第4話 麻雀ダービー

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第4話 麻雀ダービー

     1  ターフの緑が、鮮やかだ。  青い空の下方は、いくつもの積雲に覆われている。昼過ぎから強さを増した陽射しが、初夏を文字通り肌で感じさせる。  5月最後の日曜、アンナは、ヨシオと二人で東京競馬場に来ていた。  今日のメインレースは、東京優駿。日本ダービーという呼称の方が、通りがいいだろうか。3歳馬の頂点を決める、競馬の祭典である。  ヨシオは未成年で馬券を買えないが、競馬新聞の馬柱(うまばしら)を読むことができた。競馬のゲームで覚えたというが、予想もなかなかのものだった。 「ヨシオおまえ、麻雀より競馬の方が向いてるんじゃないか」 「う~ん、そう言われると複雑ですね……」  ヨシオの予想に乗り、3レース中、2レース的中した。配当の2割を、アンナは祝儀としてヨシオに渡し、昼食を奢った。  東京競馬場内には、数えきれないほどの飲食店がある。ただ今日はGⅠということもあり、どこの店も混んでいる。モカソフトクリームが名物の店には、数十人が列をなしていてた。  モカソフトを食べ、パドックの脇にあるローズガーデンへ行った。いまがちょうど見頃で、様々な品種のバラが咲き誇っている。 「アンナさんも、花を見たりするんですね」 「アタシだって、いちおう女の子だぞ」 「すみません、そういうつもりではなかったんですが」 「ま、花より酒の方が似合うのは、間違いないな」  アンナが笑うと同時に、スマホが鳴った。矢野からの着信で、パドック裏の日本庭園にいるという。  パドックの人混みをかき分け、日本庭園へむかった。横目でパドックを見る。人だかりで、馬はほとんど見えない。馬たちの目に、自分たちはどう映るのだろう、となんとなくアンナは思った。  日本庭園に着いた。  池のほとりにある四阿(あずまや)に、矢野と早田、そして福尾マサトがいた。 「あれ、福尾さんもいるじゃん、どういうこと?」 「いやあ、二人を取材したい、って言ったら、いいところに行こうって誘われてついて来たんだけど、競馬場とは思わなかったよ」  顔の汗を拭いながら、福尾が言った。福尾は半袖のTシャツにチノパンという格好で、暑くて脱いだのだろう、チェックの長袖シャツを腰に巻いている。アンナの紹介で、福尾は『幻龍』で打つようになった。矢野の話では、負けてはいないらしい。麻雀の戦術本を出しているだけのことはある。 「あ、初めまして、福尾さん。水嶋ヨシオといいます。福尾さんの本で、麻雀の勉強してます」  そういえば、ヨシオは福尾と初対面だ。アンナも、今年に入ってから『幻龍』で一度会っただけだ。福尾が『幻龍』に来るのは、月に2、3回だという。 「ありがとう、よろしくね。アンナさんのお連れさんてことは、かなり打てるのかな」 「いえいえ、僕はまだ全然……。雀荘デビューも最近で」  頭を搔きながら、ヨシオが言った。 「まあでも、アンナとのコンビ打ちはなかなかだったよ。最初はどうなるかと思ったけどさ」 「え、なにそれ。気になるなあ。あとで詳しく聞かせてよ」  矢野の言葉に、福尾が食いついた。 「いいけど、記事にしちゃダメだぜ。それにしても、今日暑いよなあ。矢野っちもハヤさんも、よくスーツでいられるな」  アンナは、メタルバンドの半袖Tシャツと、デニムのショートパンツという服装だ。ヨシオもTシャツとジーパンで、来る前に着ていたボタンダウンのシャツは脱ぎ、畳んでバッグに入れている。 「いちおう、サマースーツだが」  矢野は、黒のスーツにグレーのシャツだ。よく磨かれた革靴が、日光を反射している。みなが暑そうにしている中、矢野は汗ひとつかかず、表情も涼しげだった。麻雀も、常に沈着冷静だ。 「俺たちゃ裏プロだからよ、格好もバシッとしてねえとな」  早田はストライプの入った濃いグレーのスーツで、白い開襟シャツという格好だ。 「確かに、その服装でオールバックに口ひげ、サングラスまでかけてちゃ、表稼業にゃ見えねえよな」  アンナが言うと、全員が笑った。 「一張羅なのによ……。まあいい。アンナはもうダービーの馬券は買ったのか?」 「ああ、さっき買ったよ。馬連・ワイド・3連単ボックスで1、5、8。アタシの誕生日が8月1日だから、8-1で決まってくれると嬉しいけどな」 「なるほど、パイの日ね~。だからアンナはデカいと」  早田が、ニヤニヤしながら言った。 (このセクハラオヤジめ……) 「そういえば、8月1日って、麻雀の日なんだよね。牌にちなんで」 「え、そうだったんですか。初めて知りました」  福尾の言葉に、ヨシオが反応した。アンナは、以前から知っていた。 「つまり、アタシは麻雀の申し子ってことだな」 「ふっ。否定はしないぜ」  言って、矢野がほほえんだ。  メインレースの発走まで、あと20分というところだ。アンナたちは、喫煙所で一服したのち、馬場の方へ移動した。メモリアルスタンドの端、ちょうど4コーナーから直線に入ったあたりだ。ゴール前の様子は、ターフビジョンで見ればいい。GⅠの日でも、このあたりは比較的人が少なく、アンナの気に入っている場所だ。 「以前は、このへんにも吸い殻入れが置いてあったんだけどな。世知辛い世の中だぜ」  鉄柵にもたれかかって、早田が言った。 「ヨシオ君も、馬券買ったの? 俺は競馬は詳しくないから、1番人気の単勝にしたけど」  福尾がヨシオに訊いた。場内には、発売締め切りのアナウンスが流れている。 「いえ、僕は未成年なので……。予想だけはしてますけど」 「ヨシオのヨシオ、じゃなくて予想、すげえんだぜ。いまのところ、3レース中2レース的中してる」 「マジか。その話、もっと早く聞きたかったなあ」 「まあまあハヤさん。馬券は、思い思いの馬を買うから楽しいんだぜ」 「確かに、それはあるな」  発走時刻が迫り、スタンド前に、観客が集まってきた。毎年、ダービーデーの来場者は10万人を超える。  ターフビジョンに映像が流れ、大きな歓声があがった。国家独唱のアナウンスとともに、場内が静まり返る。歌うのは、芸能人に疎いアンナでも知っている、女性シンガーだ。  場内に、伸びやかで抑揚のある歌声が響く。自然と、アンナの背すじは伸びていた。  対局の前と同じ気分だ、とアンナは思った。
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