雨の国と銀灰の治癒士

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【一章 六 「アストルムとメンシズ」】  固唾を飲むジェンとは裏腹に、ロイドの顔色は変わっていなかった。片手をカウンターに、もう片方は髪を掴む男の腕を掴み、正面からその金色の瞳を覗く。 「俺は、何も知らない。サフィラもここにはいない。そう言っている」 「その言葉がもし嘘なら?」 「……大人しく渡すと思うのか?」 「……俺だって、あいつの行動には何か理由があると思ってる。上の連中もかなり動転してる。殿下の保護は最優先だが、動機を調べるため士長も殺さず捕らえろと指示が出てる。だが俺は……俺は、あいつを一発殴らないと気が済まねえ」 「おいマグナス、何をそんなに感情的になってる」  睨み合う二人。  ジェンの背中を冷や汗が伝ったころ、バタバタと音を立てて兵達が店内に集まって来た。ロイド達の方に向かい綺麗に整列する。その中に件の二人もミーニアの姿もないことに、ジェンは胸を撫で下ろした。兵の一人が一歩前に進み出る。 「報告。二階までくまなく捜索しましたが、発見出来ませんでした」  その声に、男は小さく舌打ちするとロイドから手を離した。男が今度は左手を上げると、整列していた兵達がぞろぞろと店外へ出て行った。ロイドがマグナスと呼んだ男もその後に続いたが、開放された入口のドアに手をかけたところで振り向き、再びロイドを睨んだ。 「あいつは、俺の部下を傷付けた。昨晩の当直だった俺の右腕だ。部下は重傷、いま集中治療を受けてる」  男の言葉に、それまで表情を崩さなかったロイドが、初めて動揺を見せる。 「サフィラが……属性術を使ったのか?人間を相手に?」 「ああ、間違いない。ロイド、お前が知らないと言うならとりあえずは見逃してやる。だが今後あいつがここへ来たら、必ず知らせろ。俺が直接話を聞く」 「……約束はできない」  ロイドの返答に、男は鼻で笑った。 「邪魔したな、少年。吸水器の魔石、いっぱいにしちまって悪かったな」 「あ、いえ、そろそろ変え時だと思ってたので……」 「ハハ、ロイドの給料から引いといてくれ。それと——もう一人のお嬢ちゃんにもよろしくな」 「……?!」  バタンと音を立てて、ドアが閉まった。 「ロイドさん」  近衛達が引き上げた後、無言のまま床に転がった万年筆とスタンドを拾うロイドに、ジェンは声をかけた。 「きっとこれから全部説明してくれると思ってるので、とりあえず一つだけ聞いても良いですか」 「俺について以外なら」 「そう言うと思いましたよ、もう!」  一番聞きたいことなのに、とむくれるジェンに、ロイドは何も言わず、困ったように笑った。本人に面と向かって言ったことはないが、ジェンもミーニアも、ロイドのこの諦めたような表情(かお)が嫌いだった。 「なら、さっきの恐い人のことは?まあ、だいたい見当はついてますけど」 「……マグナス・アストルム。王宮近衛のトップだ」 「やっぱり。ミーニアがいない事も気付いてるみたいだったし、いつまでも匿えないですよ、きっと。だいたい、『家名持ち』の人となんであんな風に話せてるんです?それに、サフィラって士長のメンシズ様の名前ですよね?レグロ殿下を連れて逃亡してるって……さっきの二人のことですよね?ずっと一緒に暮らして来て、今更こんなこと言うのも変だけど……ロイドさん、あなた一体何者なんですか」 (結局全部聞いたな……)  最後はほとんど勢いで言い切ったジェン。本当は、今までずっと気になっていたのかもしれない。隠していたつもりはない。いずれ、話す予定ではいたのだ。彼らに不信感を持たせるくらいなら、少しでもそういう話になったら、伝えてしまおうと思っていた。成り行きではあるが、いい機会なのかもしれない。 「とりあえず、『三階』へ。全部話すよ。店は今日は開けなくていい」 「いいんですか?怪しまれないかな……」 「俺の店だぞ?夕方まで閉まってても『いつものこと』だ」  冗談めかして言うと、ずっと難しい顔をしていたジェンに少し笑顔が戻った。  二階へ上がると、階段を上り切った所でロイドが手摺りの裏側を探る。すると、手摺りと同じ色に塗装された長い鉤針のような棒がその手に握られた。ロイドの身長の半分ぐらいの長さがある。ロイドはその棒をするすると伸ばし、コンコンコンと天井を三度ノックした。よく見ると、天井の一部の壁紙に正方形に線が走っている。そして、その正方形の部分がパカっと開き、天井から階段が下ろされた。上階からミーニアが見下ろしている。 「もう大丈夫なの?」  降りて来ようとするのを手を上げて止め、ロイドが階段を上がる。その後ろにジェンも続き、上り切ったあとで階段を引き上げて開閉口を閉じた。跳ね上げ階段と似ているが、どこか不安定で、取って付けたような作りだった。上がった先の上階も二階と同じような造りで、廊下があり左右に一つずつ部屋がある。二階は廊下を挟んで左側に居室が二部屋、右側に台所と洗面所や浴室があるが、三階は大きめの部屋が二つあるだけのようだった。しばらく使われていなかったのか、廊下は所々足跡が見えるぐらい、薄らと埃が積もっていた。足跡は右側の部屋へと続いている。三人が部屋へ入ると、ちょうど窓から死角になる位置に、雨衣の二人は立っていた。カーテンが引いてあるため室内は暗く、妙な緊張感が漂う。最初に口を開いたのは、意外なことに、それまでほとんど言葉を発さなかった子供だった。 「教えてください。なぜ私たちは見つからなかったのですか?この建物は、外からは二階建てに見えました。兵達も、二階まで探して引きあげて行きました。この場所は一体何なのですか?」  その声は、まだ声変わり前なのか少年にしては高く、それでいて凛とした響きがあった。こんな状況でもこれほど落ち着いていられるのは、やはり育ちのせいなのか、持って生まれた性格なのか。 「殿下、それに関しては後ほど説明させていただきます。話せば長くなります。先に——そうだな……自己紹介させていただいても?」 「ちょっとロイド、あたし全然話についていけないんだけど。ていうか……『殿下』ってどういうこと?」  階下でのロイドとマグナスのやり取りを知らないミーニアが、不満気な声をあげる。恐らく、今一番混乱しているのは彼女だろう。ジェンとミーニアへ話さなくてはならないこと、青年と子供に説明しなければならないこと。二つを手っ取り早く進めるために、まず何から始めるべきなのか、ロイドは顎に手を当てて考えた。そして、口下手な男の導き出した答えは、あまりに唐突で、双子達を驚愕させる内容だった。 「俺の本名は『アルビス・メンシズ』。メンシズ家の元長男で元王宮魔術士だ」 「は……?えええ!?」  ジェンとミーニアの声が、綺麗に重なって部屋中に響き渡った。
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