第6話 海の怪物

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第6話 海の怪物

     1  目の前には、太平洋が拡がっている。   ヨシオは、千葉県いすみ市の大原海水浴場で、水平線を見つめていた。  海水浴へ来たのが、初めてだった。照りつける太陽と()けた砂浜。波の音や潮風。すべてが新鮮で、心地よかった。  出身地である山梨県に、海はない。海の思い出といえば小学生の頃、両親と三浦半島で潮干狩りをしたくらいだ。  昨日、8月1日は、アンナの21歳の誕生日だった。  ヨシオは昨日『スパロー』で、アンナに誕生日プレゼントを渡した。ゾンビのようなキャラクターが斧を構えた、メタルバンドのTシャツだ。その際、海に行こうという話になった。カオリも誘い、みんなでディスカウントストアへ行き、水着やビーチグッズを買った。  今朝の7時に自宅を出て、海水浴場へ到着したのは10時過ぎだ。いまはひと泳ぎ終え、休憩している。泳いだと言っても、水泳が得意ではないヨシオは、ほとんど浮き輪を使って浮かんだり、波に流されていただけだ。  いすみ市はアンナの故郷ということだが、本当のところはわからない。高校を中退するまで過ごしていた児童養護施設が、いすみ市にあるというだけのことだ。両親の顔も名前も知らない、とアンナは語っていた。   アンナとカオリはいま、二人で海の家に行っている。  二人の水着姿は、太陽以上に眩しかった。アンナの水着はホルターネックの黒いビキニで、ウエスト周りにフリルが付いている。迫力ある胸が強調されており、とにかくセクシーだ。カオリは花柄のワンピースタイプの水着で、上半身にフリルが付いている。下はスカート状になっていて、女の子らしくかわいいデザインだ。 「なにニヤついてんだ、ヨシオ。二人の水着姿でも思い浮かべてたのか?」  レジャーシートに寝そべった鶴見が、サングラスをずらして言った。 「え、そ、そんなことないですよ」 「麻雀と一緒で、おまえは顔に出やすいからなあ。それにしても、カオリちゃんかわいいよなあ。アンナもルックスはいいけど、中身はオッサンだからな」 「アハハ……」  鶴見は今日、休みを取っている。先月末、『スパロー』に清水という20代後半の男がバイトで入ってきた。今日は、店長の高田と二人で営業しているだろう。ヨシオから見れば、清水もかなり強い打ち手だ。 「大学生はいいよな。夏休み、二ヶ月近くあるんだろ?」 「ええ。バイトと麻雀くらいしか、予定はないですけどね」 「ま、今日はアンナの誕生日だし、いい夏休みイベントだよな。俺も久々に遠出できて、楽しいよ」  鶴見が起きあがって、クーラーボックスから缶ビールを取り出した。  胸板が厚くたくましい鶴見の体を、ヨシオは少し羨ましいと思った。  🀄  イカ焼きを考えた人間は、天才だと思う。  焼けた醤油の香りが食欲をそそり、つい買ってしまうのだ。  右手にイカ焼きを持ち、アンナはカオリと並んで砂浜を歩いていた。左手のビニール袋には、四人分のイカ焼きとフランクフルトのパックが入っている。イカ焼きは好物だから、1本余計に買ってしまった。  カオリは、焼きそばの入った袋を下げている。正直、アンナは海の家の焼きそばをうまいと思ったことはないが、それも海水浴の風物詩だ。 「ねえ。さっきから、すごく視線感じるよね。アンナちゃんの胸、男の人じゃなくてもつい見ちゃうもん」 「いやあ、カオリちゃん見てるやつの方が、多いと思うぜ」 「え、噓でしょ。そんなことないって」  相手の視線の先を判別する(すべ)は、麻雀をしているうちに自然と身に着いた。アンナ自身も視線を感じてはいるが、カオリを見ている人間の方がずっと多い。男だけでなく、女でも見とれてしまうほどの美人だ。花柄のワンピースタイプの水着が、よく似合っている。 870cad57-60fb-4939-9593-8cfb600d6c01 「カオリちゃん、昨日いきなり誘ったのに来てくれて、ありがとうな」 「ふふっ。誕生日に誘われたら、断れないわよ。海は久しぶりだし、楽しいわ。水着はちょっと恥ずかしいけどね」  カオリが胸にコンプレックスを持ったのは、弓道部員だった高校生の頃、同級生の男子にからかわれたことがきっかけらしい。その話をして以来、アンナとカオリは打ち解け、距離がぐっと縮まった。からかった男子も、ほんとうはカオリとの距離を縮めたかったのだろう。思春期の男女は、そういう不器用さがある。 「わ~、二人ともメッチャかわいいねえ。俺たちと遊ぼうよ」  二人組の男が、声をかけてきた。歳は、アンナたちより少し上くらいか。地元の人間ではなさそうだ。 「悪いな。連れがいるからさ、ほか当たってくれよ」  カオリは戸惑った様子だが、アンナは、ナンパをあしらうのも慣れている。 「ええ~。ほんとに連れなんかいるの?」 「いるさ。あそこだよ」  アンナは、手に持ったイカ焼きでヨシオと鶴見を示した。イカの形が、ちょうど矢印のように見える。 「ええ~、マジかよ。ガタイいい方はともかく、あのヒョロガリが彼氏? なんだかなあ」 「アタシのダチを、悪く言わないでくれるか。それに、彼氏じゃねえよ。麻雀の仲間だ」 「ふ~ん、麻雀ねえ」  もう一人の、ツーブロックの髪を横に流した男が言った。 「俺は倉田ケンイチ、弟はケンジっていうんだけどさ。渋谷のクラーケンズ、って聞いたことないかな?」  言われてみれば、二人の顔は似ていた。弟の方が背が高い。弟は、ツーブロックにゆるめのパーマを当てている。 「いや、知らねえな」 「SNSじゃそこそこ有名なんだけどな。まあいいや。どうだい、いまから俺たちと麻雀しないか。なんなら、男の方が相手でもいい」 「なるほど。面白いが、レートしだいかな」 「ちょっとアンナちゃん。せっかく海に来たのに……」 「3の3-9、チップは鳴き祝儀の2000円でどうかな」  1000点300円で、ウマは3000円と9000円。一般的な雀荘よりも高いレートを言ってくるということは、多少自信があるようだ。 「悪くねえな。渋谷のくらげだっけ?」 「クラーケン。海の怪物というか魔物というか」 「ああ、RPGとかに出てくるやつか。ようするに、イカのバケモンみてえなやつだろ。イカ焼きにして、食ったるわ」  言って、アンナはイカ焼きにかぶりついた。  カオリが、呆れた表情でため息をついた。
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