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アンナは、『くらげ』から出てきた牧瀬に声をかけた。
「よう、牧瀬さん。またトラブったのかい?」
「なんだ、さっきの雀荘にいたボインのネーチャンじゃねえか」
「ハハッ。確かにボインだが、アタシには、黒崎アンナって名前があるんだぜ」
「へえ、いい名前じゃねえか。しかしよ、どこ行ってもマナーがどうとかうるせえなあ」
「仕方ないだろ。麻雀は四人でやるもんだし、店やほかの客に迷惑となるような振る舞いは控えないとさ」
「俺は金払って楽しみに来てるんだぜ」
「それはほかの客も同じさ。それより、ちょっと飲み行こうか。すぐそこの店、魚がうまいんだ。一杯奢るよ?」
「そりゃいいな」
三人で店に入り、アンナと牧瀬は生ビールで乾杯した。ヨシオは、ウーロン茶を飲んでいる。
刺身や煮付けを食べつつ、牧瀬の身の上を聞いた。長く勤めていた会社が倒産し、奥さんにも先立たれ、警備の仕事で食いつないでいるようだ。
「なるほどな。牧瀬さん、苦労してるんだ。でもさ、麻雀は……勝負事は、勝って驕らず、負けてくさらず。スマートに遊ばないとな」
「そんなでけえオッパイぶらさげといて、スマートはねえだろ」
「ハッ。こいつは一本取られちまったな。どうだい、いまから『くらげ』でアタシの麻雀見てみないか? 勝ち負けだけじゃない打ち様、見せてやるよ」
「俺は構わねえけどよ、さっき出禁になったばかりだぜ」
「だいじょぶだって。アタシに任せときな」
会計を済ませ、『くらげ』へむかった。ドアを開けると、店長の星野が出迎えた。
「いらっしゃい、久しぶり……って、さっきの。おいおい、どうなってるのよアンナちゃん」
「悪い、星さん。二人は見学で打たないからさ、アタシだけ2回ほど打たせてよ」
「まあ、アンナちゃんが言うなら……特別だよ」
「どうぞ。東二局西家、27000点持ちです」
言って、若いメンバーが立ちあがった。アンナはその席へ座り、メンバーに1万円を渡した。すでに、星野は1万円分のチップを用意している。
「座っていきなりトップ目なんて、ツイてるね」
対面の男が絡んできた。40手前くらいの、知らない顔だ。アンナは適当に相槌を打った。
ヨシオと牧瀬の視線を感じつつ、アンナは淡々と摸打した。二人が見ていても気負いはないが、思うように手牌が進行しない。
9巡目に対面の男がリーチをかけ、3巡後に跳満をツモった。赤と裏ドラが1枚ずつ。アンナは、3000点とチップ2枚を払った。メンバーとのやり取りで、男は西田という名前だとわかった。
『くらげ』のレートはピンのワンスリー、つまり1000点100円で、ウマが1000円・3000円である。チップは門前祝儀で、1枚500円だ。
その後、判断ミスによる放銃が痛手となり、アンナの初戦はラスで終わった。チップの残りは、もう2000円ほどしかない。
トップは西田だった。こちらを見て、ニヤリと笑っている。アンナは気づかぬ素ぶりでアメスピに火をつけ、ラス半コールをした。
2戦目は、四人が拮抗した展開になった。だが、三人のアガリは門前が多く、ことごとく赤や裏ドラで祝儀がついたのに対し、アンナのアガリは鳴きばかりで、祝儀を得られない。途中でチップがなくなり、アンナは1万円分のチップを追加してもらった。
オーラス、ドラは三索。全員がトップを狙える状況で、アンナは3着目だ。トップ目から3900直撃、満貫ならどこからでもいい。
9巡目、アンナの手はイーシャンテンになった。赤が2枚あり、三索を引けば、ダマで満貫だ。
10巡目、ダブ南を鳴いている2着目の西田から二索が出た。アンナはポンし、一索を切った。
「ロン」
西田が手牌を倒した。
5200点の放銃で、アンナはラスに落ちた。トップはまたもや西田だ。支払いを終え、アンナは席を立った。17000円ほどの負けだ。
「女の子にしちゃ、結構打てるじゃん。またやろうよ。今週末は家族サービスだけど、連休明けの月曜は早上がりだから、待ってるよ」
勝ち誇った表情で、西田が言った。
「ああ、今日はやられたよ。星さん、悪かったね」
「いやいや、ありがとう。またな」
