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【一章 九 「三階にて」】
ジェンが二人に衣服を用意し暖炉に火を入れ、ミーニアが室内を軽く清掃し寝具を用意した。その作業中、それまで特に変わった様子のなかったサフィラが突然倒れた。血相を変えて彼の名を呼ぶレグロに大丈夫だと頭を撫で、ロイドが回復にあたった。黄味がかった緑色とチリチリとブレて視えるアニマが示すのは、極度の疲労と発熱。暖炉前のソファにサフィラを寝かせて毛布を被せ、泣きそうな顔のレグロにも毛布を手渡す。どうやら、先に休息を取ったのは間違いではなかったようだ。興味深そうに横から眺めていたジェンは、初めて見るロイドの天眼の輝きに、感嘆の声を洩らした。
「すごい……なんだかロイドさんが出来る人みたいに見えてくる……」
「……褒め言葉と受け取っておく。ただ、この状態のアニマは生命術で活性化は出来ない。とにかく身体を暖めて寝かせてやるしかない。傷はもう見当たらないし、すぐに回復するとは思うが」
「本当に……大丈夫なんでしょうか?」
レグロが不安気に俯く。彼自身心身ともに相当疲弊しているはずだ。ロイドはサフィラが横になっているソファの頭側に一人がけの肘掛け椅子を引っ張って行き、座るようレグロに促した。皮張りの椅子に腰を下ろした王子は、綺麗に脚を揃えて膝の上に両手を置く。本人は無意識なのだろうが、所作の一つ一つが、同年代の子供達とは明らかに一線を画している。
「大丈夫。案外、丈夫な奴ですから。子供の頃から、風邪をひいても体力と気力だけで治してたぐらいです。たぶん、俺に治療されたくない一心で」
「あなたたち兄弟は、その……喧嘩をしているのですか?」
「喧嘩というか……嫌われてしまったようで。色々あったので」
「少しだけですが、サフィラから聞いていたあなたの印象とは、だいぶ違う。まだお会いして間もないのにこんなことを言うのはおかしいですが……」
「いえ……彼が言う通りの人間ですよ、俺は」
「あの……ひとつだけ、教えていただいてもいいですか?」
もちろんです、と返すと、暖炉の横に補充用の薪を積んでいたジェンが、じとりと視線を流して寄越した。ついさっき全く同じ質問をした自分への対応と比べて、納得がいかないのだろう。それでも何も言わずに作業を続けているのは、相手が王族だからか、ロイドには言っても無駄だと思っているからか。もしくは、その両方か。
「『ここ』がしばらくは安全だというのは、どういう意味ですか?とても不思議で……それに——」
この建物が見張られている可能性もあるのでは?というレグロの疑念に、ロイドは「ああ……」と思い出したような顔になる。ロイドもジェンもミーニアも、この空間の存在が当たり前になってしまっていて、説明するのを忘れていた。ずっと気になっていたに違いない。どこから話したものかと一度思案したあと、自身も弟が眠るソファの肘掛けに軽く腰掛け、単刀直入に語る。
「この『三階』は、外からは見えません。建物自体、ぱっと見は二階建てです。窓を開けさえしなければ、ここに人がいるとは誰も思わないでしょう。それと、ここを造ったのはサフィラです。もう十年も前の話ですが」
レグロが大きな瞳をパチパチと瞬く。しかしロイドの返答は、思わぬ場所にも流れ弾を飛ばした。各々作業をしつつ二人の会話に耳を傾けていた双子が、まったく同じタイミングで勢いよく顔を上げロイドを見る。目の開き具合までそっくり同じだ。
「はあああ?!」
こういう時、この双子の重なり具合はさすがというべきか本当に奇跡のようだと、微笑ましく眺める。暢気なロイドに二人が詰め寄って行く。
「『この家は元からこうだった』、『珍しかったから住むことにした』ってあたし聞いてたんだけど」
「僕は『三階は幽霊が出るって噂で、空き家のままだったから安く買えた』って聞いてますけど。あれ全部嘘ですか?」
「どこからどこまで本当でどれが嘘?ていうか造ったって何?何年一緒にいたと思ってんの?」
「殿下の事情はサフィラ様が元気になってから聞くとして、ロイドさんのことぐらい先に教えてくださいよ。部屋の準備ならだいたい終わりましたよ」
「……」
微笑ましい、なんて浸っている場合ではなかった。
(まずい……これはかなりまずい)
ジェンとミーニアを迎え入れた当初、ロイドは当面一人で生きていく想定しかしていなかった。実家のことも家族のことも、かなりその場凌ぎで誤魔化していた記憶しかない。詰まる所、自分のことを二人になんと説明したか全く覚えていないのである。幽霊の話など感覚的には初耳だ。
「……実家と折り合いが悪くて出て来た、と、説明した気がする……がそれは本当だ」
「なんでそんなたどたどしいのよ。それに、それぐらい士長サマの態度見てればわかるわよ」
「わかりました、『どれが嘘か』はもういいので、とりあえず事実を教えてください。あ、でも言えないことは無理に言わなくていいので」
「すまない、ありがとう」
ジェンの気遣いに感謝しながら、ロイドはまだ本名で生きていた頃、メンシズを勘当される前の事をぽつぽつと語り始めた。必然、弟であるサフィラも登場するわけだが、実は彼も国家の秘密に関わる事情を抱えている。そして、それを語らずして二人の確執は説明のしようがない。自分の力量でどこまで上手く省いて語れるかわからない。今日二回目になるが、とりあえずは彼の意識がなくてよかったと、ロイドは思った。
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