第7話 麻雀のプロ

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     3  空になったグラスの氷が、音を立てた。  冷房が効いているはずなのに、店内は暑い。  対局者たちが放つ熱気。それは、自分の内側からも発せられている。  勝負は3戦目に入っている。開始前に、場替えをした。岡部、石塚、アンナ、鶴見という並びで残り2戦を行う。1戦目はアンナに逆転され、2戦目は鶴見に押し切られた。  正直なところ、アンナのことは侮っていた。高レートの麻雀を打つといっても、しょせん街の雀ゴロ、公道の走り屋のようなもので、競技のプロ、レーシングドライバーの方が上だと思っていた。その認識は改めるべきだ、とこの2戦で痛感した。  鶴見も、鉄火場をくぐってきたタイプだろう。メンバーの皮を脱ぎ捨て、目の奥には炎が宿ったかのようだ。  牙や爪をむき出しにした、2頭のけもの。それに勝ってこそのプロだ、とも思う。アウェーだから、ふだんとは違うルールだから、というのは、言い訳にならない。自分が目指す真のプロは、戦場を選ばず勝つ。そう思い定めている。  東四局、南家の3着目。6巡目で、リャンシャンテンになった。  下家の石塚は、苦しそうだ。2連続ラスで、明らかにひとりだけ置いてきぼりになっている。理論はすぐれたものがあるが、リア麻の経験が少ない。それでも、しばらく見ないうちに、成長はしていた。 (苦しいか、石塚。だがそれも(かて)となる。どんな結果となろうとも、歯を食いしばり、戦い抜け)  7巡目、岡部はドラの六萬を引き入れ、この形となった。473badef-f99f-43b8-8958-1b8036b34038  テンパイを取らず、岡部は七索を切った。カオリが息を吐く、かすかな気配がした。  カオリは、センスの面で抜きん出たものがある。卒業後は、競技プロへの道も考えているようだ。 (見ているか、小野寺。この対局は、牌譜として残らない。私の一摸一打を、その目に、記憶に、焼きつけておけ)  石塚もカオリもまだ成長途中だが、後進は育っている。いま考えるべきは、自分自身のことだ。目の前のけものに、勝つ。けものを喰らい、自分はさらに強くなる。  アンナが、五索切りの先制リーチを打ってきた。鶴見がアンナの現物を切る。岡部の次巡のツモは、アンナの宣言牌である五索だった。 「リーチ」  六索を勝負しての追っかけリーチ。通った。アンナがわずかに、眉間に皺を寄せた。  石塚が、4枚目の東を切った。アンナがツモ切った。七筒。 「ロン」75df66b0-8a0d-4b10-bead-b86c6f33e077  裏ドラは、六筒だった。リーチ一発ピンフ三色裏で、跳満だ。 「12000の2枚」 「はい」  アンナが、点棒とチップを出してきた。放銃のあとでも、その目は肉食獣のように力強く光っている。  獲物に襲いかかる雌のライオンのようだ、と岡部は思った。  🀄  顎の先から、汗がしたたり落ちた。  石塚は、乱れた呼吸を整えるべく、深呼吸をした。  これまで3戦して、岡部とアンナ、鶴見が1回ずつトップを取っている。石塚は3連続ラスで、最終戦となる今回も、ハコ寸前のダンラスで南四局を迎えた。  心が、折れかけている。  実力でいえば、自分ではなくカオリが入るべきだった。だがカオリは岡部の後ろで見学したいと言うので、代わりに石塚が入った。三人と打つことでなにかを学び取ろうと思ったが、学べたのかはわからない。格の違いだけは、身にしみてわかった。  麻雀は、確率のゲームだ。牌理を身につけ、正着を打つ。長い目で見れば、それは間違いないはずだ。ただ、時として確率や理論を超えたなにかがある。それは、運という言葉で片づけてしまうほど単純でもない。本格的にリア麻をやりだして、そう思うようになった。  配牌は、ドラの一萬が対子(トイツ)だった。ほかにも対子が2つあり、赤五索もある。トップ目はアンナで、岡部か鶴見から倍満を直撃すれば、3着に浮上できる。チートイツを本戦に、石塚は手牌を進行させた。  3巡目、五索が重なり対子が増えた。リャンシャンテン。5巡目、ドラの一萬が暗刻になる。三暗刻、その先の四暗刻も見えてきた。9巡目、暗刻がさらに増えた。まだ他家(たーちゃ)に動きはない。  