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日曜日の昼下がり、葵は家の近くの公園にいた。
「今年もすごいな」
公園では、そろそろ満開を迎える桜を見に集まってきた花見客の為の出店がたくさん並んでいた。そして、葵は花よりだんごとばかりに、今日のお昼を手に入れる為に公園にやって来たのだった。
「大好きなたこ焼きと焼きそばも手に入れたし、家に帰って昼間からビールでも飲もうかな」
ウキウキとした気分で歩いていると、ふと目に入った光景に、葵は足を止めた。
それは、人の喧騒から離れ、一人芝生で号泣している男性の姿だった。もしそんな光景を見つけたらそっと目を背け、知らないふりをするのが普通なのかもしれない。
しかし、葵は、目を背けることが出来なかった。彼の姿は、まるで1ヶ月前の自分を見ているようだったからかもしれない。
気がつくと、葵は、男性の目の前に立っていた。
「これ、良かったら食べてください」
驚く男性の前にたこ焼きを置くと、お辞儀してその場を立ち去ろうとした。
しかし、その時、葵は突然手を掴まれた。
「良かったら、一緒に食べてくれませんか」
これが葵と健太の出会いだった。
葵は、気がつけば彼の隣に広げられたハンカチの上に座っていた。
(私、なんで今知らない人の隣に座ってるんだろう。というか、何で知らない人にたこ焼きを渡したんだろう。普通に考えたら私、すごい危ない人だよね)
今さらながら葵が、自分の行動を反省していると、隣でガサガサと音がして目の前に缶ビールが差し出された。
「あの、たこ焼きのお礼というか、良かったら」
(えっと、知らない人からものをもらっては…)
「ごめんなさい。ビールじゃない方が良かったですか。どうしよう、ジュースとか持ってなくて」
男性のあまりにもの慌てぶりに葵は、笑みがこぼれた。そして、彼の手から缶ビールを受け取った。
「ありがとうございます。缶ビール頂きます」
男性は、ホッとした表情を浮かべた。
「えっと、乾杯しますか。私、高野健太と言います」
「私は、飯山葵と言います」
二人は、自己紹介をすると、缶ビールを軽くコツンとぶつけた。
「あの、葵さんはどうして、僕にたこ焼きをくれたんですか。普通男性が号泣していたら、気持ち悪くて近づかないと思うですが」
そういうと、健太は、伺うような表情を葵に見せるとふと下を向いた。
「まあ、確かに大号泣でしたもんね」
「ですよね…」
ますます落ち込む彼の姿に葵は、慌てて言葉を続けた。
「でも、気持ち悪いとは思いませんでしたよ。それに私も1ヶ月ぐらい前にいろいろあって、この近くのベンチで泣いたんです。だから、なんとなく、他人事におもえなくて…」
そういうと、今度は恥ずかしそうに葵も下を向いた。
「そうだったんですね。お仲間でしたか」
「あ!でも、私は夜こっそり泣いてただけですよ。昼間に公園で号泣する勇気は、私にはありませんから」
「それは、失礼しました」
葵の慌てて否定する姿に今度は健太が笑みを浮かべた。そんな健太の様子に葵は、意を決して質問した。
「どうして、あんなに泣かれていたんですか」
葵の言葉に戸惑いながら、葵の質問に答える前に健太が葵に尋ねた。
「葵さんは、小説は読まれますか?」
「はい、有名なものぐらいですが」
「では、皆川昴という小説家を知っていますか?」
「はい、何年か前に『星が流れる季節に』で有名になった作家さんですよね。実は私、次に出た小説も買ったんです」
「本当ですか。どうでしたか?」
健太の突然の食いつきに若干引きながら葵は答えた。
「うーん、あまり面白くありませんでした。新しく出るとたまに立ち読みするけど、ちょっと」
「そうでしたか」
健太は、みるみる元気がなくなった。
「ごめんなさい。好きな作家さんとかでしたか?」
「…なんです」
「え?何ですか?」
「それ、僕何です。皆川昴は、僕のペンネームなんです」
「えっ!」
あまりにも驚いた私は缶ビールを落としてしまい、たこ焼きを駄目にしてしまった。
健太の話によると、あの小説以降まったくまともな小説がかけていないらしい。そして、次の小説が売れなかったらとうとう契約を切られるところまできてしまったらしい。
新しい原稿の締め切りは一年。
しかし、どんなに頑張っても書けない日々とそんな自分に絶望してこんなところで号泣してたらしい。
「僕には、才能なんてないんです。だからもう、小説を書くのをやめようかと思って」
「何言ってるですか、まだ一年あるじゃないですか」
「そうなんですが」
「それに、泣いてたってことはまだ諦めきれてないんじゃないですか」
葵の言葉に、健太は目を泳がせた。
「そうだ。編集者の人には、アドバイス貰ったりしないんですか。それを参考にしてもう一回考えてみましょうよ」
葵は、健太を必死に励ました。