星野の言葉に、アンナは笑顔で頷いた。
外に出ると、牧瀬がまくし立ててきた。
「なんだあの野郎。ちょっと勝ったからっていい気になりやがって。それに比べて、アンナちゃんはツイてないのにグッと我慢してたよな。俺だったら怒鳴り飛ばしてるぜ」
「そりゃダメだよ、牧瀬さん。ま、今日に関しちゃ、あいつの方が上ってことさ」
2階を見上げながら、アンナは言った。
「そうかあ、どう見てもアンナちゃんの方がすげえよ。なんつーか、格みたいなやつっていうか。俺でも違いがわかるぜ」
「ありがとよ。でも、最後の局、あれは明らかなミスだ。対面はたぶん、一索と二索のシャボから、三索を引いて待ちを変えたんじゃないかな。アタシは赤2枚あって、ドラ引きの満貫もあるから目一杯に構えていたが、一索は早々と見切り、タンヤオに行くべきだった。3900でも2着だし、トップ目から直撃なら逆転。三索を引いたら、六索と入れ替えればよかったわけだしな」
「はあ~。俺にゃ難しい話だな。まあでも、アンナちゃんが言いたかったこと、なんとなくだけどわかった気がするよ」
「そっか、ならやった甲斐があるってもんだ。牧瀬さんがなにか感じ取ってくれたなら、それで充分だよ」
「いやあ、俺はすっかり感じ入ったぜ。それよりよ、腹減らねえか。魚だけじゃなあ」
「そうだな、ラーメンでも食うか。ヨシオもまだ時間大丈夫だろ?」
「はい、行きましょう」
牧瀬はすでに歩き出している。アンナは『くらげ』の看板に一度目をやってから、二人のあとを追った。
🀄
アンナが抜けた席に、メンバーの小川が再び座った。
星野は、コーヒーを飲みながら、なんとなく小川の手を見ていた。麻雀は上手いが、それだけの男だ。客を楽しませる、余裕がない。
「星野さん、さっきのアンナって子、よく来るんですか?」
西田が訊いてきた。この雀荘に来るようになったのは、ふた月くらい前からだ。ここではまあ上位に入る腕だが、星野から見ても、今日の西田は明らかに調子がいい。
「前はよく来てたけど、最近はそうでもないな。今日はひと月ぶりくらいじゃないかなあ」
「やっぱり、若い女の子じゃ、金が続かないか」
「いや、その逆だよ。以前ここで19連勝して、お客さんみんなパンクで卓割れしちゃってさ。以来あの子、気ぃ遣ってんだよ。たまにしか顔を出さないし、やっても4、5回ってとこだな」
「すげえな、相当ツイてたんだねえ」
自分はさも腕で勝っているかのような西田の口調に内心いらつきながら、星野は続けた。
「アンナちゃん、今日は不調だったようだけど、ここで負けたこと、ほとんど見たことないよ。なんていうかさ、麻雀の厚みが違うんだよな」
星野の言葉に、西田は首を傾げた。
「そういや、先月末に川越で高い場が立ったみたいでさ、うちの社長が参加したんだよ、代打ち立てて」
親の大高が言った。不動産屋で働いている常連だ。
「そんな話が、いまだにあるもんなんだね」
白を切りながら、谷が言った。大高が、白をポンして話を続けた。
「集まったのは経営者とか、株で儲けてるやつらなんだけど、その場にひとりだけ、女の子がいたらしくてさ」
「まさかその女の子が、さっきのアンナって子なの?」
言って、西田が生牌の東を切った。声はかからない。東は、親の大高が暗刻で持っている。ダブ東白ドラ、親満の手をカン六筒でテンパイしている。
「俺も聞いた話だから断言はできないんだけどさ、ハタチくらいの、金髪ショートで巨乳の女の子だったらしい。まんまだろ?」
アンナならあり得る話だ、と星野は思った。
「で、社長はどうなったの?」
谷が、六筒を切りながら言った。
「ロン、親満。話しながらで悪いね」
「あちゃあ」
点棒を受け取り次局に入ると、大高が続けた。
「社長、500万やられたってさ。勝ち頭は、その女の子だって」
「マジかよ、信じらんねえな……」
低いトーンで、西田が言った。牌勢も、少し落ちてきたように感じる。
早い巡目で、小川が先制リーチを打ったようだ。星野はもう、小川の手を見ていない。
コーヒーを飲み干すと、星野はラークに火をつけ、スポーツ新聞を手に取った。
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