第6話 海の怪物

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     2  食い物を腹に詰めると、すぐに荷物をまとめた。  やはり、海の家の焼きそばはうまくない。   シャワーで体を流し着替え、駐車場へむかう。 「今日はさすがに麻雀打たないだろう、と思ったんだけどなあ」  笑いながら、鶴見が言った。 「ま、こういうのも面白いだろ」  駐車場に着いた。白のヴェルファイア。ウインドウが開き、運転席から倉田兄が身を乗り出し、手を振ってきた。 「行こうか、ナビよろしく」 「オッケー」  全員で乗りこみ、10分ほど走った。雀荘『くろしお』は、以前と変わらず商店街の一角にひっそりと(たたず)んでいる。 「ずいぶん年季の入った雀荘だな。ほんとにやってんのか?」  ヴェルファイアのスマートキーをいじりながら、倉田兄が言った。 「たぶんな」  (つぶや)いて、アンナは建付けの悪いドアを開けた。卓は立っていない。昭和にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える店内は、最後に来た時とまったく変わっていなかった。 「おお、アンナちゃんか。久しぶりだなあ」  奥から、足を引きずって親っさんが姿を現した。 「元気かい、親っさん。5年ぶりくらいになるかな」  以前より痩せて、背も縮んだ親っさんを見て、アンナは胸を()かれた。もう80近いだろう。名前は知らない。親っさんは、ずっと親っさんだ。 「友だち、たくさん連れてきたなあ。麦茶でいいか?」 「ああ、任せるよ」 「アンナちゃん、よく高校サボってここで打ってたもんだ。それが原因で、退学になっちまったが」  麦茶を用意しながら、親っさんが懐かしそうに言った。 「打たせた親っさんもどうかと思うぜ。まあ退学の原因は博奕だけじゃなくて、飲酒、喫煙、無免許運転、挙げたらキリがないけどな」 「あっはっは。とんだ不良娘だったな。でもまあ、自分の人生だ。好きなように生きりゃいい」 「ああ。誰にも気兼ねしないで、好きに生きてるよ」 「昔話もいいけどよ、さっさと始めようぜ」  しびれを切らした様子の倉田兄が、麦茶をひと息に飲んだ。 「そうだな」  言って、アンナは雀卓をそっと撫でた。旧式の卓だが、手入れは行き届いている。  対局が始まった。半荘4回、席は固定で行う。アンナの下家が倉田弟、対面が倉田兄、上家が鶴見という並びだ。  倉田弟が起家の東一局、ドラは六萬。北家のアンナは4巡目で、好形のイーシャンテンとなった。ca31f6d6-c6f3-4bec-bcf8-9035826390e0  打牌候補は一索、六筒、そして白。倉田兄の河に、九索が一枚捨てられている。それぞれに一長一短ある選択だが、アンナは白を切り、リャンシャンテンに戻した。 (まだ4巡目だ。焦るこたぁない)  次巡、ドラの六萬が重なった。七萬を切る。6巡目、白。4巡目に六筒を選んでいれば、ここで白ドラドラのテンパイだった。失敗したとは思わない。アンナは白をツモ切った。  7巡目、親の倉田弟からリーチがかかった。アンナは赤五筒を引いた。 (選択しだいでは、この牌でアガっていた。もしくは親に一発放銃だったかもしれない……)  白を切り、アンナは追っかけリーチを打った。倉田弟が九索をツモ切った。 「ロン」9aaf857a-0254-4b02-b28c-2ee21450bddc 「16000の2枚」  裏ドラは乗らなかったが、リーチ一発ピンフ一通赤ドラドラの倍満だ。倉田弟が、目を見開いて(うめ)き声を出した。  次局、倉田兄弟に不審な動きがあった。通しだ。さらに、倉田兄はぶっこ抜きと呼ばれるイカサマまで使っている。失笑しそうになるほど下手な技だが、アンナはなにも言わなかった。  数巡後、親の倉田兄が4000オールをアガった。鶴見と目が合う。まだだ。かすかに首を振り、アンナは答えた。  一本場は、鶴見が500・1000をツモり、倉田兄の親を流した。  東三局、鶴見の親で、ドラは八索。倉田兄弟が、卓の下で牌をやり取りしていた。エレベーターと呼ばれる技だが、やはりこれもアンナから見れば稚拙だった。アンナと鶴見の後ろにいるカオリとヨシオは、気づいていないようだ。そもそも、二人にはイカサマという発想がないだろう。 「クラーケンとはよく言ったもんだな。いろんなところから手が伸びてきやがる」  アンナが言うと、倉田兄弟は硬い表情で目を見合わせた。 (やるぞ、鶴さん)  アンナはサインを出した。鶴見が口の端で笑うと同時に、アンナはグラスを手に取り、飲むふりをして胸元に麦茶をこぼした。 