第3話 マナ悪オヤジ

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第3話 マナ悪オヤジ

     1  五月晴れの午後は気分がよく、足取りも自然と軽くなる。  アンナは、自宅から『スパロー』にむかって歩いていた。  中央公園のツツジが、きれいな花を咲かせている。施設にいた子供の頃、よくツツジの花をむしって蜜を吸っていたものだが、品種によっては毒があることを、あとになって知った。  世間はゴールデンウィーク真っ只中だ。会社員でも学生でもないアンナには、ゴールデンウィークだから、というほどの予定はない。  競馬がGⅠシーズンで少し楽しみではあるが、麻雀ほどの大金は賭けない。肝心の麻雀は、4月末に川越で高レートの場が立ち、勝ち頭だった。  ヨシオは連休中、バイトのシフトをほぼ毎日入れていて、それが終わると『スパロー』に顔を出す。今頃は、倉庫で汗を流しているだろう。  途中の道で、工事をしていた。警備員がひとり立っている。60過ぎくらいで、背が低く腹の出た男だ。制服はだらしなく着崩れ、誘導棒を振る動作にもやる気が感じられない。  前を通り過ぎると、男は露骨にアンナの胸を見て、下卑た笑みを浮かべた。いちいち気にしても仕方がない。この先の信号を渡れば、すぐ『スパロー』だ。  『スパロー』に着き麻雀を始めたが、どうも嚙み合わない。  4戦して、3着4着が2回ずつ。ツキがないと言ってしまうのは簡単だが、こういった状態でどう打つかを考えるのも、(かて)となる。  夕方、ヨシオが来て同卓した。トップ目だったが、オーラスでヨシオにまくられてしまった。 「上達したねえ、ヨシオ君」 「やるなあヨシオ。ま、今日のアンナはツイてない感じするよ」  高田と鶴見が言った。悔しい気持ちはあるが、これもまた麻雀だ。 「いやあ、ラッキーです」  大きく息をついて、ヨシオが言った。バイトを始めてから、ヨシオは少し顔つきが引き締まってきた。アンナは頷いて、アメスピに火をつけた。  次の半荘へ移ろうとしたところで、店のドアが開いた。  入ってきた男の顔を見て、アンナは目を大きく見開いた。工事現場にいた、だらしない警備員だ。昼間と違うキャップをかぶり、色褪せた黒いブルゾンを羽織っている。 「いらっしゃいませ、牧瀬さん。ちょうど始まりですよ。お飲み物どうしますか?」  高田が男に挨拶した。牧瀬というらしいが、初めて会う。昨日、アンナは新宿の『幻龍』で矢野や早田と打ち、『スパロー』に寄らず帰ってきた。おそらく牧瀬は、昨日新規で来たのだろう。 「ビール」  言って、牧瀬は鶴見が抜けた席に、どかっと腰を下ろした。  東一局、親のアンナが先制リーチを打った。 「う~ん、参ったなぁ」  牧瀬が悩んで、アンナの現物の八筒を切った。ヨシオは3枚見えの白を切り、武田もアンナの現物である八索を切ると、牧瀬は無言で手牌を開けた。 「仕方ねえ、タンヤオドラ1。2000点」 「えっ。参ったって言うから、てっきりオリたと思ったのに……」 「だってよ、678の三色狙ってたのに、五筒引いちゃうんだからさ」  牧瀬が言うと、武田はしょんぼりとした表情で点棒を払った。心なしか、頭の輝きも鈍いように見える。 「牧瀬さん、『参った、弱った』からのアガリは三味線行為に取られるから、やめてくださいね。それと、ロン発声もお願いしますよ」 「あ~はいはい」  鶴見が注意すると、牧瀬は小皿の柿ピーをボリボリ食べながら、面倒くさそうに返事した。  次局、アンナは配牌でドラの発が暗刻だった。リャンメンターツにヘッドもあり、ブロック数も足りている。  親の牧瀬が第一打をしようとした際、柿の種が卓の中央に落ちた。手に付いていたのだろうか。拾おうとした際、誤ってボタンを押してしまったのか、フタ開閉部が開いた。これでは局を続行できない。  こういった場合、『スパロー』のルールでは、局の途中なら満貫払いのチョンボ扱いだが、始まりなら、ペナルティはなくやり直しとなる。 「いやあ、悪い悪い。俺も赤があって、いい手だったんだけどよ」  いまのはわざとではないだろうが、前局を引きずる武田は、渋い表情を浮かべていた。アンナは黙って牌を流し、鶴見に代走を頼み、席を立った。  トイレにむかう途中、アンナは高田に小声で訊いた。 「昨日もあんな調子だったのかい?」 「う~ん、そうでもなかったんだけど、今日はちょっとひどいな……」 「まあ、店長の判断に任せるよ」  トイレから出ると、鶴見と牧瀬が口論していた。 「ん~、またあのオッチャンなにかやったの?」 「いやあ、牧瀬さんがグラスを卓上に置いて、鶴見が注意したら逆ギレしちゃってさあ」 「ふざけんなよ!」  ヒートアップした牧瀬が拳で卓を叩くと、驚いた武田がウーロン茶をこぼした。諦めたような表情で、高田は牧瀬の方に歩いた。 「申し訳ございません、牧瀬さん。他のお客様にご迷惑がかかりますので、これ以上当店で遊んでいただくわけにはいきません。恐れ入りますが、お引き取り願えますか」 「わかったよ、出てきゃいいんだろ!」  乱暴にドアを開け、悪態をつきながら牧瀬は出ていった。  牧瀬が抜けた席にアンナが座ったが、どうも後味が悪かった。成績も振るわず、2連続3着だ。  その後、小形と大橋が来たので代わってもらい、アンナとヨシオは席を立ち、『スパロー』を出た。 「アンナさん、今日は不調でしたね」 「ま、こんな日もあるさ。よし、メシ食って飲むか」 「はい」  ヨシオの自転車は『スパロー』に置いたまま、二人で東口へむかった。魚のうまい店がある。  店の手前で、怒鳴り声が聞こえた。隣の建物。2階にある雀荘『くらげ』からだ。  階段を、男が降りてくる。さきほど『スパロー』を出禁になった牧瀬だ。  アンナは思わず苦笑した。
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