ケンイチでしょ?」 友恵「そうでした。ケンイチでした」 秋菜「そこ大事だろ! 間違うなよ!」 友恵「ケンイチを奪った女、それが、根本秋菜」 秋菜「だって、もう5年前の話でしょ?」 友恵「そう、私が12歳の時。同い年の彼氏、ケンイチを獲られた……」 鈴香「(秋菜に)12歳を奪ったんですか?」 秋菜「だって、私も14歳だったから、全然アリじゃないか!」 鈴香「この、ド変態!」 秋菜「うるせえ!」 鈴香「欧米なら、逮捕されて顔を全世界にさらされますよ」 秋菜「欧米ならな」 鈴香「今から全世界にさらしてやろうか、お前のど変態が滲み出ているそのマヌケ面を!」 秋菜「なんで私が脅されてるんだよ!」 友恵「このパソコン教室、根本秋菜さん1人しか受講してないのって、不思議に思いませんか?」 秋菜「た、確かに……」 友恵「そして、あなたに恨みを持つ私と1対1。偶然にしては出来過ぎてるとは思いませんか?」 秋菜「ま、まさか……」 友恵「そう、全てはあなたに復讐するために仕組んだこと。この5年間の恨みを晴らすために」 秋菜「ちょ、ちょっと待って!」 友恵「地獄の責め苦を味わわせてあげますよ」 秋菜「い、いやぁ!」 友恵「……みたいなことだったら面白いなぁ、と今、思ったところでした」 秋菜「は?」 友恵「すみません、間を持たせるために、私の妄想を発表しました」 秋菜「全部、嘘?」 友恵「ケンイチを獲られたのは本当です」 秋菜「パソコン教室でどうやって復讐するんだよ」 友恵「……今から全世界にさらしてやろうか、お前のど変態が滲み出ているそのマヌケ面を!」 秋菜「それ、気に入ってんじゃねぇよ!」 友恵「パソコン教室に根本秋菜さん1人しか来てなくて、ここでたまたま私とあなたが会ったのは本当に偶然です。だから、復讐とかはないです、全然」 鈴香「ハローワークもひとりの小娘の復讐のために、そこまで忖度できませんからね。……あ、ちなみに、私がここで働いているのは、土木部長である父の忖度ではないことを付け加えておきます」 秋菜「それは、どうでもいいよ」 鈴香「一応、言っとかないと。変な勘繰りされたら、たまったもんじゃない」 秋菜「(友恵に)で、パソコン教室はどうにか進みそうなの?」 友恵、再びパソコン画面に顔を戻して、 友恵「今の妄想話に一生懸命で、全然進みそうにありませんよ」 秋菜「このポンコツが!」 友恵「で、ケンイチは元気なんですか?」 秋菜「とっくに別れたわよ。……無駄話せずに、手を動かす」 鈴香「(友恵のパソコンに近寄り)ここ、こうすればいいんじゃない?」 友恵「なるほど!」 秋菜「(鈴香に)じゃ、あんたが講師すれば早いじゃない」 鈴香「いやいや、私もそんなに詳しくなくて。ケンイチに教えてもらったことですから」 秋菜・友恵「ケンイチ?」 鈴香「あ。お2人のおっしゃるケンイチとたぶん、同じ人物だと思いますが、パソコンに詳しい、ケンイチと私は今、つきあっております」 友恵「確かに、ケンイチはエンジニアを目指していた」 秋菜「お前、17歳と付き合ってるのかよ! お前の年はいくつだよ!」 鈴香「21です。21と17は、そんなにおかしくないかと」 秋菜「このド変態!」 友恵「でも、いくらケンイチでも、こんな吐き気がするくらいケバい女と付き合うかしら?」 秋菜「(友恵に)お前、ここぞという時にすごい毒を吐くな」 鈴香「それはですね、『私の父に頼んで、いい就職先を見つけてあげる』と釣りました」 秋菜「忖度か!」 鈴香「そして、あなた方が知っているサッカー大好き爽やかケンイチはもういません。今のケンイチはパソコン大好き根暗サイコパス気味なヤバめの男です」 秋菜「そ、そうなの……」 鈴香「絶対モテそうにないヤバめの男と付き合うことにより、度量の広い女だとアピールも兼ねていますが、私はケンイチのことが大好きです」 友恵「なんのアピールなんですか、それ?」 秋菜「(友恵に)お前も手を動かす!」 友恵「は、はい」 秋菜「はぁ、もうなんなの、ここに来てもうすぐ20分、私は怒鳴ってばかりで、何もスキルを身に付けていない」 鈴香「もう、そんな空気じゃないでしょ」 秋菜「うるせぇ! 主催のお前がパソコン教室をやる空気にしろ!」 鈴香「いや、(友恵を指して)こんな彼女でも、パソコンのスキルは大丈夫ですから。もう、任せてください」 秋菜「そう?」 友恵「すみません、大変お待たせいたしました。もう、大丈夫です。わからない箇所もわかったので、これでパソコン教室、進められます」 秋菜、友恵、鈴香、改めて居住まいを正して、 友恵「……まず、電源スイッチを入れてください」 【糸冬】
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