「うわっ、冷てえ! こぼしちまったよ」  アンナはおしぼりを手に取り、キャミソールの胸の谷間に突っこんだ。倉田兄弟がアンナの胸に注目する。苦笑しながらも、鶴見の両手が電光石火のごとく動いた。アンナも左手を使った。後ろで見ているカオリとヨシオの、息を呑む気配がした。 「悪りぃ悪りぃ。続きといこうか」  アンナのツモ番からだ。ドラの八索を引き東切り。上家の鶴見がポン、南を切る。アンナは発をツモり、南を合わせ切った。倉田弟のツモ番。自分で1枚切っている北を、倉田弟はツモ切った。 「ロン。24000」 「ロン、アタシもだ。16000の1枚」  鶴見とアンナの手が、同時に開かれた。f220145b-57ec-4c3d-9f8d-4af476600c9663dc4b6b-1012-460b-9d0d-0552fc49b6aa 「なっ……マジかよ……」  二人とも倍満のダブロンで、計40000点を放銃した倉田弟が、トビとなった。箱下精算ありなので、-36600点のダブル箱。ウマを加算すれば、倉田弟はこの半荘だけで約3万円の負けだ。 「下手なサマなんか、やるもんじゃねえぜ」  言って、鶴見がマルボロに火をつけた。 「もしかして、あんたら……」  倉田兄が、汗まみれの顔で言った。 「言っておくが、東パツはなにもやってねえぜ。やられたからやり返しただけだ」  アンナも、アメスピに火をつけた。 「イカサマなんて、初めて見たわ。まったくわからなかった」 「カオリちゃんもヨシオも、こんなのは覚えなくていい。アタシや鶴さんも、返し技として身につけているだけだ」 「頼む、ヒラで打ってくれ」  倉田兄が、懇願するような顔で言った。 「ああ。こんなのは、アタシらも本意じゃないからな」  ヒラで打っても、力差は歴然だった。アンナと鶴見が交互に1着2着で、4回が終了。倉田兄弟は、交互に3、4着という結果だ。 「俺たち、とんでもねえ相手に勝負吹っかけちまったんだな……」  倉田弟が、うなだれて言った。 「まあ、これに懲りて下手なサマは使わないことだ」 「すいませんでした……」  鶴見が言うと、倉田兄がしおらしく返事をした。 「まあまあ、昨日はアタシ誕生日だったしさ、寿司でも取ろうぜ。親っさん、特上7人前、頼むよ」 「俺たちの分まで、いいのか?」 「もう勝負は終わったんだ。それに、もとはあんたらの金だぜ」 「まあそうだけどさ……。それにしても、負けたなあ」  倉田弟が、背もたれに寄りかかり、両手を上に伸ばした。 「アンナちゃん、いいもんがあるぞ。ちょうど昨日が解禁日でな、今朝知り合いの漁師が持ってきた」  親っさんが持ってきた発泡スチロールの箱には、小ぶりのイセエビが10尾ほど入っていた。イセエビといえば三重県だが、港単位の水揚げ量では、大原漁港が日本一を誇っている。箱のイセエビは脚や触角が折れていて、売り物にはならないが、味に変わりはない。 「お、イセエビか。久しぶりだな」 「こいつで、味噌汁を作ってやろう」  イセエビの食べ方はいろいろあるが、地元の人間、特に漁師などは、造りや焼きより、味噌汁を好む。 「僕、イセエビなんて食べたことないですよ」  ヨシオが言うと、俺も俺もと、倉田兄弟が相槌を打った。 「なにかお手伝いしましょうか?」 「おお、助かるよ。ネギを刻んでくれないか。細かく切るのは苦手でな」 「はい!」  カオリが、親っさんに続いて台所へ行った。  1時間ほどで、寿司が届いた。味噌汁も、すでにできている。寿司桶と味噌汁の椀が、テーブルに並べられた。 「アンナちゃん、改めて誕生日おめでとう!」 「おめでとう~」  親っさんの音頭で、乾杯した。グラスのビールはよく冷えている。未成年のヨシオと、運転する倉田兄はウーロン茶だ。少し照れ臭かったが、嬉しかった。 「寿司うめえ~」 「うまいなあ、兄貴。負けて悔いなしだ」 「イセエビの味噌汁なんて、贅沢よね。出汁がすごいわ」 「おい見ろよ。クラーケンがイカ食ってるぜ。共食いじゃねえか」  鶴見が、倉田弟を指さした。倉田弟はイカの握りを頬張っていたが、むせたようで、慌ててビールを流しこんだ。それを見て、全員が笑った。 「またいつでも来てくれよ、アンナちゃん」  アンナの隣に座って、親っさんが言った。 「ああ、また来るよ。長生きしてくれよな、親っさん」  親っさんが、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。      第6話 海の怪物 完
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