ツモ切りが続いた15巡目、石塚はようやくテンパイした。f4fa47c9-8aab-4dc4-a072-15d726855a81  場に六筒は1枚見え、西は2枚切れている。五筒はアンナがポンし、八筒は1枚切られている。残り1枚の四暗刻に受けるべきか。残り4枚のリャンメン待ちで三暗刻に受けるべきか。ただ三暗刻に受けた場合、岡部か鶴見からの出アガリ、なおかつ一発もしくは裏ドラがなければ、着順は変わらない。 「リーチ」  七筒を曲げ、石塚はツモり四暗刻でリーチを打った。卓の中央に、最後の千点棒を置く。ツモればトップ、出アガリでも倍満、裏ドラがあれば3倍満になる。六筒と西のシャンポン待ち、ただし残りは六筒1枚だけだ。  トップ目である親のアンナが現物の八索を切り、鶴見が宣言牌の七筒を切った。 「チー」  鳴いたのは岡部だ。リーチ棒が出たことで、条件ができたのか。2000点の出アガリもしくは500・1000のツモで、アンナをかわし岡部はトップになれる。岡部が六筒と八筒を晒す。思わず声が出そうになった。唯一のアガリ牌である最後の六筒が、これでなくなった。  純カラとなった自分の手が、急にむなしく思えてきた。あとは、ひたすらツモ切りしていくだけだ。石塚は、力なく牌山に手を伸ばした。  引いたのは、三筒だ。いちおうカンできるが、やったところで意味はない。ただ、この三筒が誰かに当たるということもあり得る。 「カン」  すぐさまアンナが新ドラをめくる。できればこのまま安全牌を持ってきて、流局して欲しい。石塚はリンシャン牌に触れた。つるりとした感触。真ん中に、点がある。 「あっ……ツ、ツモ!」  ふるえる手で、石塚はそれまで存在を忘れていた白ポッチを、手牌の脇に置いた。3cd878f6-1e83-4d1e-92fc-c7bb34d5edd1 「8000・16000」 「か~、白ポッチか。ていうか、もう待ちなかったんだな」  苦笑しながら、アンナが言った。 「裏ドラめくりなよ、石ちゃん」  鶴見に言われ、裏ドラをめくった。裏ドラ表示牌は、二筒と五筒だ。白ポッチはオールマイティなので、六筒に取れる。役満祝儀はツモが5枚。裏ドラが7枚と赤で、合計13枚オールとなった。 「白ポッチか……。ハウスルールならではだが、私の鳴きによってアガリが生まれてしまったのも事実……。たくましくなったな、石塚」  言って、岡部がほほえんだ。石塚は感極まって、目から涙がこぼれてきた。 「自信持てよ、石ちゃん。よく戦ったよ」 「ああ。結局、全員が1回ずつのトップだったな」 「僕、リア麻の役満、初めて見ましたよ」 「すごいわ、石塚君。まさかあそこから逆転するなんて」  みんなの言葉にさらに涙が溢れ、石塚はメガネを外し手で顔を覆った。泣きやむまで、誰もなにも言わず待ってくれた。そのやさしさが、嬉しかった。 「さて、反省会でも行くか。岡部プロ、時間の方は?」 「軽くなら。いい対局でした、アンナさん。そして、鶴見さん。二人とも、競技プロとして充分通用するどころか、上位のリーグに行けますよ」 「アタシは、一介の雀ゴロさ」 「俺は、メンバーに誇りを持ってますから。今日は思わず、素が出てしまいましたが」 「そうですか。それぞれの世界で、互いに頑張りましょう」  アンナと鶴見と岡部が、それぞれ頷き合った。  その後、高田が用意した色紙に、岡部はサインを書いた。  僕もいいですか、とヨシオも色紙を出した。カオリが、羨ましそうに色紙を見ている。自分と同じで、サークルの後輩だからかえって言い出せないのだろう。いつかまた、機会はある。心の中で、石塚は呟いた。  高田の提案で、写真を撮ることになった。人気プロだけあり、岡部は慣れた様子だ。中央が岡部で、両隣に石塚とカオリが並んだ。 「胸張れよ、石塚。今日の対局は、全員が主役だ」 「は、はい」  岡部に背中を叩かれ、石塚は背すじを伸ばし胸を張った。  もう1卓はまだ続いている。高田のスマホのシャッター音と、牌の音が混ざり合った。  撮影が済むと、石塚は岡部の顔を見た。目が合って、岡部は頷いた。 「いい顔だ。さすが麻雀研究会部長」 「ありがとうございます」  笑顔で石塚は答えた。もう、涙は溢れてこない。      第7話 麻雀のプロ 完
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