「僕の小説は、絵が浮かばないって言われるんです。いくら読んでもその情景が浮かんでこないって」
「そうなんですか?でも、『星の流れる季節に』は、すごい綺麗な風景が浮かんできましたよ。特にあの満天の星空の描写は綺麗でした。まるでその場で一緒に見ているようでした」
「あれは、僕が子どもの頃に経験したことを元に書いたんです。あの星空もそうです。でも、今は何を見てもあんな気持ちになることがないんです。いろいろ一人でいろんな場所に行ってみたんですが。まったく駄目でした」
「それなら今度は、友達や恋人とかと行ったらまた違うんじゃないですか。やっぱり共感してくれる人がいるかどうかで感じかたとか変わるかもしれませんし」
そんな葵の言葉に、健太はますます下を向いた。
「どうしたんですか?」
「僕こんな性格なんで、そういう事に付き合ってくれる友達いないんです。もちろん、恋人なんていません。だから、きっと無理です。やっぱり、もう駄目なんです」
葵は、健太のウジウジした態度にだんだんイラついてきた。
「もう!さっきから、もうネガティブばかりじゃないですか。なんですぐ諦めるんですか」
葵の言葉を受けてもまだウジウジしている健太の姿に、葵はため息をついた。
「分かりました!」
そういうと、葵は、勢いよく立ち上がった。
「私だって、またあんな綺麗な小説を読みたい。皆川先生、いや健太、私があなたの友達になる。だから、また小説が書けるように、一年間、私に付き合っていろんな場所に行くこと。友達と見る景色は違うはずだから、きっと大丈夫。小説家を諦めるかどうかは、それから決めてもいいでしょ」
「そんな、出来ないです!会ったばかりの人に頼むなんて申し訳ないです」
「あ!友達なんだから敬語も無しだよ。それとも、私では役不足だって言うの」
「いや、そんな事は…。分かりました。いや、わかったよ。では、よろしくね、葵」
「うん、健太よろしくね」
こうして、葵と健太の変わった友達関係が始まった。
同い年かと思って、よく話したら健太の方が5つも年上なのが分かり、葵は、かなり驚いたが、
「友達なんだから、敬語なしだよ」
そう、健太に言われて葵は、しぶしぶ納得した。
それから葵達は、いろんな場所に出掛けた。二人でお花見したり、梅雨の季節には、紫陽花が綺麗だという場所に出掛け、夏には満天の星空も見たし、綺麗なひまわり畑も見に行った。
最初の頃は、何も変わらないと健太はあきらめていたが、葵は、いろんな場所に行っては、素直にその時感じた気持ちを健太に伝えていた。
「見て、桜吹雪!私、咲いてる姿より、散り始めが好きなの。ヒラヒラする花びらが綺麗じゃない?」
「紫陽花って雨の中見るのもいいけど、雨あがりも綺麗なんだね。雨の雫がキラキラ光ってすごく綺麗」
「ひまわりってこんなに大きくなるんだね。私とどっちが大きいかな。」
最初は、一方的なものだったが、健太もこのお出かけを楽しんでいるようで素直に感じた気持ちを話してくれるようになった。
そんなある日、二人は山登りをした。
「健太、早く歩いて。そんなにゆっくり歩いてたら日が暮れちゃうよ」
「俺は、インドアなんだよ。そんなに早く歩けないよ」
「いいから、文句言わずに歩く」
「それより、葵のリュック何入ってるのさ。何か重そうだよ。半分持つから渡しなよ」
「女の子はいろいろもの入りなの。だいたい、今だってヘロヘロなのに、健太が持てるわけないでしょ。いいから、歩く」
「はあ、分かったよ」
まわりの人より何倍もの時間をかけ、二人は、やっと頂上にたどり着いた。
「すごい景色だね。みんなが頑張って登る気持ちがわかる気がするよ。空気が美味しいってこんな気持ちなんだね」
そういうと、健太は思い切り息を吸い込んだ。すると、後ろから葵の笑い声が聞こえた。
「インドア健太用の低めな山でも、感動してもらえて良かった」
「相変わらず葵は、意地悪だな」
健太が振り返ると、葵がひらけたスペースにシートを広げ手招きしていた。
健太が葵の隣に座ると、
「お腹すいたでしょ」
そういって、健太にお弁当箱を渡した。
「わざわざ作ってくれたの?」
「私が頂上で食べたかったから作っただけ。健太のはついでだから。ちなみに、お弁当へのクレームは受け付けないからね」
恥ずかしそうにそっぽを向く葵の頭を健太は優しく撫でた。
「ありがとう」
「また、子ども扱いする」
健太が蓋を開けた瞬間に見せた嬉しそうな笑顔に、葵は胸がドキッとした気がした。
「どうかした?」
「なんでもない。食べよう」
「うん。本当に美味しそう。ありがとう、葵」
「どういたしまして」
(さっきの何?なんで)
不思議に思って下山でまたヘロヘロになっている健太の姿を見たが、同じになることはなかった。
(そうだよね。まさか、私が健太にドキッとするわけないよね)
それからも、二人は一緒に出掛けた。とても楽しくて、もう何年も過ごしている仲間のような不思議な感覚だった。
そんな中、男女二人でいるとやはり、恋人同士かと間違われることが何度もあった。しかし、その度に、健太 は必ず否定した。
「違うんです。僕達、旅仲間というか出掛けるのが二人とも大好きなだけなんです」
そういうと、健太は葵に同意を求めた。葵は、大きくうなずく度に自分の胸がチクリと痛むのを知らないふりをした。
そして、今日二人は大きなもみの木を飾ったイルミネーションを見に来ていた。
「イルミネーションは綺麗だけど、やっぱり恋人ばかりだね。さすがに、友達でイルミネーションは目立っちゃうかな」
「イルミネーションはこの時期のデートプランの一つになるしね。私も恋人とイルミネーションデートとかしてみたい」
二人はもみの木を見上げながら話をした。
「葵、彼氏いたっけ?」
「いたら、健太と今見てないでしょ」
嫌みとばかりに葵は、健太を睨んで、またもみの木へと視線を戻した。
「しょうがない、僕が今だけ彼氏役してあげようか」
「何、バカなこと…」
葵がもう一度健太を見ようとすると、突然健太は葵を後ろから抱き締めた。
「ちょっと、健太離して。恥ずかしい」
「静かに。余計目立っちゃう」
健太が耳元でしゃべるので、葵は真っ赤な顔をして下を向いた。
「葵、今日まで本当にありがとう。葵のおかげでいろんなところに行って、たくさんの綺麗なものを見ることが出来た。やっと、ちゃんとした小説が書ける気がするよ」
「もう大丈夫なの?小説書ける?」
葵は、健太の回した腕をぎゅっと掴んだ。
「うん、きっといい小説を書くよ。だから、書けたら一番に葵に読んで欲しいんだ」
そういうと、健太は葵の顔を覗きこんだ。すると、涙を流した葵と目があった。
「葵、どうして…。なんで、泣いて」
葵は、緩んだ腕から抜け出した。
「健太、頑張ってね。ちゃんと完成させるまで連絡してきちゃ駄目だよ。私、楽しみに待ってるから」
そういうと、葵は駆け出した。
突然の事で、健太は葵を追いかける事が出来なかった。
葵は、健太と初めて会った公園に来ていた。
(小説が完成したら、もうこの関係終わりなんだよね。今さら健太を好きな事に気がつくなんて。小説の完成を応援したいけど、辛いよ)
葵は、うずくまりながら泣いた。
年も明け、1月が終わる頃になっても健太から連絡くることは無かった。
(このまま完成しなかったら、また会えるのかな)
冷たく凍える道を歩きながら、そんな事を思ってしまった自分に葵は呆れた。
(バカだよね。ちゃんと応援するって約束したのに…)
そして、2月の半ばをすぎた頃、健太から連絡があった。
『初めて会った公園で待ってる』
葵が向かうと健太は、寒そうにベンチに座っていた。今日が最後になるかもと思うと、足が止まってしまった。
しかし、健太がこっちに手をふっているのに気がつき、葵は、健太の元へ急いだ。
「久しぶり。やっと書けたよ」
健太は、葵が来ると笑顔で原稿を渡してきた。
「おめでとう。読んでいいの?」
「うん。葵に一番に読んで欲しい」
葵は、ベンチに座るとすぐに読み始めた。
それは、絵が書けなくなった画家が、再び書けるようになるまで、幼なじみと日本中を旅する話だった。出てくる景色は、どれも色鮮やかで綺麗に輝いていた。
同時に、葵は健太と過ごしたこの数ヶ月を思い出していた。葵の目からは自然と涙がこぼれだした。
画家は、何ヵ月も旅をするうちに無意識にスケッチをしているあるものに気がついた。それは、この数ヶ月の中でもっとも彼の心を揺り動かしたものだった。それは、
原稿は、そこで止まっていた。
「どうして、ここで止まっているの?」
「ねえ、画家の心を一番揺り動かしたものって、何だと思う?」
「綺麗に咲く花?」
「違うよ」
「夜に輝く星空とか?」
「それも違う」
そういうと、健太は葵の隣に座ってぎゅっと葵を抱き締めた。
「画家は、気がついたんだ。一番心を揺り動かしていたのは隣にいた幼なじみの笑顔だって」
「健太…」
「葵、俺も同じなんだ。この何ヵ月もの間で一番心で輝いてたのは、葵の笑顔だったんだ」
そういうと、健太は葵に向きあった。
「葵と見た景色は、どれも輝いてた。でも、それは葵が側にいてくれたからだ。だから、これからも側にいてほしい。葵の笑顔の為にいっぱい小説書くから」
その言葉に、葵は涙が止まらなくなった。
「小説完成したら会えなくなると思って…」
「バカだな」
また健太は、葵を抱き締めた。
「返事は?」
「もうずっと離れない」
腕の中から葵は、泣き笑いの顔をあげた。そんな葵を健太はいとおしそうに見つめた。
「葵」
「なあに?」
「大好きだよ」
「私も大好き」
季節が二人が出会った春へと動き出す。
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